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 ウォルテールは別に殺人現場の専門家でも何でもない。ただ単に、戦場へ出ないときは何となく城内のトラブルを担当する責任者のようなものに当てられているだけのことである。兵が乱闘騒ぎを起こしたとか、不審者が出たとか、あるいは武器庫に侵入者が入ったとか、そんなような話ばかりだ。

(どうして俺が殺人事件――それも王族の暗殺について調べなければならないんだ?)

 城内で殺人事件が起こるなんて前代未聞である。少なくともウォルテールの知る限りでは。

 兵をそこらに派遣して凶器やら目撃情報やらを探させてはいるが、どうも芳しくなさそうである。何だか頭痛がしてきそうだった。


 深々とため息をついたウォルテールは、のそりと立ち上がる。どうやら自分の執務室とその周辺が、ラダーム暗殺に関する捜査の拠点と化したらしい。事態は変わらないし、情報は出てこない。手持ち無沙汰にウォルテールはこっそりと部屋を抜け出した。



(俺には荷が重すぎる)

 腕組みをしたまま、ウォルテールは勢いよくため息をついた。朝にラダームの死が判明してから、もうすぐ一日が終わる。空はもう随分と赤らんでいた。


(……ラダーム様、か)

 その死を酷く悲しむほどに心酔していた訳ではない。親しくもない。昨日、一度だけ、初めて言葉を交わした。今になって思えばあれが最初で最後の会話だった訳だが。

(一体、誰が……)

 この一日で何度繰り返したとも知れない言葉を再度呟き、ウォルテールは頭を掻いた。ラダームが死んで利益を得るのは誰だ? 次期皇帝としてもてはやされてきたラダームがいなくなれば、別の人間が皇位につくことになる。となると、犯人は第二王子派の人間……いや、まさか――王女派? それともこれ以上の侵攻を防ぐために他国から送られた刺客か。



「――ウォルテール将軍」

「うわっ」

 とりとめのないことを考えながら廊下を徘徊していたウォルテールに、背後から声がかけられた。飛び上がるようにして振り返ると、暗がりにカナンが佇んでいる。

「何だ、カナン……驚かせてくれたな」

「ごめんなさい」

 カナンは少しだけ微笑んで、それから明るいところへ一歩進み出た。ウォルテールは眉をひそめる。何となく血色が悪いように見えたのだ。


「鼻声だな、どうした?」

 ウォルテールは身を屈めてカナンの顔を覗き込む。カナンはぎょっとしたようにのけぞり、「いえ……」と言葉を濁した。

「熱は? なさそうだな。昨日はエウラリカ様も咳をしておられたし……うつされちまったのか? 今度からは気をつけるんだぞ」

 ついつい弟にするみたいに、額に手を当てていた。些か無作法な振る舞いであったことは、身動きできずに立ち尽くしているカナンの顔を見たときに気づいた。カナンは前髪を上げられたまま、子ども扱いを恥じらうように真っ赤な顔をしている。


「悪かったな」とウォルテールは手を引っ込めた。カナンは少し俯き、「ひとつ、お訊きしたいことがあって」と調子を崩されたみたいにふて腐れた表情で話題を変えた。

「何だ?」

「昨晩のことで」

 彼は控えめな口調で語り出す。何の話だ、とウォルテールは身構えた。カナンは少し間を開けるように口を閉じてから、――目を伏せる。



「――ラダーム様の側近の方は、どうして昨晩、城を出ていたのでしょう?」

 ウォルテールは黙ったまま目を見開いた。

「……見たのか?」

「はい。偶然ですが、……まるで人目を忍ぶように、城門を出て行く様子を目撃しました」

 どこか後ろ暗いような態度を見せていた側近を思い返す。まさか、とウォルテールは内心で呟いた。


 しかし、側近は細身で華奢ではあるが、背の高い男である。……たとえ布を被っている後ろ姿しか見えなかったとしても、女と見間違えるだろうか?


 浮かんだ疑問は一旦置いておいて、ウォルテールはカナンに向き直る。まさか側近が通ることを見越して待ち構えていた訳ではあるまい。

「カナン、お前はどうして、夜に外をうろついていたんだ」

 はっきりさせなければいけない点である。カナンは淀みなく答えた。

「昨晩はあの人が随分と拗ねておられましたから。部屋にいると八つ当たりの矛先にされて」

 あの人――とは、エウラリカのことだろうか。カナンは小さく肩を竦め、困ったものだと言わんばかりにため息をつく。その態度に、後ろめたさはまるで見つけられない。嘘ではないのか。……それに、荒れるエウラリカの姿は容易に想像がつく。昨日、エウラリカはラダームに叱責され、大層ご機嫌斜めだったはずである。


