【第八章】
【第八章】
私はただただ、綾の後ろ姿を見送ることしかできなかった。ついでに言えば、バタン! と閉められる私の部屋の扉の音を聞くことしか。
悔しいとか悲しいとかムカつくとか、そんな感情は湧いてこない。
私の胸中を占めていた感情は一つ。『虚しさ』だ。
私の視界の隅で、真由美が烏龍茶をストローですすっている。
「あんまり気にしないでよ、しおりん」
カクカクとロボットにでもなったかのように、私は真由美の方へと目を向けた。
すると真由美もまた、いつになく真剣な――もっと言えば申し訳なさそうな表情で、私を見返してきた。
「嫌味にしか聞こえないかもしれないけど、私が彼と上手く付き合っていけてるのは、私の趣味が彼の邪魔にならないからなんだ」
真由美の趣味。裁縫やぬいぐるみ作成か。
「しおりんも、どこかで折り合いをつけなくちゃいけないと思うよ。自分の趣味を押し付けすぎちゃいけない。でも綾っちの言う通り、我慢が募ったらきっとしおりんと望くんの関係は悪くなっちゃう」
『恋愛って難しいよ、ほんと』――そう言う真由美の顔は、いつもの小動物じみた童顔ではなかった。強いて言えば、貫禄? のようなものが感じられる。経験者は語る、か。
「でも、望くんだって、本当はまだ心にゆとりがあるかもしれない。物騒なものが苦手なのは、私もおんなじだもの。それでも私は、しおりんや綾っちの友達でいられる。やっぱり優しいんだよ、しおりんも綾っちも」
真由美がそう言い終えた時、私は反射的に、と言ってもいい勢いで、
「真由美~!」
「ふわ!」
真由美に抱き着いていた。
「もう、しおりんったら甘えんぼさんなんだー」
「うう、だって……。ひっく、私……。綾の話聞いてたら自分でもわけ分かんなくなっちゃって……うえぇえ……」
「大丈夫だよ」
優しく私の頭を撫でる真由美。
「綾っちはあんなこと言ってたけど、私はしおりんの味方だから。もし不安だったら、私が付き添ってあげてもいいよ。ちゃんと渡すんでしょ? チョコレート」
「う……ぅん……」
真由美は眼鏡の蔓を上げ、縋りつく私を穏やかな瞳で見下ろした。
「さっきも言ったけど、趣味はどうあれ、しおりんはしおりん。だから、趣味のことで望くんの理解を得よう! なーんて考える必要はないんじゃないかな」
「むぅ……」
リア充め、言いたいことを散々言ってくれちゃって。でも、私はそれが不快なものには感じられなかった。恋人の有無という立場の違いよりも、友情が勝ったのだと思う。
「私から言えるのはこのくらいかなー。どんなチョコ渡すのかは、しおりんのみぞ知る、っていうところだからね。まあ、頑張ってよ」
「うん……うん!」
私は泣きはらした……というほど落涙していたわけではないけれど、ひとまず自分の目で真由美の瞳を見返し、何度もお礼の言葉を述べた。
※
そうして迎えたバレンタインデー前日の夜。
チョコレートをラッピングして鞄に忍ばせた私の下に、一通のLINEのメッセージが届いた。真由美からだ。
《しおりん、本当にごめん。風邪ひいちゃって……。明日は登校できないと思う》
私は、自分の身体が足先から砂塵になっていくような錯覚に囚われた。
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