3-2

 目的地につくまでタクシーの運転手は終始、訝しむような視線を向けていた。それはそうだろう、ぐったりと意識のない女の子を、子供とはいえ男の子が山にある人気のない廃団地の近くへ連れて行ってくれと言うのだ。良からぬ想像を働かされてしまうのは無理もない。

 だが幸いにして運転手は目的地で合人たちを下ろすとそのまま去って行った。

 合人は再びエミリーを担いで廃団地の、比較的、損傷の少ない部屋へと連れ込み、部屋の中の太陽の光が当たらない場所にエミリーを寝かせた。

「・・・・・・ごめん、ね、合人・・・・・・」

「エミリー!」

 目が覚めたらしいエミリーが力のない声を発する。とっさに手を握り彼女の顔を覗き込んだ。

「エミリー、なにが・・・・・・」

 体調の優れない、異変の起こっているエミリーを喋らせることが酷であることは理解しているが、今この場で吸血鬼についてもっとも詳しいのは当人だ。なにか手を打つためにも頑張って少しでもいいから話をしてもらわないといけない。

「・・・・・・わたしね、合人に黙ってたこと、あるんだ」

「え?」

 太陽の光に当たっていなくてもエミリーは苦しそうな表情のままだ。合人にはわからない痛みや苦しみに苛まれている可能性は高い。だがそんな中でもエミリーはずっと握っていた合人の手を握り返す。それはとても弱々しいものだったが、たったそれだけの行為にエミリーの気持ち、決意のようなものを感じた。