 癇癪を爆発させたエウラリカの前で、途方に暮れたような顔をして立ち尽くすカナンの姿。……それは、簡単に思い浮かべることが出来る光景だった。エウラリカはいつだって気分屋だったし、カナンはいつだってそんな顔をしていた。


 今も、カナンは遠慮がちな困り顔で立ち尽くしている。

「それと……昨日のことは、出来れば、内密にして頂けませんか。僕が口出しをするようなことではないのは、重々承知の上ですが……あの人は自身の振る舞いに気を払わないので、」

「昨日のこと?」

 ウォルテールは瞬きをして、カナンの顔を見返す。咄嗟に思い至らずに言葉に詰まると、カナンは途方に暮れたように顔を伏せた。長々と躊躇う様子を見せ、それからカナンは、か細い声で囁く。

「……大臣について、です」



 ――その言葉に、脳裏にひとつの記憶が蘇った。

『ね、アジェンゼ。お願い。お兄さまを叱ってあげて?』

 甘えるような少女の声が、頭の奥で響く。


(……あの侍女は、何と言っていた?)

 ウォルテールは息を止め、反芻する。何と言っていたか、そう――『小柄な人』『足首まであるようなスカート』。

 アジェンゼとは、さして上背のない小男である。その身長は小柄なエウラリカより僅かに高い程度。……女と見間違えても不思議ではない。

 大臣ともなれば、普段からトーガを身に纏っていても不思議ではなかった。何も知らずに裾だけ見れば、それは長いスカートにも思えよう。


 美しい王女、重なった影、――傾国。


 馬鹿げた予感が頭の中で繋がった。その瞬間、ウォルテールは冷水を浴びせかけられたように汗に濡れ、戦慄していた。

(……まさか)

 そんなはずは、ない。たかが一人の少女の我が儘で、第一王子が殺害されるなど、あってはならないことだ。そのはずだった。


(――アジェンゼ大臣、)



 ***


 ウォルテールは大股で廊下を歩く。背後には数人の部下を引き連れ、向かうはラダームの側近の下である。

「ラダーム様の側近が、昨晩、城を出ていた?」

「それは誰の証言なんです」

 立て続けに問われ、ウォルテールは振り返らないままに応じた。

「カナン――エウラリカ様の奴隷だ」

「エウラリカ様の?」

 部下は驚いたように目を見開く。ウォルテールは小さく頷き、一つの扉の前で立ち止まる。側近はここにいるらしい。


 側近は小部屋の中で机に向き合ったまま椅子に腰掛け、項垂れて沈黙していた。ウォルテールが扉を開けて足を踏み入れると、彼は大きく目を見開いて顔を上げる。

 その表情の憔悴した様を目の当たりにして、ウォルテールは眉をひそめた。主君が殺され、側近の心痛はどれほどのものか分からない。だが、その顔には、ただ単に悲嘆に暮れるような表情以外のものが混ざっているように見えた。

 一言で言えば、――後ろめたさ、あるいは怯え。



 ウォルテールが「一つ伺いたいのだが」と声をかけると、側近はびくりと肩を跳ねさせる。その視線がおどおどと部屋の隅をさまよった。ウォルテールは眉根を寄せ、側近の正面に回り込んで椅子を引いた。

「貴方が、昨晩、城を出ていたという話に関してだ」

 単刀直入に切り出すと、側近は弾かれたように顔を上げる。こぼれ落ちそうに見張られた瞳が、途方に暮れたようにウォルテールの視線を受け止めた。薄い唇が戦慄き、まるで今にも言葉が溢れようとするみたいに半開きになる。

 ……だが、側近は何も喋ろうとはしなかった。


「本当のことなのか」

 ウォルテールは慎重に問うた。側近は長いこと沈黙してから、「はい」と頷く。

「どのような用事で?」

「それは……」

 側近は再び俯いた。随分と言いづらそうな様子に、ウォルテールは部下たちと顔を見合わせる。――何かあったようだな。


 ややあって、側近は「言えません」とだけ答えた。酷い表情をしていた。その口元が苦悶に歪む。机の上に握りこぶしを乗せて、側近が身を乗り出した。

「ですが、私は決してラダーム様を殺してなどおりませんっ……!」

「分かった、分かった。俺たちは貴方を犯人と断じに来た訳ではない」

 ウォルテールは両手の平を側近に向けて彼をなだめる。

「ただ、……少しでも何か知っていることがあるのならば、それを聞かせて欲しいというだけだ」

 あまり得意ではない愛想笑いを浮かべて、ウォルテールは側近の顔を覗き込んだ。側近の顔が再び暗くなる。


 語るつもりはないらしい。きつく引き結ばれた唇を眺めながら、ウォルテールは立ち上がり、側近の後ろに回り込んだ。その肩に手を置いて、ウォルテールは低い声で語りかける。

