4


 急ぎの伝令が来たのは、次の日の朝だった。何でも、城の裏手にある武器庫の鍵が壊れていたとかで、侵入者の可能性があるから責任者を呼ぶ必要があるということだった。

 年末最後の日に厄介ごとが持ち込まれたものである。ウォルテールは急いで馬を駆って、帝都の中央、城へと向かった。


「申し訳ございません……」

 項垂れる兵に、のちに始末書を提出するように指示をして、ウォルテールは件の武器庫へ急いだ。武器庫は、滅多に人の近寄らない奥まった場所にある。ふらりと通りかかった人間の目撃情報など望めるはずもなく、ウォルテールは思わず頭を掻いた。

「見張りは何をしていたんだ」

「それが……年末だったもので、下街の飲み屋でどんちゃん騒ぎしていたようで……。誰もいない時間帯があったとのことです」

 兵は酷く言いづらそうな様子で答えた。馬鹿か、と怒鳴りつけたくなるのを堪えて、ウォルテールは重いため息をつく。この兵がやったわけではない、叱責すべきは当事者である。減俸を心に決めて、彼は頭を掻いた。


 武器庫までたどり着いて、ウォルテールは腕を組んで唸った。両開きの重い鉄の扉、その中央に取り付けられた錠前が、壊され、ぶら下がっている。

「……見張りが戻ってきたときには、既に?」

「そのようです」

 ウォルテールは「ふむ」と息を漏らす。随分雑である。何か重いもので鍵を殴りつけたのだろうな、と、見ただけで分かる。犯人はそんなに焦っていたのだろうか?


「中に異変は?」

「不審物は何もありません。武器に関しては、現在帳簿と照らし合わせて確認しているところです。……今分かる時点で、短剣が一つなくなったようだと報告を受けています」

「なるほど。刃渡りはどの程度だ? 規定に引っかかる程度か」

 ウォルテールが問うと、傍らにいた兵は慌てて近くにいた部下を呼び止めて、小声で確認をする。それから「そのようです、おおよそこの程度の」と両手で長さを表す。

「そういうことか」

 ウォルテールは目を閉じ、長いため息をついた。


 帝都では、一定の長さ以上の刃物を購入する際には、届け出が必要である。軍部などいくつかの例外はあるが、大抵の場合、ある程度の長さを持った武器を入手すれば、必ず記録が残るようになっている。

「裏業者と関わるより、武器庫から盗む方が手っ取り早い……それとも、安全とでも思ったのか?」

 ウォルテールは後頭部をかきむしりながら舌打ちをする。そうと決まったわけではないが、何にせよ厄介ごとであることに変わりはない。わざわざ面倒なことをしてまで自分で動いた馬鹿がいたのだろう。


 結局、武器庫からなくなったのは短剣一本きりだった。それほど大騒ぎする被害でもない。どこかの馬鹿が違法に短剣をひとつ所持していることになるが、兵を総動員して探し出すほどのことでもない。

 後処理は部下に投げる。年末に可哀想だとは思ったが、文句は犯人に言って欲しい。



 肩を回しながら城の玄関に向かう。年末とあって、城内は閑散としている。確かに、侵入して良からぬことをはたらくなら、この時期が絶好の狙い目だろう。迷惑極まりないことだが。

「ウォルテール将軍、」

 さっさと長兄の屋敷へ戻ろうとしたウォルテールを呼び止めたのは、王女の奴隷――カナンだった。何やら大きな本を抱え、躊躇いを含む表情でウォルテールを見上げている。

「カナン」

 ウォルテールが眉を上げると、カナンはおずおずと本をウォルテールに向かって差し出した。思わずそれを受け取るが、表題はウォルテールには読めない文字である。

「これは?」

「……植物、図鑑、です」

 カナンは歯切れ悪く答えた。その様子に、ウォルテールは首を傾げる。


「ポネポセアは、確かに避妊薬、堕胎薬として使われることのある植物ですが、それは花ではありません」

「花じゃない?」

「はい」とカナンは頷いた。ウォルテールは突如降って湧いた情報に目を瞬く。

 カナンは真剣な表情でウォルテールを見上げ、早口に告げた。

「薬となるのは、ポネポセアの実。実のみが、そうした作用を持つ薬となるのだそうです」

 ウォルテールはしばらく呆気に取られて、その場に立ち尽くす。……それでは、リュナもクナエイアも、正しいことを言っていた訳か。ただ、『実が薬である』という一つの情報が抜けていただけで。


