幕間 / スパイラルフォール
――私は、どこで間違えたのだろうか。
いや、この問いは恐らく正確ではない。それはきっとどこからでもなくて、多分どこからでもあり得ることなのだ。
失敗という終わり、間違いという価値判断は、結果によってもたらされるものだ。良いことと悪いことの境が曖昧なように、正しいか間違いかという議論は絶対的なものではないのである。
だから問うべきは「どこで」ではなく「なにを」。
私の今までが全て間違いだったとしても、その結末が訪れるまで、私は自らを間違いと断ずる必要はないのである。考えなければいけないのはこれからどうしていくか。その間違いをどう正していくかに他ならない。
だが。
私にはそれが出来ないのだ。どうしても、それが出来ないのだ。いつも、立ちはだかる壁がある。
私を取り巻くもの。全て。
私を構成するもの。何もかも。
私は、それを誰かの視界からでしか見られない。
私を私たらしめるものは、私の外に在る。
そのことを、理解していたつもりだった。事実、それで良かったのだ。
何者でもない誰かにとっての私。それを演じている私。その二つが背反だったのだから。私の十九年そうして生きてきたのだから。
それをない交ぜにしてしまった。隠してきた私が表の私を浸食しはじめた。じわじわと気付かないようにゆっくりと、私たちは熔けて一つになろうとした。
そうなっては手遅れ。戻ることも進むことも難しい。
戻るということは自分を殺すということだ。再び人形に成り果てて、かつての私を守っていく。それは死んだまま生きることと同義だ。いっそのこと死んだ方がマシに思えてくる。
進むということはやり直すということだ。再生産された私を受け入れて、もう一度始める試みだ。それは全てを壊すことを意味する。一ではなく0に戻す初期化。取り返しがつかない仕切り直し。そうする勇気も私にはない。
何をしなくても、時は流れていく。こうして思考している間にも、何処にも行けずに留まっている間にも、私を置き去りに進んでしまう。私の気持ちなんてお構いなしに世界はそのままであり続ける。遠くから私を呼び続ける。私はそこにいないのに。遠く遠く、ずっと前から、私はそこにいないのに。
そう。必要なのは、私ではない。私ではないのだ。そんなこと、分かりきっていたはずなのに。
ここまで考えて、ようやく最初に立てた問いに答えられる。
私の犯した間違い。
「なにを」の正体。
それは――
――生まれてきたことだ。
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