「なあ、これは根拠のない推測の域を出ないんだが」

 慎重にかがみ込み、その耳元で、囁いた。


「――アジェンゼ大臣は関与していると思うか?」

 その瞬間、側近が、目を見開いた。「どうして、それを……」と側近はウォルテールを見上げ、声を震わせる。部下たちは驚いたような表情でウォルテールを見つめた。

「その答えは、肯定と取っても良いんだな?」

 ウォルテールは必死に平静を保って、側近に問う。まるで全部お見通しのようなふりで、超然と顎を持ち上げてみせた。側近はくしゃりと顔を歪める。

「…………はい、」

 側近は小さく頷いた。それから、堰を切ったように嗚咽を漏らした。



「昨晩、何があったのか聞かせてくれるか。……このままではラダーム様も浮かばれない」

 ウォルテールは側近の正面に戻りながら、なるたけ優しい声で語りかける。側近は片手で口を押さえ、何度もすすり上げながらがくがくと首肯した。


「……全部、お話し、します」

 側近は息を整えるように肩を上下させながら、固く目を瞑る。


「――昨晩、ラダーム様は私室に私を呼びつけました」と側近は目を開く。ウォルテールは固唾を飲んでその言葉を聞く。一字一句聞き漏らすものかと身を乗り出した。背後では部下が凄まじい勢いで記録を取っている。


「ラダーム様は、『このことは決して誰にも言ってはならない』と仰いました。たとえ何が起きようとも、どのような責め苦に晒されようとも、堅く口を噤んですべてを秘するようにと、そう私に命じられました。だから私は……」

 側近は顔を伏せ、絞り出すように呟く。ウォルテールは時折小さく相槌を打つだけで、側近が語るがままに任せた。

「けれど、ラダーム様は亡くなられた、……何者かに殺された。事態は変わりました。私は恐らく唯一、この件の真実を知っています。けれどラダーム様は、どのような天変地異が起ころうとも、この晩のことを語ってはならぬと厳命しました」


 溢れ出すように、嘆きが奔流となって紡がれる。側近は深く項垂れ、顔を覆った。

「一体どうすれば良いのか、私には分かりませんでした。主君が死してなお、その忠実なるしもべは主君の命を遂行するべきなのでしょうか? 主君が二度と手の届かないところに行ってしまったとして、それでもその下知は残っているのでしょうか? 主君の命に逆らってでも主君のために動くことは、果たして僕にとって正しいのでしょうか? 私には分からない、私には……何も……。私はもう、ラダーム様のお心を知る術は何も残されていない、」

 うわごとのように呟いて、側近は奥歯を噛みしめた。



「昨晩、ラダーム様は私に命じました。――すぐにアジェンゼ大臣をここに呼んでこい、と」

「そんな夜中に、大臣を?」

 デルトが眉をひそめる。側近は頷いた。「私も驚きました。……しかし、ラダーム様のご様子はただ事ではなく、随分と焦っているように見えました」

 側近の表情は真剣で、とても嘘を語っているようには見えない。これが真実の証言かはすぐに分かるだろう。

「使者を立てようとした私を止めて、ラダーム様は決して誰にも言ってはならぬと命じたのです。お前が行けと。他の誰にも知られてはならないのだと仰いました。だから私は一人でアジェンゼ大臣の屋敷まで赴き、大臣に言伝を」

「それで、アジェンゼ大臣を呼んで、どうしたのだ」

「私には分かりません……。ラダーム様は大臣を部屋まで送ってくる必要はないと言いましたし、大臣も『すぐに行く』と言って私を帰しました。そして朝になってみれば、ラダーム様が……」


 側近が知るのはそこまでらしい。ラダームが何か訳ありな様子でアジェンゼを呼んだ。アジェンゼはすぐ行くと答えた。それだけだ。

(アジェンゼが関与しているのはほぼ確かか?)

 アジェンゼは小柄な男である。後ろ姿だけなら女性に見えないこともないだろう。……侍女の証言とも一致する。


「話してくれてありがとう。進展があったらまた報告する」

「……よろしくお願いします、」

 側近は深々と頭を下げた。ウォルテールは軽い礼でそれに応じ、素早く立ち上がる。


「行くぞ」

 声をかけると、デルトは慌てて追ってきた。

「ど、どこへ?」

「言わなくても分かるだろう。――アジェンゼ大臣のところだ」


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