3.追跡
雨が降りしきる。
森は生き物の気配を消し、木漏れ日は深い葉の重なりで、差し込むことを許されない。
「ここは...」
先程の森、とは違う。ここまで深く暗い森ではなかったし、何より仲間もいない。
今までの旅でこの景色に近い箇所があっただろうか。記憶を辿ってみるが思い当たる節はない。何千年と旅をしている箇所で巡っていない場所などごく稀だ。逆に回っていない場所でこのような森のある地域は...
「...狩人族の狩場の森...!そうだ、確かにあの森は危険だと聞いて、迂回したはず」
そう考えるとこの森は聞いていた景色と一致する。
しかし行ったこともない箇所に自分がいるというのは不可解だ。するとなるとここは、
「夢、いや、深層意識、か」
それも恐らく他者の。
いくら深層意識でも知らない森を意識するのは無理があるし、そもそも自分のものならこんな第三者的な理論的思考が働くわけが無いのだ。
この状況になる前の状況からして、
「彼の記憶、かな...」
これは困った。他者どころか敵の意識に介入している。自分にそんな力は無いはずだが。
しかしふと思う。
神化。
カルマに対抗する為に自身は巫女という人間であった身を神に捧げた。
その時は特に何か特別大きな変化があったわけではなかった。研究系の仲間曰く「戦闘時に何かを分かるかもしれない」との話だった。
先程の自分の行動、今の不可解な状況、そして元々自身が持っていたスキルである他者の精神浄化の「心眼」。これらを照らし合わせて、一つの答えに辿り着く。
自身のスキルの昇華、故郷の悲願であり、人の心を見定め天秤に掛ける「神眼」の成就。
それによって自分は、彼の意識に介入した、ということだろう。
「じゃあつまりここには、彼が」
目の前の雨でぬかるんだ道を見る。この先に恐らくいるのだろう。
「行くしかない...」
私は足早にその道を駆けた。
やがて、暗い地下に繋がる階段を見つけた。
光の入らない暗い大穴の様な入口が酷く恐怖を掻き立てた。
入口に置かれていたたった一本の小さな蝋燭を、横に置いてあった手持ちの燭台に灯す。足を踏み入れれば、壁すら闇に溶け込んでしまう様な空間が広がっていて。
やっと暗さに慣れた目に映ったのは、鈍い銀色の格子。
「牢獄...」
煉瓦の床は角を欠いており、その空間の古さを物語っていた。
ごき、ばきっ。
歪な音が微かに空間に反響する。耳をすませば、この牢獄の更に奥の空間から伝わっている。
嫌な予感がする。
私は、その場を更に前に足を進めた。
そうして突き当たりまで辿り着いた。
「ひ...っ」
手に持った灯りが、目の前の光景を煌々と残酷に照らしていた。
血と水が混ざりあって滲む。白く冷ややかな肌は癒えることも許されない傷を流れる赤で生々しく引き立てる。手足の枷は痛々しい擦痕を抉り、じゃらじゃら音を立てる。
地獄の様な光景。
途方もない時間の拷問と苦痛。目の前の囚われに生気は感じられない。
姿は幼い(恐らくまだ十代だろうか)風に見えるが、その姿は先程まで戦っていた彼であった。これは恐らく、過去の。
エルサから聞いていた話を思い出す。
『どんなことをされているかもわからない』
その結果がこれなのか。余りにも残酷、無慈悲。
「こんな、惨い...」
「...ぅ、ぁ」
「...?!まだ息が...!」
慌てて駆け寄ると、彼は息を荒く酷く苦しそうだった。無理もない、この傷で体も水を浴びせられ、体調も最悪の状況だ。熱がある所ではない。
慌てて屈んで枷を外そうとする。
「動いては駄目、今助けて...」
「...やめろよ」
「...え」
驚き顔を上げると、彼がはは、と空の笑顔を見せる。
「もういいんだ。お前が誰かも俺は知らないし、どうでもいい、でも俺はもうずっと永遠にこのままだからな」
私は困惑した。何を諦めているんだ。諦観というにはこの現状はあまりにも凄惨すぎる。
「どういうこと、まだ逃げれば」
「逃げる場所だって、逃げる意味もないんだ」
彼が項垂れていた身体を無理やりに向ける。その向けられた胴体に絶句する。
「俺はもう、死んでいるから」
胸元を、ぐさりと、細い短剣が貫いていた。
「何、これ…」
「俺は殺されたんだよ。俺に」
自分で自分を貫いた…?