「何だ……ははは、馬鹿みたいだな」

 思わず力が抜けて、ウォルテールはその場にかがみ込んだ。額を押さえ、ため息交じりに肩を揺らして笑う。カナンは立ったまま、ウォルテールをじっと見下ろしていた。

「わざわざ調べてくれたのか? ……俺のために?」

 渡された植物図鑑を掲げてそう問うと、カナンは曖昧に頷く。あまり追究しては可哀想かと、ウォルテールは頬を緩めるだけに留めた。カナンとしても、自分がこのような行動に出ていることに困惑している様子である。恐れと恨み、不安と気遣いがない交ぜになった目をしていた。


「ありがとう。助かったよ」

 はっきりと告げてやると、カナンはようやく、ほんの僅かに体の力を抜いた。ほっとしたような表情に、年齢相応の幼さが浮かぶ。カナンはまだ十三……いや、もう十四か? せいぜいその程度、末の弟のヘルトと同じくらいである。


「その本に、ポネポセアについて載っています」とカナンはウォルテールに渡した図鑑を指し示す。手の中の表紙を見下ろして、ウォルテールは首を捻った。

「これはどこの言葉だ? 文字の形からして西方みたいだが……俺には読めないぞ」

 カナンはこの文字を読むことが出来るのか? 彼の祖国であるジェスタからは遠く離れた国の言葉だろう。カナンは眉をひそめ、答えたくなさそうな顔で立ち尽くした。

「ぜひ……ご家族、で、ご覧になって下さい」

 ややあって、カナンはつっかえつっかえ、それだけ呟いた。気遣いを無碍にするのも悪かろうとウォルテールは一応図鑑を受け取っておく。


「本当に感謝する。ありがとうな」

 小さな頭を撫で繰り回してやると、カナンは首を竦めて、どこか決まり悪そうに唇を尖らせた。不満げな表情に、ウォルテールは手を引っこめる。

 自分に向ける感情も複雑なものだろう。ウォルテールだって自覚している。

「良い子だ」

 そう言ってやると、カナンはぴくりと肩を震わせた。



 ***


 ルージェンの屋敷へ戻り、ウォルテールは先程カナンに教えられたことを手早く説明する。

「――だから、実際に『花』には何の効果もないし、ポネポセアが堕胎薬であるというのもまた事実だって訳です」

 ウォルテールがそう言うと、呆気に取られたような顔で、クナエイアとリュナが顔を見合わせた。まん丸にした目で、クナエイアがリュナを見つめる。リュナも負けじと目を見開いて、ぱちくりと瞬きを繰り返した。


「この図鑑に載っているそうですよ」と、カナンから受け取った図鑑を出すと、リュナが「まあ!」と胸の前で手を合わせた。

「ユレミア語を帝都で目にするだなんて」

 驚いたような表情の義姉に、ウォルテールは「読めるのですか?」と眉を上げる。「ええ」とリュナははしゃいだ自分を恥じるように頬を赤らめて頷いた。


「私は十七までユレミア王国――ああ、今は東ユレミア州でしたっけ――にいて、」

 そんなことを言いながら、リュナは図鑑の索引を指先で辿った。そうしてぱらりとページを繰って、迷いのない手つきで見開きを見つける。読めるというのは本当らしい。

「でも、中央に来てからは、地元の言葉なんて一度もお目にかかれなかったものだから……。少し嬉しくて」

 照れ笑いのようにはにかみながら、リュナは図鑑を反転させて、ウォルテールたちの方向に向ける。


 挿絵に色はつけられていないけれど、本物を見たばかりだから、その姿は容易に思い出せた。鮮やかな――そう、まるで血のように鮮やかな花である。花弁の縁は僅かに淡い色をしているが、それでも目を引く色合いだった。

