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 筆を置き、時計を見る。

 0時に廃団地に来て欲しい。

 双子の弟にそう頼まれ、了承した。時間に間に合うように行くのならそろそろ家を出なくてはいけない。

 自分の時間のほぼ全てを絵を描くことに費やす景司にとって、このアトリエは自分の私室も同然だ。かつて私室にあった私物の半分以上はすでにこのアトリエに持ち込まれており、私服のいくつかもこのアトリエにある。

 両親はまだ起きているだろう。三階の私室に戻るためには、どうしてもリビングのある二階を通らなくてはいけない。そうなれば両親に見つかる可能性がある。

 景司はアトリエの中にある私服に着替え、物音を立てないようにそっと家を出た。

 夏とはいえ日付が変わろうかというこの時間はさすがに肌寒い。空を見上げれば澄んだ星空が広がり、月が煌々と輝いている。

 プロの画家として活動するようになってから、学校以外の時間は絵を描いている景司にとって、夜中に外出することはまずない。夜の空気の匂いや音、肌を撫でる風の感触にらしくもなく心が高揚していた。

「・・・・・・」

 ふと、合人の顔が浮かぶ。

 自分とは正反対の世界で生きる双子の弟。この夜の世界は、合人の世界、合人の領域だ。いつもどこかへ出かけていていない合人は、この世界のどこかで過ごしていたのだと改めて知った。

 ずっと嫌われていると、憎まれていると思っていた。それは合人の態度からも明らかだったし、家に寄りつかないのもそのためだ。でもそれは当然で、そうなってもなんら不思議はない扱いを景司と両親はしてきた。

 だから合人がアトリエに訪れたときは素直に驚いた。家にいる時間すら極端に少ないのに、まさか自分が絵を描いているアトリエに足を運ぶことがあるなんて考えたこともなった。

「ましてや、あの合人が僕にお願いとはね・・・・・・」

 アトリエに来たことも、お願いがあると言ったことも、頭を下げたことも、なにもかもが意外だ。合人が家族に対してそんな行動をとるなんて、一生ありえないと思っていたくらいだ。

 しかし逆に言えばそれだけのことが今、合人の身には起きているということになる。

(本当なら、合人のお願いは聞きたくないんだけどな)

 だが景司は了承した。

 自分の立場や状況を考えれば、深夜に人気のない廃団地に出向くなどあってはならない。そんな暇があるのなら絵を描くべきだ。今から戻って筆を握ったほうがいい。

しかし景司の足は止まらない。

夜の街、自分とは縁遠い世界の中を、景司は真っ直ぐに歩く。

一歩一歩、弟の世界を感じるように――。

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