【第九章】

【第九章】


 バレンタインデー当日。作戦決行日。

 いつもの私なら、この落ち着かない雰囲気に呑み込まれ、気まずい思いをしていいただろう。


 だが、今年は違う。私自身が、その雰囲気を醸し出す張本人でもあるのだ。当事者になってみたらみたで、私は自分がドラム式洗濯機に叩き込まれ、高速でもみくちゃにされていくような感覚に囚われていた。


 当然、真由美は休み。歩調を合わせたのか何なのか知らないが、綾も休みだという。

 援護なし。単独にて任務を完了せよ。そういうことらしい。


「って、何考えてんのよ私はッ!」


 突然声を張り上げた私に、少しばかり視線が集まる。が、それを気にしている場合ではない。この状況下で、未だにミリオタ的思考が抜けきらない自分に苛立つ。

 まあ、そんな気持ちでいる女子生徒は、私だけではなかったようだけれど。


 教科書を取り出しがてらに、そっと梱包済のチョコレートに触れる。頼んだぞ、私の究極兵器。


         ※


 そして、ついに放課後を迎えた。

 こうして当事者になってみると、皆がいかに殺気立っているかが分かる。いや、殺人を犯すのが目的でもあるまいに、とは思うのだけれど、私とて必死なのだ。


 私の視線の先で、望は友人と談笑している。急ぎの用はないらしい。では、一体どこで彼に合流し、ブツを渡すべきか。私が思案しだしたまさにその時、きーんこーんかーんこーん、とチャイムが鳴った。


《二年一組、新山詩織さん。至急放送室まで来てください。二年一組――》


 繰り返されるフレーズと、気遣わし気に私に刺さる視線。

 何だ? 何が起こっているんだ? 私は望から目を離せないというのに……!


 いや、待てよ。

 ここで放送室に行けば、私のバレンタイン作戦は台無しになる。もしかしたら、私は心のどこかで、それを願っていたのかもしれない。


 どうせ私なんて、彼には振り向いてもらえないんだ。


 そう思えばこそ、私は颯爽と皆の視線を振り切り、廊下へと歩み出すことができた。


「……」


 放送室、入り口。人の気配はあるが、出入りはない。私はすっと深呼吸してから、ドアをノック。失礼します、と言いながら、ゆっくりとドアノブを回す。


 直後、思いがけない力で、私の腕は拘束された。


「うあ!」


 そのまま放送室内に引っ張り込まれる。


「いててて……。って、何事⁉」

「安心しろ、詩織軍曹。これは貴官には明かされなかった、しかし作戦要綱に則った行動だ」


 薄暗い放送室を見渡すと、そこには私の腕を掴んでいる綾と、欠席しているはずの真由美が立っていた。


「あ、あんたたち、何やってんのよ!」

「いやー、それがさ、詩織」


 後頭部に手を遣りながら、綾が口を開く。


「やっぱあんた一人じゃ心細いかなあと思って。遠巻きに応援することにしたんだ」

「お、応援?」

「そーだよー、しおりん。私たちの仲じゃないのー」


 いつも通りの二人に、私は逆に慌ててしまう。


「で、でも綾は会議の時に怒って帰っちゃったし、それに真由美、あんた、風邪は……?」


 すると二人は顔を突き合わせ、けらけらと笑い出した。


「な、何よ! どうして友達を心配しているはずの私が、笑われなきゃいけないのよ!」

「いっやぁ、ごめんごめん。本当は、あたしが『作戦を下りる』って言ったの、ただの芝居だったんだよね」

「……は?」


 何? 芝居、とな?


「そーそー。私がねー、風邪を引いたっていうのも嘘だよー」


 いつもののんびり口調で言うなよ、『あれは嘘だ』ってか?

 

「まあまあ、落ち着いて話そうじゃないの」


 そう言って、綾は私にパイプ椅子を勧めた。

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