「ええ、そう、ロウダン様の仰った通りです。――実は薬の材料になる」

 文章の一部を指でなぞりながら、リュナが苦笑交じりのため息を漏らす。

「私たち、何だか滑稽ね」

 その言葉に、ウォルテールは内心で深く頷いた。流石に堂々と態度に出しはしなかったが。



「……お義姉様、」

 クナエイアが、おずおずとリュナに呼びかけた。その表情たるや、まるで叱られる前の幼子だ。

「ごめ」

「ごめんなさい、クナエイアさん」

 クナエイアが皆まで言うより早く、リュナは素早く先手を打った。首を竦めて縮こまっているクナエイアの手を取り、眉を寄せて微笑む。そういった素早さは、いくら気弱でもやはり年長者である。


「せっかくお花を持ってきて下さったのに、私、曖昧な知識であなたを疑ったりして、」

「そ、そんなこと言うなら、私だって、配慮が足りなかったし、それに、何か……逆ギレしたし……」

 まあ、どちらも弁解の余地もないくらいにその通りである。ウォルテールは思わず長い息をつく。オーゼルとティーラが、やれやれと言わんばかりに顔を見合わせていた。



 ***


 年明け、ウォルテールはカナンに図鑑を返すべく、城内を闊歩していた。しかし、今日に限ってなかなかその姿が見当たらない。

 散々歩いてから、ふと思い当たって、ウォルテールは裏庭の奥まで足を伸ばした。以前、カナンに会ったとき、彼は王女の温室を目指していた。


 もしかしたら、という勘だったが、果たしてカナンはそこにいた。――エウラリカも一緒だったが。

 温室の中の音は、外には漏れてこない。美しき王女は温室の中に椅子と小さめの机を持ち込み、頬杖をついて何やら喋っているようだった。目線を流すようにしてカナンを眺め、頬を緩めて短く何か告げる。

 立ったまま植木鉢の前で作業をしているカナンは、エウラリカの視線には気づかないらしい。ウォルテールにはその表情は見えないが、カナンはいつも通りの、どこか困惑混じりの仏頂面をしているようだった。


 カナンが何事か応じると、エウラリカは楽しげに笑った。随分とご満悦らしい。

 ――すると、カナンが、小さく口角を上げた。見間違いか、とも思ったけれど、何度瞬きしても見えたものは変わらない。エウラリカを振り返り、カナンは苦笑した。その表情が、思いのほか柔らかいので、ウォルテールは思わず息を止めた。まるで、何か見てはいけないものを見てしまったかのような気分だった。


 ……と、そこで、王女の目が、温室の入り口の前で立ち尽くすウォルテールを見つける。それからすぐに、カナンの顔がこちらを向いた。透明な扉越しに目が合うと、カナンは仰天したように一歩下がる。


(そんな、化け物でも見たみたいな反応をしなくたって……)

 ウォルテールは頭を掻く。エウラリカが素早く椅子から立ち上がり、軽やかな足取りで近づいてくる。咄嗟に逃げ腰になるのを堪えて、ウォルテールはエウラリカを見下ろした。

「ようこそ、ウォルテール! 今日はどうしたの?」

 扉を開けて、エウラリカが目を輝かせる。外気が入り込んだのか、エウラリカはきゅっと肩をすぼめた。

「寒いから入っていったらいかが? 中はとっても暖かいのよ!」

 そう言って催促してくるエウラリカに、ウォルテールは慌てて「いえ、」と首を振る。中になんて入ってしまったら、エウラリカの相手をしなくてはいけなくなる。そんな面倒なことはしたくない。


