10 襲撃者

 騒動の後、こっぴどく荷運び屋達に怒られたが、その他は掃除とゲンコツで済んだのは不幸中の幸いであった。その日の夜、私は酔いが抜けず宿のベッドに横になっていた。




「サアラ、大丈夫?」




「ダメ……おろろろ」




 レイラの介抱もそうだが、洗面器がこんなにも頼もしい時が来るとは思ってもいなかった。止まらない吐き気にめまい、尋常ではない。疲れに効くとは何だったのか・・・。吐いているところを見て、思い出したのかレイラが言う。




「わたしもう一度水浴びしてくるね……」








 宿の裏には柵に覆われた川から引いた水浴び場がある。そこには蝋燭の明かりはあるものの、人気は無く、半分以上が闇に支配され、月明かりが照らす水面が光るだけの場所だった。




 服を脱ぎ、水浴び場へと足をつける。ブロンド髪を濡らし、その滑らかな肌はサラサラと水滴を流していく。匂うかもと体を嗅ぎ、重点的に洗っていた。


 ある程度洗い終わって体を濯いでいるとふいに足音が聞こえた気がした。


 私は入り口に向かって問いかける。




「サアラ?」




 足音が聞こえたのは気のせいだったのか、入り口には空虚のような静寂が拡がった。レイラは水の中に肩まで浸かり、じっと入り口の暗闇を見つめた。水面はキラキラと月明かりを反射しレイラを照らすが、心のざわめきは消えなかった。




「くしゅん!」




水に肩まで浸かっていたせいか体は冷え、このままでは風邪を引いてしまう。顔に水をかけ、意を決し水から上がる。 


 上がってみれば、どうということはなく、夜の静けさとゆっくりとした水面の揺らめきだけが残る。




「ほっ…」




 タオルを取り、体を拭こうとした時、レイラの背後に影が映る。その影は細いしましまのしっぽをなびかせギラギラとナイフを覗かせゆっくりとレイラに近づく。髪をたくし上げると同時に影の方へと目をやってしまう。




「きゃっ! だ……誰!?」




 前を隠し、問うが、影の主は問いかけには答えず、ナイフを突き立てる。ギラギラと輝く細い目で私を睨みつけジリジリと距離を詰める。そして男はナイフを私に向けて突進する!


 何とかスレスレで倒れ込む様にナイフを躱し、足をもつれさせながら入口へと必死に走る。しかし男は凄まじい速さで回り込み、ナイフを振り回した。


 紙一重で後ろによろけて躱すがナイフは胸を掠め持っていたタオルを無残にも裂く。そのまま後ろに崩れ落ち、私は無我夢中で側にあった風呂桶を投げつけた。


 男は応戦されると思っていなかったのか桶に当たり、後ろに倒れるも、すぐに立ち上がりナイフを構え直す。その時だった、勢いよく立ち上がった際に男を覆っていたローブがめくれ顔が露わになる。


 月明かりに照らされた、その男は荷運び屋のラトローであった。




「ラトローさん!? どうして!?」




「お前がいると、俺に明日は無いんだ!!」




私は走馬灯のように出来事を思い出し、そして昨日見た、通り魔のローブの先を思い出す。




「あの時の! 通り魔!?」




「やっぱり、わかってやがったか。死ね!」




ナイフを強く握りしめ、鋭い牙を剥き出しにしたラトローの姿に私は堪らず叫ぶ。




「誰か!! 誰か助けて!! サアラッ!」








 頭がガンガンする、私は横になっても収まらない吐き気に苦しんでいた。風に当たる為に窓から敷物布団の様に垂れ下がっていると、叫び声と大きな物音が聞こえてきた。そしてよく聞くと自分の名前を連呼している。頭が痛いし、自分の名前は大声で連呼されるしで、苛立ちが頂点に達するのは時間の問題だった。 


私は声のする方に一目散に向かった。水浴び場に到着するやいなや怒鳴り散らしてやろうと思いつつ乗り込む。




「うっせぇんだよ!! ボケ!」




私が怒鳴りこむと、そこには一糸纏わぬ姿のレイラに馬乗りになっているラトローの姿があった。




「なにやってんだ! テメェッ!」




私が殴りかかると、ラトローはレイラから飛び退き、私にナイフを突きつけてきた。




「来るな!」




「ふざけんじゃねぇ! この変態野郎!」




私はレイラに駆け寄り、身につけていたローブをタオル代わりに渡す。




「レイラ、大丈夫か?」




「大丈夫。少し掠っただけよ。それより……」




レイラはラトローを指差す。




「あいつが私の見た通り魔だったのよ、サアラ!」




「この変態野郎が!?」




「聞いちまったんなら仕方ねぇ。テメェもあの世に送ってやる! 」




と言い放った直後、ラトローは私めがけ、ナイフを構え突撃する。


 応戦するべく、左腕で思い切り殴りつける。しかしそこにはラトローの姿は無く、空を切る。




「後ろがガラ空きだぜ!」




 瞬間ラトローの姿はサアラの背後にあり、心臓めがけて襲いかかる!私は声を頼りに振り向き、辛うじて左腕を構えるとナイフがぶつかり甲高い金属音が響いた。




「このっ!! いつの間に!?」




 私は再度ラトローに拳を叩きつけるが、虚しくもラトローの残像を掴むだけだった。




「そんなトロい攻撃、俺に当たるとでも思ってんのか!」




サアラは声のする方向を向くがラトローの姿を捉える事が出来ない。そんなサアラを嘲笑うかの様にラトローは挑発を続ける。




「どこ見てんだ! 間抜けが!!」




 依然ラトローの姿を捉えられない私に渾身の蹴りが鳩尾に突き刺さる!




