Rainy Day, Dream Away


────隙間から遠慮なしに刺してくる陽の光で目が覚める。当然、部屋には誰も居ない。昨日の記憶は途中で止まっているが、ちゃんといつものようにベッドにいた。


 結局のところ、『彼女』は何者なのだろう。

 僕の部屋に現れては僕が薦める曲を聴き、いつの間にか去っている。彼女に関して知っていることは本当に少ない。

 決まって雨の降る日にそこにいて、僕で遊ぶように振る舞うということだけ。


 まだ湿った靴をけ、時季外れの分厚い靴を履く。

 水たまりを作っていた傘を広げて倒し、扉を開けると、そこには蛙がいた。──驚いて一歩下がるが、蛙は微動だにしない。蛇すら凍らせるようなその視線は、もう干からびていた。

「おお……」思わず息が漏れる。

 この時季なので別に死んでいるのが珍しいというわけではないが、律儀に座ったまま死んでいるのを見たのは初めてだ。それも扉を開けたすぐ前で。


 一度そういうものを目にすると無意識に探してしまう。排水溝の上、マンホールの蓋、電柱のもと……。雨という餌に釣られ、太陽に灼かれ死んだ彼らのその、干からびた体が「お前も同類だろ」と語りかけてくる。否定することもできない僕は、心の中で曖昧に笑うしかない。

 虫の知らせ……いや、蛙の知らせ? 彼らなりの警告なのか、それとも何かの暗示だろうか。彼女についてとか、僕の末路とか。


 電車に揺られる身体に同期するように思考は揺れて、攪拌かくはんする。奇妙で、それでいて同じような日常が再生される。そこでふと、友人の言葉を思い出した。


──結局、最高のパンク・バンドは誰だ?


 彼が候補に上げたセックス・ピストルズとクラッシュの話には続きがある。セックス・ピストルズが発表した1stシングル『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』は凄まじいヒットを叩き出し、彼らは勢いもそのままに1枚目のアルバムをリリースした。

 だけど、そこまでだった。理由についてはあれこれ言われているけれど、少なくとも以降新たなシングルやスタジオアルバムが刷られることはなく、活動は終わってしまった。

 その考察について、僕は彼女に「怒りの昇華」を喩えて説明した。それはつまり、セックス・ピストルズは初期衝動を持ち続けたが故に、決定的な変化を迎えたということ。

 そしてクラッシュはその反対だと言った。クラッシュは彼らの音楽を模索したが故に、致命的な変化から逃れたということ。


 それは大きな矛盾だ。変化しなかったがために変化を迎え、変化したがために変化を免れた、ということになる。僕はそれを認められない。そんなことが罷り通ってしまったら、この世には安寧なんて言葉は存在しなくなってしまうのではないか──


「──おい、おいったら」

 唐突に肩を掴まれる。として振り向くと、果たしてそれは友人だった。そして振り向いたときに、彼以外の情報も意識に滑り込んでくる。どうやら、僕の意識が堂々巡りを繰り返している間、無意識の方はしっかりと僕を大学まで連れて行ってくれたらしい。あまりにぼんやりしていた僕を見かねたのか、友人はため息をついて続ける。

「ぼんやりしすぎだって、お前。講義の話を一つも聴いちゃいないのは珍しくもないけどさ、出席票出すのすらやってないのは初めてだぜ」

 しょうがないから代わりに出してやったけどさ、という気の良い男の笑い声は僕の意識に軸を通すかのようで、ようやく僕は地面の感覚を取り戻した。

「……えっと、今何時だっけ」

 ……まだちょっと足りていなかったらしい。

「12時半、もう昼だぞ。さっさと食堂行かないと、食いそびれるぜ」

 彼は僕を追い越すように歩き始めた。


「ちょっと訊きたいんだけどさ」

水を一口飲んで、正面に座る友人に言う。彼は大皿から豚カツ以外を片付けて満足気な表情をそのままに、

「ん?」

「なあ──『変わらなかったら変わってしまって、変わっていたら変わらない』──これってどういうことだと思う?」

 彼は真顔に戻って、はあ? と返す。

「なんだそれ。なんかの謎掛けか? 意味がわからん」

 ちょっと考えてみてくれないか、と頼んだ。彼はしばらく箸に持った豚カツを眺めていたが、案外すぐに、そして唐突に、

「……川魚の飼育には水流が要るって知ってるか? ヤツら普段水流に逆らって泳いでいるから、それが無いとかえって調子が狂うらしい」

 僕はたぶん、と口を開けていただろう。暫く互いに無言だったが、また友人が話し始めた。

ながーいエスカレーターを考えてみるんだ。階段のヤツでも、歩道のタイプでもいい。とにかく俺がその中に居て、お前はそれを外から眺めてる立場だ。

 俺がずっとその上でじっとしてる間は、エスカレーターは俺を運んで行くだろ。お前から見たら、俺は動いているように見える。

 それで、じゃあ、俺がもしエスカレーターの速さと逆方向に歩き続けたとしたら、お前からはどう見える?

 それがお前の言ってる事じゃないか?」

 水流に逆らって泳ぐという過程と、流されないっていう結果を同列で考えるからややこしくなるんだよ、と彼は締めた。僕はその言葉に少し悔しさを覚えたので、

「じゃあ、どっちが本当に問題だと思う?」

 と訊いた。すると彼は、

「そりゃ前者の方だろう」

 川魚にとって海に流されることほどヤバいことは無いからな、とあっさり言ってのけた。しかも、いつの間にか大皿の上の豚カツは片付けられていて、いかにも〝待っていますよ〟というジェスチャーまでとっている。

 完全に先を行かれた僕は、大人しく無言でパスタを巻き上げるのだった。




「そういえばさ」

 午後5時過ぎの帰りの車中、途中から流れ始めたトラックを頭まで戻していた友人の横顔に声を掛ける。

「なんだ?」

「さっき『結果として変化することの方が問題だ』って言ってただろ」

 こちらへ向いた顔が頷く。

「じゃあそれを回避するための、『過程としての変化』ってどんなものがあると思う?」

「さあな。毎日違う曲を聴くとかじゃないか?」

 そう言ったきり、彼は前を向いて鼻歌を始めた。どうも好きな曲だったらしい。

 僕もそれに乗りながら、それきり喋ることは無かった。



「いつも気になってたんだけどさ」

 僕が住むアパートの前、降りようと片足を地面に着けた僕に友人が何気ないといった感じで訊く。

「お前、いつも雨の日はここまで来させないよな。もっと前で降りて、後は歩きだ。普通逆だろ? 何でなんだ?」

 心臓が跳ねた。しかし僕は努めて冷静に、

「そうだなあ──」と、完全に車から降りて僕は一度口を閉じた。あかい夕日が網膜の中でかすかに揺らめいている。


 結局のところ、『彼女』は何者なのだろう。初めて会った時から全く変化のない彼女との関係性は、いつか決定的で致命的な変化をもたらすかもしれない。けれども──それでも僕は、今の状態を良しと思っているらしい。


 だから、

「──雨の降る日に会える精霊がいるんだ」

 そう、思うことにした。


 別にいいけどさあ、と不満げな友人と別れて、財布から鍵を取り出す。鍵を開けて、誰も居ない部屋に入る。

 ふと机を見ると、クラッシュの『ザ・ストーリー・オブ・ザ・クラッシュ』が置かれていた。僕は思わずちょっと笑って、そのアルバムを棚に戻しに行った。


 ──今日は何を聴こうかな、と考えながら。

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雨の降る日に 窓拭き係 @NaiRi

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