【第二章】

【第二章】


 一週間前、午前八時。春雨高校・二年一組。


「はあ~~……」


 私は読んでいた文庫本を閉じ、机に上半身をもたれかけさせて顎をくっつけた。短めのツインテールが、力なく垂れる。


 今日は二月七日、月曜日。

 何でもない冬の日、と言えればどれほど気が楽になるだろう。しかし、時間とは容赦なく過ぎ去っていくものであり、逆に言えば、様々なイベントは否応なしに迫ってくる。

 例えば――。


「バレンタイン?」


 クラスの誰かが発したその一言。女子の声だ。いつもなら、その仲間内だけで収まるはずの言葉は、しかし今はクラス全体に染み入っていく。湖面に投げ入れられた小石の生み出す波紋のように。


 同時に、異性の間で視線が交錯する。

 憧れの彼or彼女は自分を見ていてくれるだろうか。

 あるいは、一体誰が誰に気があるのだろうか。


 しばし、緊張感が教室中を包み込む。しかし間もなく、キャッキャウフフという女子のざわめきによって、その凝り固まった空気は破砕される。


 いつもの雰囲気に戻った教室内、壁際後方の席から、私は真横にすっと視線を飛ばす。その先にいたのは、


「……」


 室内の喧騒を意に介さず、ずっと難しいハードカバーを読んでいる男子生徒が一人。

 私は顔を上げ、しばしその横顔に見入った。


 佐藤望。細身で背の低い、眼鏡の似合う草食性男子。私の、意中の相手だ。

 

 どうして彼に惹かれたのかは、自分でもよく分からない。一年生の頃からクラスが一緒で、彼の雰囲気――知的で、理性的で、包容力のありそうなところは好ましく思っていたのだが。

 って、これらが理由なのかな? 多分、そういうことになるんだと思う。


 私は机の上で腕を重ね、すぐに目を逸らす――ことができずに、しばらく活字を追う望の横顔を見つめ続けた。


 私の視界が塞がれたのは、速読家の彼が三ページ目を捲った時だった。


「むぐ!」

「何をボサッとしておるか、詩織軍曹!」


 被せられたのは、男物っぽい厚めのジャケット。普通の人間だったらイラッとくるところだろう。

 が、私は違う。掛けられた言葉の響きがいい。『軍曹』とな?


 私はニヤリ、と口元を歪め、ばさりとジャケットを放り出し、


「誰にものを言っている、綾伍長!」


 と言ってからすぐさま飛び退き、椅子の上に立ち上がった。右手には、反射的に机から抜いたエアガン、ベレッタ92が握られている。しかし、


「甘いな、詩織!」


 私がベレッタを掲げる直前、親友・北村綾の手にしたコルト・パイソンが、私の眉間をぴたりと捉えた。


「くっ……」


 戦術上有利な上方を取ったというのに、これでは、追い詰められたのはこちらの方だ。

 フッ、と不敵な笑みを浮かべる綾。


「ズドン」

「ぐあ!」


 私は怪我をしないよう、椅子から跳び下りてから首を仰け反らせ、そのままばったりと倒れ込んだ。

 薄く開いた瞳の向こうで、綾がコルトの銃口に息を吹きかける。そう言えば、どうして綾はリボルバーにこだわるんだろう? 

 そう問うべく、私が立ち上がろうとしたその時。


「ねーねー、二人共何してるのー?」

「あっ、真由美!」


 そこには、もう一人の親友である富坂真由美が立っていた。

 ポニーテールで長身の綾とは対照的に、丸顔に眼鏡をかけて、穏やかな表情で小首を傾げている。


「私が言えることじゃないかもしれないけどー、皆、引いてるよー?」

「あ」


 その時、私は目にしてしまった。望がこちらを見つめ、顔を引き攣らせているのを。

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