「がはっ!?」




 訳がわからないまま吹き飛ばされた。


 ラトローはナイフで止めを刺す為、間髪入れずサアラへ突進する。




「もらった!」




 一直線に向かってくるのを察知した私は苦し紛れで左腕を地面へと突き刺した。


その衝撃は凄まじく、地面は肩をゆするように揺れ、私は腕でラトローを乗せた地面ごと畳を返すようにひっくり返した。




「うわっ! なんだ!?」




 ラトローは地面を返されるなんて夢にも思ってなかったのだろう。回転する地面と一緒に吹き飛ばされた。そしてゴロゴロと転がり、建物の壁に頭をぶつける。




「ッ……!? いってぇ!」




 頭を押さえて隙を見せているラトローを見逃さず、すぐさま立ち上がり拳で殴りかかる。しかし殴りかかろうとした時に例の酔いが一気にこみ上げてきた。揺れる視界に止まらない吐き気、相手が隙を見せたというほんの少しの余裕が酔いを招いた。ふにゃふにゃになりながら割と必死に拳をラトローに向けて放った。




「うっぷ……このやろ~!」




ラトローはその様子を見て、当たっても大したことはないだろうと高をくくっているようだった。「ざまぁない」と馬鹿にしてきそうな目だった。一応ヘロヘロだがパンチはパンチということで頭をずらし、あっさりと躱す。しかし侮っていた事をラトローは知ることになった。


 私の放ったゆるゆるの拳は倒れるように壁へとぶつかった。普通ならコツンと当たって終わりだが何せ黄金の左腕だ。力は凄まじく壁を砂で作った城の様に易々とぶち抜いた。




「へっ!?」




 仰天し壊れた窓を二度見するラトローは焦った様子で倒れてくる私を押しのけ、勢いよく距離を空けた。




「なんなんだ? おまえ!?」




 オロオロとおびえ半分のラトローは指をさし、問いただしてくる。にらみ合いになっていると壁をぶち壊した音を聞きつけ、建物の持ち主が出てきた。




「なんだなんだ? 一体なんの音だ?」




その獣人は眠たそうに眼をこすりながら壊れた壁を見て、「家の壁がぁぁぁ!! 」と叫んでキョロキョロして、ずかずかと近くにいた私たちに詰め寄る。




「あんたらか! こんなことしたの! どうしてくれんだよ!!」




やってしまったと思ったけど、弁償もしたくないし、知らんぷりしたかった。そうだ! 私も音がしたからここに来たら穴が開いてて、そこにラトローがいたことにしよう! そうしよう。




「いや……私も音がして見てみたら穴が開いてたんっすよ~」




「そんなことあるか!俺だって音がしてすぐ来たんだぞ!」




「でも、こんな少女が壁をぶち破るなんて無理でしょ?」




少し乙女チックな声でアピールする。




「確かに……そりゃそうか」




そうなのだ。私はまだ18も来てない少女だ。今更ながらそう思った。本来なら壁なんてヒビすら入れられないような人間なのだ。少し自分で言って嫌になる。またそれを柄でもない乙女チックに言ったのが猶更きつかった。むかついたが壁の穴の言い訳の第二弾としてラトローになする話を続ける。




「そういや、そこのラトローが音がした時にいたよ」




そう言いラトローがいる方をおもむろに指をさす。




「ああ? ラトローだって? どこにいんだよ?」




 振り向いてラトローの方に向くとラトローの姿は無く、がらんと暗闇が広がっている。あの変態野郎はいつの間にか逃げていたのだ。レイラが声を出そうとしていたが一瞬で逃げてしまったようできょろきょろと周りを探していた。




「あの野郎……!」




 探すがラトローの姿は無かった。ほんっとうにイライラする。酔いで変態野郎を仕留め損なうわ。そのせいで吐き気はするわ。最悪だ……。


 ラトローがいなくなった水浴び場を三人は重い空気の中見つめるしかなかった。家主は場を切り出すように口を開く。




「とにかく、ヤジ馬なら帰った帰った! あとは警備隊に任せるから」




そう言い、私の肩を押し、帰るように促した。レイラが外に出ようとした時、獣人はエホンと大きく咳払いする。




「あんた、なんか着たほうがいいぜ」




「えっ? きゃっ!」




レイラは緊張からか文字通り布一枚羽織っていない格好で水浴び場から出ようとしていた。真っ赤なトマトのように頬を赤らめ、ぺたんとしゃがみ込んでしまった。


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