4-3
「ついたよ」
バスに乗って連れてこられたのは一件の家だった。
そう言って中に入ろうとする杏華の背中を敷地の外から眺める。一軒家の小さくて簡素な門の前には表札があり、そこには『伊庭』と書かれていた。
「ほら、早く」
門の前で立ち尽くす合人の手を杏華は引く。そのまま鍵を開けて中に連れ込まれた。
「あの、伊庭さん? なんで」
「いいから、ついてきて」
靴を脱ぎ上がり框の上に立つと、帰宅の音に気づいたのか奥から一人の女性が顔を見せた。その顔つきは手を握る杏華にどこか似ていて、二人が親子関係にあることがわかる。
杏華の母親は、娘の姿を見た後、隣に立つ合人の顔を見て酷く驚いた顔をした。血の気が引き、引きつった表情を見せ、よく見れば僅かに身体が震えている。
「・・・・・・弟だよ、お母さん。彼のね。双子なんだ」
杏華の一言で母親は納得したのか、合人を見る目が変わる。しかしすぐに杏華へ視線を向けて言葉を交わし始めたが、杏華はその母親の言葉を遮って合人の手を引き、階段を上がり始めた。
「あの、いいんですか。その、お母さん」
「ん? ああ、まあ常識的に考えればお母さんの言いたいことも理解できる。なにせ景司のお葬式からその双子の弟を連れて帰ってきたんだからね。でもキミはあれ以上あそこにいてもきっと意味はない。なにも変わらない。なら、私と来たほうがキミのためになる。私はそう判断したんだよ」
「僕の、ため?」
「ああ。・・・・・・さ、入って」
階段を上がってすぐの部屋。そこに合人は通された。
部屋に入ってすぐ目に入ったのは壁に掛けられた一枚の絵だった。合人も知っている有名画家の絵。いわゆる複製画だ。そして隣には見たことがない一枚の白い花の絵が掛けられている。
「・・・・・・それ、景司の描いた絵だよ」
「――っ」
白い花の絵に合人が興味を持ったことがわかったのか、杏華が言った。合人もその言葉に驚きながらもう一度、絵を見る。
(・・・・・・確かに、これは景司の絵だ)
何回も見てきた。何回も自分の絵と比べてきた。だからこそ見間違うはずがない、景司の絵。タッチの癖や、色使い、それらは全て自分が知る中島景司の絵だった。
「私と景司はちょっとした繋がりがあってね。それで忙しい身であるのに、彼は私に一枚描いてくれたんだよ」
以前に景司と杏華が一緒にいるところを見たことがあるが、まさか絵を描いて送るほどの仲だったことに驚く。あのときはムキになって二人の関係性を疑ったが、もしや本当にそういう関係だったのだろうか。
(あの景司が忙しい中で絵を送ったからには、それなりに深い関係のはずだけど)
景司への絵の発注はすでに数年先まで埋まっているはずで、しかも一個人、ましてや一般家庭の学生が購入できるような金額ではない。それを持っていることからも『ちょっとした繋がり』とは到底思えないのだが。
しかもこれは世に出ていない一枚だ。景司が死んだことを加味しなくても、ファンやマニアなら喉から手が出るほど欲し、いくらでも金を積む人間が現われてもおかしくない。この絵には、それくらいの価値が今やある。
「じゃあ弟くん、ここに座って」
自分の知らない景司の絵に見入っていると、杏華はいつの間にかパソコンを起動させて合人を机に座らせた。その横に立ち、マウスを操作する。
「以前に私が動画投稿をしていること話したけれど、覚えているかい?」
「え? ええ、一応」
言われなければ忘れていたが、確かに以前そんな話を聞いた覚えがある。
「確か・・・・・・絵を描いて、その過程を投稿している・・・・・・でしたっけ?」
「うん、その通り。弟くん、これからそれをキミに見せる」
「え?」
杏華はここへ連れてくることが合人のためになると判断したと言っていた。しかし杏華の作成した動画を、完成した絵ではなく、その動画を合人が見ることのどこに、合人のためになることがあるのかわからない。
