――二月二十日――

 翌日は、何事もなく平穏な一日だった。

 朝から雪が降っていたので、紫杏も深紅も外出せず、家の中でのんびり過ごした。

「パラレルワールドっていいよねー」

 夕方、リビングのソファーでくつろいでいる時、深紅が何気なく言った。

「魔法が当たり前に存在する世界――私も行ってみたいな」

「深紅まで、明堂先輩みたいなこと……。そんないいものじゃないよ、魔法なんて」

「そう? だったら紫杏は、どんな世界がいいの?」

「どんな……?」

 ――林崎くんがいるなら、どんな世界でもいい……。考えてから、紫杏は目を伏せた。彼を思うと切なくなる。それなのに、彼のことばかり考えてしまう自分が腹立たしかった。

「あー、でもこうしてると、あんたが別の世界の紫杏だってこと忘れちゃうな」

「私もだよ」

「ね、何か魔法使ってみて」

「だめ。冷くんに使うなって言われてるから」

「ふーん」

 深紅はつまらなそうに、ソファーの上で体を伸ばした。

「冷一に命令されたら言いなりなとこも、こっちの世界と一緒だね。あ、ひょっとして、怪しまれないように演じてる?」

「まさか。私、そんなに器用じゃない。普段通りにしてても、誰も疑わなくてほっとしてるの。お父さんとお母さんも全然気付いてないし」

「あはは。だってあの二人は、私たちの区別だって付かないくらいだもん。逆に気付いたらすごいよ。……と、噂をすれば何とやら。帰って来たみたい」

 玄関から、鍵を開ける音に続いて「ただいまー」と言う声が聞こえた。



 帰宅した両親を迎え、久し振りに家族揃っての食事を取ったあと、紫杏と深紅はそれぞれ自分の部屋に引っ込んだ。

 紫杏はベッドに寝そべって、ぼんやり天井を見上げていた。

 六日目の夜だ。この世界に来てから、六日も経ってしまった。

 ――いつ帰れるの。もう、帰れないの?

 時間が経てば経つほど、元の世界が――林崎が遠くなる気がして怖かった。

「紫杏、起きてるー?」

 足音が近付いて来て、深紅が返事も待たずにドアを開けた。

「起きてない。寝てる」

「勇からメールが来たんだけど」

 布団を被ろうとした紫杏の前に、携帯電話がずいっと差し出された。

「紫杏に伝えてくれって」

「私に? ――何て?」

「自分で読んでみなよ。ほら」

 紫杏は体を起こした。携帯を受け取り、メールの文面に目を通す――何だか変な顔文字がいっぱいで読みにくかったが――。



『夜分にごめん。紫杏ちゃんに、明日にはきっと元の世界に戻ってるよって、伝えといてくれる? んじゃ、オヤスミ~』



「……」

 紫杏は画面をまじまじと見つめた。

「何? これ、どういう意味?」

「さあ――紫杏を元気付けようと思ったんじゃない?」

「そう……かな」

「いい加減なこと言うな! とか返信しとく?」

「しない」

 紫杏はちょっと考えた。

「……『お気遣いありがとうございます』って書いて」

「堅いね。いいけど」

 紫杏が携帯を返すと、深紅は部屋から出て行った。

 紫杏はベッドに倒れ込んだ。

「明日には、元通り……?」

 思わず頬が緩む。

「本当、楽観的だよね、明堂先輩って。あっちの世界とおんなじ」

 マイペースで、陽気で自信家で。魔法の能力テストで二番になった時も、「このテストが抜き打ちでなかったら、きっと俺が一番だった」と言っていたっけ。

「明堂先輩だけじゃない、多分誰も予想してなかったんだろうな。まさか、林崎くんが成績トップだなんて」

 林崎はあまり魔法を使わないので、あまり魔法を使えないのだと、当然のように思われていたのだ。

 皆の見る目が変わったのは確かだが、紫杏にとっては、林崎は林崎だった。彼は自分の能力をひけらかすことも、自慢にすることもなかった。隣の席で、迷惑ばかり掛けている紫杏のことを、決してばかにしたりはしなかった。簡単な魔法も使えずもたもたしていても、怒ったことなど一度もない。いつも優しく微笑んで――。

 ――また、林崎のことを考えてしまっていた。

「今考えなきゃいけないのは、元の世界に戻る方法でしょ」

 紫杏は枕に顔を埋めた。

「私が、今、考えなければいけないのは……」

 けれど、どんなに頑張ってみても、頭に浮かんだ笑顔を消すことは出来なかった。

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