「カナン、」

 エウラリカの頭を越えて呼びかけ、手招きをすると、カナンはおずおずと歩み寄ってくる。エウラリカはしばらく察しが悪く、ウォルテールの目の前に立って入り口を塞いだまま、ご機嫌でにこにこしていた。動こうとしないエウラリカの背後で、カナンが困ったように右往左往する。主人を押しのけるわけにもいかないのだろう。

 しばらくして、エウラリカは「寒いわね」と不満げに漏らして温室の奥に引っ込んだ。そうしてようやく、ウォルテールはカナンと向き直る。


「この間借りた本を返す。ありがとう」

 本を手渡すと、カナンは大人しく本を受け取った。胸の前で図鑑を抱えるようにしながら、カナンはじっとウォルテールを見上げる。

「……それと、これはちょっとした礼だ」

 声を潜めて、ウォルテールはエウラリカから隠れるようにしながら、小包をカナンに差し出す。幸い、エウラリカは既に興味を失ったように花を眺めており、こちらを見ている様子はない。カナンはおずおずとウォルテールを窺った。


「それは……?」

「大したものじゃない。小腹が空いたときにでも食ってくれ」

 高価な品はあげられないし、形の残るものをやっても持て余すだろう。そう思って、菓子を買ってきた。生ものではないからいつでも食べやすいはずだ。

「そんな、受け取るわけには」

「良いから。受け取って貰えなかったら捨てるぞ」

 そう言って脅すと、カナンは渋々手を出し、ウォルテールから小包を受け取った。その手に重みが加わったのを確認して、ウォルテールは柔らかい声で告げる。


「……『今年も良い年でありますように』、だったか」

 あまり得意ではないジェスタ語で語りかけると、カナンは弾かれたようにウォルテールを見上げた。呆然と瞬きを繰り返す少年の顔を眺めながら、ウォルテールは微笑む。

「ジェスタでは、そう言ってこれを食べるんだろう?」

 菓子の包みを指して言うと、カナンは目を見開いたまま小刻みに頷いた。中身が何であるのかを察したらしい。――新年菓子。新年を祝って焼き菓子を食べる、ジェスタの文化である。


 祖国の言葉に喜ぶリュナを見て、ふと思い出したのである。どうやら嫌ではなさそうだった。

「……あり、がとう、ございます」

 カナンは頬を綻ばせて、そう告げた。「大切に食べろよ」と頭を撫でると、僅かに頬を紅潮させて、少年は頷いた。



 用事が済んだのならさっさと撤退である。ウォルテールは踵を返そうとして、最後にエウラリカに視線をやった。エウラリカは温室の片隅でかがみ込み、一つの花の前でその花弁を指先でいじっている。

 その光景を目の当たりにして、ウォルテールは、大きく目を見開いた。


 王女が静かな表情で見据えているのは、赤い花弁を持つ、鮮やかな花である。それは、クナエイアが持ってきた花束と一緒の花で、今回の件で散々頭痛の種になってくれた植物だ。

(あれは、)

 ウォルテールは、クナエイアの花束を見たときに覚えた既視感を思い出した。背筋に冷たいものが走った。ほとんど戦慄と言っても良いような予感だった。


(――ポネポセア)


 近づいてはいけない、と、直感でそう思った。大股で温室から離れる。角を曲がる直前、ウォルテールは一度だけ振り返った。

 色とりどりの花に囲まれ、冬でも暖かなガラス張りのケースの中で、美しき王女は純真無垢そのものの表情で笑っていた。




 それから数日経った頃、第一王子が隣国を攻め落としたという報が入ってきた。となると、しばらく帝都を離れていたエウラリカの兄が凱旋することになる。

「厄介だな……」

 ウォルテールは独り言を漏らして、頭を掻いた。


 エウラリカの天敵とも言うべき第一王子が、自分のいぬ間に妹が従えた奴隷のことを、果たしてどう思うか。

「面倒なことにならなきゃいいが」とウォルテールはぼやき、自分用に一つ買ってあった菓子をかじった。

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