「貴方は一体」
「お前こそ一体なんだよ、人の心にそうやってずかずかと」
「やはりここは貴方の心の中なのね。でも、自覚が…?」
「これは俺の心であって俺の心ではない。『俺』はこうやって毎日苦しかったんだ、辛かったんだ。でも助けはない、あいつもいない、生きる意味なんてない。だから、殺した。どうせ辛いなら、死んでしまった方が楽だろう?」
声も出ない。生きる意味すら失うほどの苦しみを味わって、そうして彼は此処にいるのか。
「そんなのは駄目、生きなきゃ」
「無理だ、さっさとどっかに行ってくれ。どうせ、こんな会話にも意味なんてないんだ」
胸元の短剣はその間にもどくどくと血を滴らせ、彼を死に縫いつける。
こんな終わり方は間違っている筈だ。意味はある、必ず。
自分が、今の彼に出来ることは。
「分かったら失せてくれないか。俺にはもう」
「…辛かったね」
「…は?」
「苦しかった筈、泣きたかった筈。こんな風になる前に、助けられれば良かった」
「何を今更」
「もう過去という貴方は死んでいるのだとしても、それを悲劇で終わらせていいわけがない…!」
目の前の彼の自嘲が崩れていく、歯を食いしばり、お前に何が分かると漏らす。
「何もわからない。きっと、貴方の苦しみも私は汲み取れてなんかいないんだと思う」
それでも、
「声がしたんだ。貴方が『助けて』と言う声が。そんなのを聞いてしまったら、助けないで放っておく理由も無い!」
言葉が溢れ出る。少しでも傷を私が癒せたならば。
「幸せを失おうとも、生きる意味を失っても、まだ先を見てはいけないなんて、そんなのは違う!」
「…ぁ」
「何もないなんて嘘、未来に道はあるの。見られないなら私が見せる。だから、手を」
濁った赤眼に、確かに、光が灯ったのを私は見た。
くしゃりと顔が崩れる、しかし、彼は俯き、悲しそうな笑顔を見せた。
「もう殺された『俺』はこの先は見れない、でも、俺は今、先が見えたならば、そう思ってしまった。見れない希望を見せるなんて、狡いじゃあないか」
そういうと一度息を吐き出し、彼は此方を見直す。
「そこまで言うなら、頼みがあるんだ。ある男を救ってやって欲しい。本当は辛くて苦しくて生きることさえ苦痛なくせに、そんな感情すら殺して生きる阿呆だ。あれにはまだ先がある。だから頼むよ、『俺』のこと、救ってやってくれ」
今の彼、殺戮を繰り返す残虐な獣に成り果てた心を救い出す。
断る理由なんてなかった。
「…ええ、勿論。貴方の意思は、私が背負う」
少しでも、彼を安らげられれば、と笑顔を見せると、彼の笑顔が綻んだ気がした。
「…そうだ、最後に一つ」
「…?」
「エルサは、今笑って過ごせているか?」
「…ええ、沢山の仲間に囲まれて笑って生きてる」
「…そうか、うん、それなら、俺は良いんだ」
「…」
「…『俺』をよろしくな」
「…ええ」
彼に背を向け、牢獄を足早に抜ける。
背を振り返ることはしなかった。
私に出来ることを、私は。
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