杏華だって合人の疑問には気づいているだろう。だがあえてなにも言わずに無言でマウスを動かした。
やがて、動画投稿サイトのホーム画面に行き着き、杏華は自分が開設したチャンネルを開いた。
投稿者の名前は――。
「『半分だけの画家』?」
「・・・・・・これを見て」
合人の言葉には答えず、杏華は一つの動画を再生した。
画面が変わり、そこに映っているのは真っ白なキャンパス、筆に絵の具。そして、その隣には一人の人間が立っている。
『みなさんこんにちは! 私は半分だけの画家。これから絵を描いて、その過程を投稿しようと思います! 絵の描き方や疑問質問なんかも受け付けますので、良かったらコメント欄に書いてくださいねーっ!』
言いながら大仰な素振りで手を振るその人物はサーカスのピエロを連想させた。
長袖長ズボンに白の手袋、さらに頭からすっぽりとかぶり物をして顔を隠している。人肌が一切露出しない出で立ちのその人物は、姿を見ただけでは性別すらも判断できない。
『それじゃあ、はじめまーすっ』
最後にカメラに手を振り、ピエロは椅子に座って絵を描き始める。するとカメラのアングルが切り替わり、キャンパスと絵を描いているピエロの手元だけが映る。
すると映像は早送り動画に変わり、もの凄い早さでピエロが絵を描き始めた。動画の再生時間は数分たらずだが、実際の時間ではその何倍もの時間が流れ、絵を描いているのだろう。
『はい、今日はここまででーす。見てくれてありがとーっ』
動画時間で五分ほど絵を描き続けると、カメラアングルは最初の時と同じになりピエロの全身が映る。その中でピエロはまた大仰な素振りで頭を下げて手を振った。
『今日は第一回目だからここで終わりだけど、次からは寄せられた質問に答えたり、ポイントで動画を止めてコツを教えたりしていくよ! それじゃ、まったねーっ』
ブンブンと大きく手を振り、また画面が切り替わる。最後に『チャンネル登録よっろしくねーっ』と文字が表示され、動画は終わった。
「・・・・・・あの?」
「じゃ、次」
これを見せていったい杏華はなにをしたいのか。というか、そもそもこれはなんなのか。意味がわからないまま次の動画が再生される。
これが合人のためになること? わけがわからないが杏華の無言の圧力に負けて画面に視線を戻した。
『半分だけの画家、アート教室にようこそ! 今回は前回の動画でも話したとおり、質問やコツを交えながら絵を描いていくよ!』
パソコンの画面の中ではピエロがテンション高めに宣言し、一回目の動画と同様に画面が切り替わった。違っていたのは宣言通りに途中で動画を止めてコツを話したり、合間合間に視聴者からの質問に答えていたことだ。
『えー、じゃあ質問に答えるよ。なになに。画家さんの性別を教えてください、年齢はいくつですか、だって。でも残念。個人情報は教えることはできません! ついでに答えると、その格好暑くないんですか、とか、脱いだほうが描きやすくないですか、とかって質問も多数ありました。でも個人情報保護のため、暑くても描きにくくでも我慢します!』
ピエロは大げさに頭を下げると、顔だけを上げて眼前で両手を合わせた。
「・・・・・・ていうかこれ、伊庭さんですよね、中身」
「あれ、気づいたかい? かなりキャラ変えてるんだけど」
「気づいたっていうか、状況証拠と声とかで」
杏華が動画撮影をしていることは知っていたし、声も杏華だと分かっていて聞けばそれは間違いなく杏華のものだ。キャラはかなり変わっていて、もう普段の杏華の面影は皆無だが、演じることで様変わりする人間もいるし、顔や素性がバレているわけではないのでどんなキャラを演じてもリアルの杏華になにかしらの不都合が生じることは少ないだろう。その安心感から普段とは真逆のありえないキャラを演じているのだ。
だが事情を知っていれば別だ。むしろこの状況でわからないわけがない。
