【第十二章】

【第十二章】


 一時、私と望は言葉を失った。

 いや、『一時』か? もしかしたら十秒間かもしれないし、十分間、いや、十時間だと言われても納得してしまうかもしれない。とっくに夜になっているはずだけれど。


 先に口を開いたのは、目もまた見開きっぱなしの望だった。


「あの、新山さん、これってもしかして……」


 私はおずおずと頷き、


「い、一応今日はバレンタインデーだから、好きな人にチョコレートを渡すものでしょう?」


 と言った。っていや待て待て待て。今、『好きな人』って言っちゃったよ⁉ 

 この言葉運びの危うさに気づいた時には、私は額から耳たぶから目玉から、全てが真っ赤に染まってしまったような感覚に襲われていた。


「……ごめん」


 この言葉は、私が発したものだ。


「一応、望くんのために作ったつもりなんだけど、こんな見てくれじゃプレゼントにならないよね」


 私は再び『ごめん』と言って望に背を向けようとした。その時だった。


「待ってよ、新山さん」


 穏やかな中に、やや焦りの籠った言葉。望のものに違いない。


「僕、今とっても嬉しいんだ」

「そう、だよね、私なんか……って、え?」


 私は、望の『嬉しい』という言葉を理解するのに、しばしの時間を要した。

 

「そ、それ、どういう意味?」


 半分だけ、踵を返す。


「そのまんまの意味、だけど。それとも新山さん、僕、悪いこと言ったかな……?」

「いや、そういうわけじゃ」

「じゃあ、改めて言うよ。新山さん、いや、詩織さん。僕はあなたから、プレゼントを貰えて嬉しいんだ。ありがとう」


 私は、先ほどとは違った種類の血が頭に昇ってくるのを感じた。それは激流ではなく、じんわりと全身を温めてくれるような優しさの籠ったものだ。


 熱に浮かされて頭の回らない私に向かい、望は言葉を続ける。


「先週だけど、先生に頼まれて、僕が即興でスピーチしたよね。自分の好きなものに一生懸命になれる人は素敵だ、って」


 無言で頷く私。


「僕、好きなことっていったら、読書くらいなんだ。本当はいろんなことを――スポーツとか音楽とかをやりたい、やってみたいって気持ちはあったんだけど。でも、そういう場に参加するだけの勇気がなかった。だからあのスピーチは、『僕にものめり込めるものがあればいいのに』っていう、自分に対する皮肉、かな。そんなものだったんだ」

「そう、なんだ」


 私が掠れた声を絞り出すと、望は一度、しっかりと首肯した。


「こんな僕だけど、いいのかい? 詩織さんからプレゼントだなんて」

「そんな!」


 私は身体の正面を望に向けた。びくっ、と望が怯む。


「プレゼントを貰っちゃいけないなんて、そんな馬鹿な話ないよ! 望くんはいっつも皆に優しくて、親切で、委員長としての行動力もあって……。どうして好きにならずにいられるって言うの⁉ この私が!」


 再びの沈黙。

 自分で自分が何を言っているのか、サッパリ分からない。だが、心にもないことは言葉に出るはずがないわけで。


 いつの間にか、先ほど以上に、私と望は顔を寄せ合っていた。しかし、お互いに距離を取ろうとはしない。私は望に訴えかける必要があったし、望もまた、そんな私の気持ちを汲もうと必死だったのだろう。


「そ、そうなんだ」


 ややどもりながら口を開く望。この期に及んで、ようやく私は、間近に迫った望の顔が緊張で張り詰めていることに気づいた。


「詩織さん、確かに僕は、ピストルとか大砲とか、苦手なものが多すぎるけど……。そんな僕でも、あの、えっと……」


 ど、どうしよう。これは望ではなく、私の胸中の声だ。だんだん小声になっていく望から距離を取ることはできないし、かと言ってこのままでは私の心臓が爆発しかねない。


 すると、望はゆっくりと、ラッピングのボロボロになったチョコレートを恭しく受け取り、こう言った。


「新山詩織さん、お付き合いする前提で、お友達になってくれますか」


 その一言は、見事に私の胸を撃ち抜いた。

 そんな。エアガンとはいえ、銃器を携帯しているのは私の方なのに。


 私は見事に被弾していた。純粋さという、望の発した弾丸によって。

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