迷える子羊



「ミス・グッドマンね?」

「……天使のお迎え?」

「天使だけじゃないのが申し訳ないわ」


 アイリス・グッドマンは自宅前の階段に座り込んでいた。事前情報通りだ。


 彼女は私の呼びかけに顔を上げる。くすんだ金色の髪と瞳、小さく散ったそばかすが愛らしい。


 アイリスは私を見るや「天使だ」と言った。確かに、私はブロンドとブルーアイズの姿を借りているし、黒づくめのシェルウィンの雰囲気を和らげるために、白い服を着ている。人間の思う「天使」に近い格好をしているとはいえ、彼女の発言には驚いた。


「自分が死んだことに気付いてる……?」

「ええ。私、トラックに轢かれたんだもの。痛くなかったけど、生きてるわけないわ」


 彼女は自分が死んだことに気付いていた。非常に珍しい事例だ。現世に留まる魂は、大抵、自分の死に気付いていない。


「あの真っ黒スーツの男の人、誰?」

「私のバディ」

「あー……彼、ビートルズのファン?」

「ビートルズって?」

「神様はロックを許してないのね」


 アイリスはそう言っておかしそうに笑う。そんなアイリスの姿を見て、街灯のポールの影に隠れていたシェルウィンは「やあ」と往年の友人のように顔を出した。


「初めまして、ミス・グッドマン。僕はシェルウィン・F・ティレスタムだ。みんなはシープドッグ《シェルティ》って呼ぶ」

「会えて嬉しいわ、ミスタ・シェルティ」

「会えて嬉しいだなんて初めて言われたな」

「ああ、自己紹介がまだだったわね。私はメリル・エヴァンス。私達はあなたの魂を救うために天国と地獄から派遣された、」

羊飼メリーいと羊追いシェルティなんて素敵なバディね」


 アイリスの言葉に自分の顔が歪むのが分かる。そんな私に気付いたのだろう、シェルウィンが「ンン」と咳払いした。


「ミス・アイリス、申し訳ないね。彼女、そう呼ばれるのを酷く嫌ってるんだ」

「あら、そうなの。それはとんだ失礼を」

「可愛いだろ、僕の天使」

「お喋りはそこまでにして、本題に入ってもいいかしら?」


 シェルウィンに目配せをする。彼は小さく頷いて、仰々しく私へと手のひらを向けた。

 この男のサボり癖は今に始まったことではない。私は持参したファイルを開いた。


「改めまして、ミス・グッドマン。我々は迷える子羊案内所から派遣された天使と悪魔です。あなたの魂を救済しに来ました」


 私の言葉にアイリスは神妙に頷いている。その隣でシェルウィンが同じく熱心に頷いているのには触れない。つっこんだら負けだ。


 ニューヨークの住宅街、安アパートの立ち並ぶ裏道。成人した男女が三人座り込んでいれば目立ちそうなものだが、アイリスの姿は肉体を持つ者には見えない。

 私とシェルウィンだけなら、恋人の逢瀬に見えなくも無いだろう。


「ここにあなたが居ると……その、」

「大家さんが困る?」

「ええ、そうね。でも事故物件ってわけじゃないし……影響は、それだけじゃなくて、」


 金色の澄んだ瞳が私を見上げて来るのに、息が詰まる。綺麗な心。綺麗な魂。こんな純粋な女の子に事実を伝えれば、彼女が気に病むことなど業火を見るより明らかだ。


 泳ぐ視線。アイリスの肩越しに、シェルウィンが「行け、行け!」と拳を握っているのが見えた。人でなしめ。


「あなたの肉体が死んでからの三週間、この辺りは雨が1ミリも降ってないの」

「気温もだ。ここはニューヨークだってのに、全然下がらない。認知症のおばあちゃんがここをハワイだと勘違する恐れがあるし、ついでに言うとネズミが大量発生してる」

「そんなに気に病むことないわ。ただ、あなたの魂を苦痛から救いたい。ここに留まっている理由さえわかれば、すぐ天国に行ける」

「無理矢理連れてくことも出来るけどね」

「シェルウィン!」


 天使と悪魔に交互に話し掛けられ、アイリスが混乱しているのがわかる。シェルウィンを黙らせるべくそのネクタイを掴めば、降参するように彼は両手を上げた。


 しかし、時すでに遅し。心優しいアイリスは顔を真っ青にして呆然としている。


「……私、みんなに迷惑かけてるのね」

「人は誰しもそうよ。気に病むことない。心残りを思い出せばすぐに解決するわ」

「思い出せないの」


 思い出せないのよ。そう、震える声で呟いて、アイリスは両手で顔を覆った。


「自分がなぜここに居るのか分からないの。ここでただ、行き交う人達を見てるだけ。私、何も分からないの」

「まずはあなたの心残りを探すことからね。安直だけれど、恋人は?」

「居たけど。違う人と歩いてるのを見た」

「ワア、とんでもないクソ野郎だな!」


 死んでからまだ三週間だろ?そう言ってシェルウィンは腕を組む。どうしてこの男は、こうも死者を苦しめようとするのか。


「彼に復讐したいかい? 協力するよ」

「まさか。落ち込まれて永遠泣かれるよりよっぽどいいわ。彼の幸せを心から願ってる」

「じゃあ、ご両親の存在はどう? データではまだご存命とあるけれど」

「画家になるって言って家を出た時に勘当されたも同然なの。元気ならそれでいい」

「…………」

「メリー、今回も行き詰ったね」


 そう言ってシェルウィンは両腕を広げて点を仰ぐ。神よ、なんて叫びながら。


「天使さん、悪魔さん、お願い。無理矢理連れて行けるのなら、私を連れて行って。死んでまで誰かに迷惑をかけたくないわ」

「羊の要望はこうだけど?」


 どうする、メリーさん。シェルウィンの紫色の瞳がじっと私を見つめて来る。

 ええ、そうね。仕事は早く済ませたい。私だってそうよ。……だけど。


「聞いて、アイリス」


 そう、小さな少女の手を握る。死者の冷たい手のひら。誰にも触れられないまま、誰の目にも触れないまま、孤独を募らせるしかない哀れな魂の手。


「あなたの魂は今、現世に少しくっついたまま、ゆらゆら揺れてる。魂を現世から無理矢理剥がすことも出来る。でも、」

「死ぬほど痛い」

「ヘソの緒を無理矢理引きちぎるようなものなの。痛みを伴うし、傷を負う。血を流している魂を天国は受け入れないわ」

「死神の鎌はそれを引きちぎる専用器具なんだよね、あれね」

「シェルウィン、あなた少し黙ってて」


 両の人差し指を鉤爪のようにして軽快に語る男を黙らせる。そうして、目をまんまるにしているアイリスに向き直った。


「アイリス、私達に時間をちょうだい。何としてもあなたの心残りを探してみせる。天国へ連れていくと約束するわ」

「……でも、」

「悪くない所さ。平和ボケした天使と、毎日説教臭い話とラッパの音を聞くってやつ。ヒーリングミュージックは好きかい?」

「シェルウィン、黙ってて。気温や雨の事は気にしないで。上に掛け合ってみるし、少しの間ならその男がどうにかする」

「僕、雨は降らせられないよ」

「それに、人間はそんなに弱くないわ。私達は何百年もずっとそれを見て来た」

「確かに、ペストの大流行でも人類の7割は生き残ったわけだしね。案外しぶとい」

「シェルウィン、黙って。アイリス、」


 私はあなたを救いたい。そう、強く手を握った私に、アイリスは小さく頷いた。




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