(このタイミングだしな)
景司の葬式を抜け出してまで見せているものだ。合人はもちろん、杏華にだってまったく関係のないものということはない。
『それじゃあ、今日はここまで! また次回も見てねーっ』
そうこうしているうちに二回目の動画も終わる。杏華は無言で次の動画を再生した。
三回目の動画が始まり、ハイテンションの挨拶をして絵を描き始める。早送りが止まったところで絵に関するコツを話し、ところどころで質問へ解答していく。
『それじゃあ質問に答えるよ。画家さんが悩んでいることはありますか? だって。答えはもちろん、です。いくら私でも悩みくらいありますよ! 最近一番の悩みは、弟と不仲になっていることですね!』
「・・・・・・弟、いるんですね、伊庭さん」
「・・・・・・」
杏華は答えない。ただ黙って、画面を見つめている。
『ケンカ、とかしたわけじゃないんですよ。いつの間にか話す時間や一緒にいる時間が減って、気づいたらお互いに引き返せないところまできていた、って感じです。謝りたいんだけど、まあ、できない理由があって。どうしても辛く当たってしまってね』
それはとても親近感が湧くような話で、「ああ、どこの家庭もそんなものなんだな」と合人に思わせた。
動画は十分程度に纏められた短いものだ。その十分の中で絵を描き、コツを話して、質問にまで答えていれば、当然、絵の仕上がるペースは遅くなる。
まだどんな絵が完成するのかわからない。ピエロが話している書き方のコツは確かにためになるものばかりだが、実際に絵を描いている人間以外には特に面白くもない話なのではないだろうか。
「この頃はね、動画の再生数が伸びなくて。チャンネル登録数も全然増えなくて。あまり人に見てもらえなかったんだ」
と、杏華は今まさに合人が疑問に思ったことに解答をくれた。
言われて再生数や登録数を確認してみる。が、杏華の言葉とは裏腹にその再生数と登録数は桁違いの数をたたき出していた。
思わず目を凝らして数字を確認するが、やはり間違いではない。
「でもあるときから。絵が仕上がり始めるにつれて、少しずつこのチャンネルは話題になっていったんだ」
次の動画が始まる。
内容に変化はない。
だが絵は少しずつ仕上がっていく。そして少し面白かったのが、弟との不仲を悩んでいたピエロに対して、視聴者からアドバイスが送られるようになったことだ。
絵を描いて、コツを話して、質問に答えて。そして動画内ではピエロと弟とを仲直りさせようという動きが始まっていた。不仲になった事情を訊き、ピエロは答えられる範囲でそれに答え、視聴者も答えられる範囲でアドバイスをしていく。
だが絵は完成に近づいていくのに、ピエロと弟の仲はまるっきり進展しない様子だった。
『今日も弟と言い争いになってしまったんだよー。つい、どうしようもなくて酷い言葉をかけてしまった。ごめんね、弟』
『最近、弟の帰りがとても遅いんだよね。田舎とはいえ、日付が変わる頃まで帰らないのはとても心配だよ』
『私が絵を描くきっかけになったのは弟なんだー。弟ともよく一緒に絵を描いていたんだよ』
回を重ねるごとにそうしたピエロの弟談義は進んでいく。ここまで来ると動画の時間が五分ほど延び、その五分がまるまるピエロと弟の不仲をどうやったら解消できるのかというコーナーになっていた。
最初はなんてことのない質問でそれに答えただけだった。しかしその質問と答えはやがて一つのコーナーになるまでに発展した。これが、この動画の数字が伸びた理由なのだろうか。
(いや、違う・・・・・・。理由は、そんなんじゃ・・・・・・)
コメント欄を見れば確かに二人の仲についてのコメントもある。だがこの動画はそもそも絵を描くための動画だ。視聴する人間も、ピエロの描く絵を見たくて動画を見ているはずだし、現に一番多いコメントはやはり絵に関するものだ。