 黙っていたことがある。つまり今、話を聞いてほしい――と。

「前に、吸血鬼について話したこと、あったよね・・・・・・。吸血鬼は、不老、だけど、死ぬこともある・・・・・・って」

「うん・・・・・・」

 それは確かエミリーと出会って直ぐのときだ。

 そのときは特別になにかを感じたことはなかった。だがエミリーのことを、吸血鬼のことを多少は知った今になって思えば、少し不自然なことに気づく。

 吸血鬼は肌が焼かれ、爛れ、死にたくなるような痛みを受け続けても、その特性によって身体は再生していく。どんなに酷い怪我も病気も、吸血鬼の前では無力に等しい。

 なら、吸血鬼が死ぬ方法とはなんなのか。

 怪我でも病気でも、ましてや太陽の光でもないのなら、いったい――。

「吸血鬼にも、ね・・・・・・寿命ってものが、あるんだよ」

「寿、命・・・・・・?」

 それは吸血鬼には一番似つかわしくない単語に思えた。

 寿命とは一般的に老いて死ぬまでの時間のことだ。だが吸血鬼にはその老いがない。ならば寿命など、吸血鬼には関係のないことのはず。

「人間の寿命、は・・・・・・個人個人によって違う、けど・・・・・・。吸血鬼、の寿命は、みんな同じなの・・・・・・」

「寿命が、同じ・・・・・・?」

 エミリーの手にまた少しだけ力がこもった。

 それはとても弱々しい力だが、今度もまたエミリーがどんな気持ちでいるのかなんとなくわかった。

 言いにくいこと、言いたくないことを、これから彼女は口にしようとしている。

「吸血鬼の寿命、はね・・・・・・――百年。吸血鬼は、百歳になったら、死んじゃうんだ」

「・・・・・・ぇ」

 掠れた声が口から出た。いや、そんな乾いた声しか出なかったのだ。

「吸血鬼は、百歳の誕生日を、迎えた日・・・・・・身体が・・・・・・灰になって、死ぬの」

「――っ!」

 今度は声すら出せない。

 だってもし、もしもエミリーの言っていることが本当なら。

「そんな・・・・・・嘘、でしょ?」

 合人がなんとか絞り出した言葉に、エミリーは力なく首を振る。

「だってさ、吸血鬼が本当に不老不死、なら、今頃・・・・・・世界は、吸血鬼で溢れ、かえってるよ・・・・・・」

 あはは、と笑う声にはやっぱり力がない。そしてそんなエミリーの状態が、彼女の言葉が本当であると裏付けていく。

 エミリーの言っていることは本当だ。否定したくても、今の状況が、彼女の言葉がそれを許してはくれない。

 だが、それは――つまり――・・・・・・。

「だって、そんな・・・・・・エミリーは、だって・・・・・・っ」

 エミリーと初めて話をした日。そのときの会話を思い出す。やりとりを思い出す。

 合人はエミリーの年齢を聞いて、思っていた以上の年上で、それを思わず指摘しそうになり、殺意すら感じるような視線で射貫かれた。

 言っていた。

 エミリーは、言っていた。

「エミリーは、だって・・・・・・っ」

「うん」

 力なくエミリーが言い、目を閉じる。

 そして。

「わたしは今、九十九歳。百歳の、誕生日は・・・・・・一週間後――」

 今が夏だと忘れさせるほどの悪寒。熱いはずの空気すら肌を刺すような冷たさに変わる。

「今の、これはさ・・・・・・。寿命が近づいた、吸血鬼の身体の、変化・・・・・・」

 一週間後のエミリーの誕生日。

 ただの人間ならお祝いにパーティでも開くはずの誕生日。しかし、エミリーにとってのその日は――。

 人間はいつ死ぬかわからない。だがきっと、自分の死期を明確に理解して生きている人間はそうはいなし、自分が死ぬときのことなんて真剣に考えてはいないだろう。

 でも吸血鬼は違うのだ。明確に、生まれてから百年で、百歳の誕生日で命が尽きることを定められている。自分が死ぬときのことがその瞳に映っている。

「わたしは、吸血鬼は、自分の死ぬ日が決まっている・・・・・・。だからそれまでに、わたしは人間に、なりたかった。たとえ寿命が、吸血鬼よりも短くなっても、それでも、少しでも、人間として生きて、死ねたら・・・・・・って」

 また、あはは、と笑う。しかし今度は弱々しい笑顔すら、浮かべることができていない。

「合人のおかげ、で、人間に戻れた。でもやっぱり、わたしは、吸血鬼だったみたい。この運命からは、逃れられないみたいだよ」

 そしてもう、言葉で笑うことすら、なくなった・・・・・・。

 合人の血でエミリーは変わったはずだった。

 人間に戻ったエミリーが今後どうなるかは二人にもわからないが、それでも合人と同じように歳を取り、そして死んでいくのだと漠然と考えていたし、それが人間というものだ。

(僕が、エミリーを変えられるはずだった。僕がエミリーの願いを叶えられるはずだった・・・・・・)

 特別になれたと思った。

 今でこそ絵や両親、景司にについて後ろ向きな気持ちは薄れたが、それでも自分は特別だとエミリーが認めてくれたことは今でも嬉しく思っている。

 でももしかしたら、違ったのかもしれない。

 エミリーの語った都市伝説。その中で吸血鬼は完全に人間となってその後の人生を生きていた。

 その吸血鬼を変えた人間は、その吸血鬼にとってはやっぱり特別な存在だったに違いない。その後二人がどういう生き方をしたのかはわからないが、それでも特別であることは間違いなかった。

 そんな特別な存在に、合人はなれたと思った。

 エミリーの特別に、なれたと思った。

(でも僕は、違った・・・・・・っ。やっぱり僕なんかじゃ、特別にはなれなかった!)

 エミリーは否定するだろう。合人は特別だと言ってくれるだろう。

 でも現に今、エミリーは苦しんでいた。寿命は間近に迫っていた。

 もしも合人がエミリーにとっての特別になれていたら。合人の血が、都市伝説の通りのものだったのなら。

(なにが、いけないんだ・・・・・・っ)

 きっと、なにがいけなかった、なんてことはないのだろう。なにかをすれば、なにかを成せば、合人の血が変質するわけではないのだ。

 言うなれば生まれ持ってのもの。

 合人の血は確かにエミリーを人間にした。しかしそれは一日も保たない半端なものであり、彼女を吸血鬼という運命から解放するまでには至らないものだった。

 違ったのだ。

 エミリーが真に求めていた血の持ち主は、合人ではなかったのだ。

 どれだけ言葉を重ねても、きっとそれが真実だ。

 中島合人は、真の意味でエミリー・ニールの特別ではなかった――。

「・・・・・・あ、いと・・・・・・?」

(どうしたらいい、なにか、方法は・・・・・・っ)

 考える。エミリーの言葉すら届かないほど真剣に。

(片っ端から吸血を・・・・・・)

 思い立ってすぐにその考えを振り払う。

 どれがエミリーにとっての当たりなのかまるでわからないのだ。一週間という時間は短すぎるし、なにより人を襲うマネ、エミリー自身が嫌がるだろう。

 じゃあどうするのか。頭を捻るが、解決策は浮かばない。時間も、吸血鬼についての知識も、合人には圧倒的に足りていないのだ。

(僕が、特別じゃないから――。僕が――)

 答えが見つからず焦りだけが先に立つ。そしてその焦りは僅かに残っていた冷静さをかき消して、ついにはなにも考えられなくなり、合人はただただ自分を責めた。

 特別じゃない。自分は特別じゃない。だからエミリーを救うことができない。

 ただひたすらに、そう思い詰めていた。

「・・・・・・・・・・・・っ」

 が、結果的にそれが良かったのかもしれない。

 ふいに一つの考えが浮かんだ。

「そうだ、エミリー!」

 自分は特別じゃない。なにももっていない無能だ。

 そう、それは散々言われてきたことだった。

 では、それは誰に?

 決まっている。

 教師や、クラスメイトや、親。

 そして――双子の兄に。

 景司は持っている。合人にはない才能を。特別なものを。

「景司なら・・・・・・。景司の、血なら・・・・・・っ!」

 特別で、そして合人と双子である兄。

 遺伝的にとても近い景司の血なら、合人と同じ効果を期待できるかもしれない。そして自分とは違う特別な存在である景司の血なら、あるいは――。

 たった一つの光明が、確かにそこには存在していた。

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