質問に始まり、徐々に仕上がっていく絵に対する賛美。それが圧倒的に多い。
そう、それは合人も気づいていた。
ピエロの描く絵は素晴らしく美しい。
まだ途中だというのに、人の目を惹き、心を掴み、その完成を想像して心踊らせる。この絵は、そんな魔力のようなものを持つ絵だ。
そして、合人はそんな絵を知っている。
きっと誰よりも、そんな絵のことを知っている――。
「・・・・・・なにか気づいたことはあるかい?」
「・・・・・・っ」
杏華の言葉に答えることができない。明確な答えがもう自分の中にはあるのに、それを形にして声にして認めることができない。
また、次の動画が再生される。
『画家さんは弟さんと仲直りできたらなにがしたいですか? かー。もちろん、一緒に絵を描きたいんだ』
「――っ」
『なににも囚われず、自由に、好きな絵を、弟と一緒に描く。今、私が一番望んでいるのはそれなんだー。だって、弟と絵を描いていたあのときが一番楽しかったから。二人で絵を描いてさえいれば、他のなんにもいらなかったから』
「・・・・・・っ」
『だから願わくば、もう一度だけでもいいから弟と絵を描くことができますように。二人で一枚の絵を完成させることができますように』
と、そこまで言って動画は終わる。
「・・・・・・とりあえずだけど、次が最後の動画だよ」
動画の本数はまだまだある。だが杏華が最後の言った以上、本当に次で区切りになるのだろう。
最後の動画が、始まった。
画面の中でピエロが絵を描いていく。そしていつものようにコツと質問を挟み、そしてついにそのときが訪れた。
『これで、完成。見てくれたみなさん、長々と付き合ってくれてありがとう! これで一つの絵は完成したけど、また次回からは別の絵を描いていこうと思うので、そのときはまたよろしくね!』
そう言って完成した絵が画面一杯に映し出された。
「・・・・・・これで、完成?」
「・・・・・・そうだよ」
完成した絵は確かに美しい風景画だった。でも合人は違和感を覚えていた。なにか違う。なにかが足りない。そう感じる。
いや、絵自体のクオリティは凄まじい。これだけでも人を惹きつけ魅了する力を秘めている。だが、違うと思う。
「そんな・・・・・・。だって、だって、この絵は――。この絵を描いたのは!」
叫び、杏華を見る。杏華ももう隠す気はないのだろう。真っ直ぐに合人を見返し、告げた。
「そう、これを描いたのは――景司だ」
誰よりも景司の絵を見てきた。景司のように絵を描きたくて、景司の技術やセンスが欲しくて、景司の絵をずっと見てきた。
だからこそわかる。絵のタッチ、色使い、癖、構図、絵の描き方のなにもかもが、真実をずっと語っていた。
「だったら、これで完成なんて・・・・・・そんなことあるわけ・・・・・・」
「さすが、わかるんだね、キミも。確かにこれは未完成の作品だ。でも、完成した作品とも言える」
「どういう・・・・・・?」
「この絵はね、あえて一つ足りないものを残しているんだ。それを描き込むことで、この絵は真に完成する。でも景司は描かなかった。いや、描けなかった」
「どうして、景司は」
「彼は言っていたよ。『それは、僕の役目じゃない。僕には描けない』って」
意味がわからなかった。
景司ほどの画家に描けないものなんてあるのだろうか。だいたい、口ぶりからするに景司はその足りないなにかに気づいている。気づいているのなら、描けるはずだ。
「弟くん、もう少し私に付き合ってほしい。見せたいものがあるんだ」
言って杏華は再び合人の手を引いた。
動画のことも、絵のことも、足りないなにかのことも。合人は何一つ意味がわからないまま、頭がぐちゃぐちゃしたまま、手を引かれるままに部屋を後にした。
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