3-1

 夏休みになった。

 とはいえ、合人はしばらくの間、学校に顔を出していないので、気づけば夏休み期間に入っていたというのが正しく、特に開放感に包まれるようなことはなかった。

 あれから家族とはロクに口をきいていない。今まで以上に家に寄りつかなくなり、言葉どころか顔を合わせることすらほとんどなかったし、スマホの電源も切ってなるべく関係を断つようにしていた。

 その間にしていたことといえば、それは今までと変わらない。

 エミリーに血を与え、昼間は彼女の望みを叶え、夜は廃団地でエミリーと話す。そんな生活を繰り返して過ごした。

 ただ、あれ以来、絵を描くことだけはなくなっていた。

 そうして夏休みも半分ほどが過ぎた、八月の中旬。

「うーん、もうこれといって特にやりたいことはないんだよねぇ」

 いつものように、今日はどこでなにをしたいかをエミリーに尋ねると、首を傾げながら彼女は言った。

「なにか特別なことがしたかったわけじゃないんだ。ただ、普通の人と同じような生活が送れたらそれで良かっただけだからさ」

 エミリーの目的を考えれば確かにそうだろう。

 過剰な刺激なんてエミリーは求めていない。ただ単に、誰もが当たり前にしていることを、自分が失ってしまった人間としての当たり前を、少しでも多く取り戻したいと願っていたのだ。

 だからこうして普通に遊び、街の中でできる一通りのことを経験してしまえば、必然としてエミリーの願望は叶えられたことになる。

「でもね、合人。最後に一つだけどうしても行きたい場所があるんだ」

「いいよ。どこにだって連れて行く」

 エミリーが笑顔でいることだけが合人の支えだ。彼女の願いを叶えることで、合人の空いた心の穴も満たされていた。

 どこでもいい、なんだっていい。多少の無茶くらいなんでもない。

(だから僕に、キミの願いを叶えさせてくれ)

 縋るような気持ちを隠し、合人はエミリーに連れられて歩き出す。

 目的地ははっきりと決まっているらしく、しかしその場所をエミリーは教えてはくれなかった。なんてことのない話をしながら、ただひたすらエミリーの隣を歩いた。

 しばらく歩くと目的地は見えてくる。方角的に数年前にできたショッピングモールに向かっているのだろう。

 田舎の町にできたショッピングモールにしてはかなりの大型で、映画館やゲームセンター、ボウリング場などのレジャー施設はもちろん、服やアクセサリー、イートインコーナーに食料品類、ペットショップやトリミング、そして需要が高いのかわからない専門ショップと、ここに来れば一通りのものが揃えられるくらいの複合施設だ。

 夏休みシーズンということもあり合人と同年代の少年少女も多く、中には知っている顔もチラホラと見受けられた。だからといって声をかけるなんてことは絶対にないし、向こうも邪魔なんてしてほしくはないだろう。向けていた視線を戻し、エミリーの後に続く。

 このショッピングモールができてから数年が経つが、実を言うと合人はあまりここへ来たことがない。

 ここへ訪れるのは、もちろん一人で訪れる人間もいるが、基本的には友人同士や家族連れが多い。だが友人もおらず、家族仲が悪く、尚且つ周囲から煙たがられている合人は人の多いこの場所を本能的に避けていた。だから存在は知っていても足を踏み入れたことはほぼなく、どこにどういう店があるのかを知らない。

 なのでエミリーに連れられるままに、なんの疑問も抱かずに歩き、そして到着した店の中を見て身体を強張らせた。

「とーちゃく」

 合人はもちろんここに訪れたことがない。存在は知っていたが、意図的にここへは来ないようにしていた。

 なぜならこの店は、合人が一番訪れてはいけない店だったからだ。

(・・・・・・ここ、画材屋・・・・・・)

 この店で買い物をする。それはつまり、その人物は絵を描いているという明確な証明になる。そして絵を描いていたことを隠したい合人にとって、興味はあれど絶対に足を運べない場所だった。

 バレたくないという長年の想いが反射的に足を下がらせる。

 しかしそれを引き留めるように、エミリーが合人の手を掴んだ。

「行こう、合人」

 優しく微笑み、エミリーはそのまま手を引いて画材屋に入っていった。

 エミリーの手を振りほどいて画材屋から出る選択肢もあった。むしろこれからも同じような生活を続けるのならそうするべきだ。だが興味と好奇心が僅かにその考えを押しとどめる。

 合人は絵を描くが、もちろん景司や杏華のようなプロやアマチュアの画家ほど道具に詳しくない。それは家庭環境が原因であるが、絵を描く以上、合人にももちろん興味がある。

 ある程度の知識はあるつもりでいたが、初めて見る道具や絵の具、高級品の値段に目を丸くしているうちに当初の逃げだそうという考えはすっかり消え、隣にいるエミリーの存在すら忘れかけて熱中した。

「楽しい、合人?」

「えっ、あ・・・・・・まあ・・・・・・」

 嬉しそうなエミリーの笑顔が妙に照れくさい。

 まさか自分が画材を見るだけでこんな風になるなんて思ってもいなかった。そして気づく。やっぱり自分は絵を描くのが好きなのだ。もっと自由に、好きなように絵を描きたい。諦めきれないその熱が合人の身体を熱くする。

「じゃあ合人、少し一人にするけどいい?」

「・・・・・・うん」

 身体の熱はやがてもどかしさへと変わり、エミリーの言葉へすら生返事だ。

 いくら否定されても、見下されても、嘲笑されても、合人が絵を描くことを好きであることに変わりはない。もう誤魔化しきれないくらい、自分でも認めてしまっている。

 そしてだからこそ、エミリーの言葉が強く蘇る。

(僕が絵を好きなら、それだけで・・・・・・)

 認めてもらいたくて、でも認めてもらうことはできなくて。だからもう絵を描く事から離れようなんて最近は考えていて。

 でも実際に絵を描くのを止めたこの数日は、物足りなさや張り合いのなさを感じていて、なにかが自分の中から抜け落ちたような感覚だった。

 そんなときにいつも思い出すのはエミリーの言葉だ。

 景司でも、両親でも、周りでもない。たった一人、エミリーだけが合人の背中をいつだって押してくれていた。

 認めてもらいたいと、許してもらいたいと思っていた。

 でも本当はそんなもの必要なかったのだろう。認めてもらう必要もない。許してもらう必要もない。だって合人が絵を好きでいること自体は、誰にも関係のないことなのだから。そしてその気持ちを後押ししてくれる人がいる。一番大切な人が背中を押してくれている。

(悩む必要なんて、なかったのかもしれないな)

 やっと気持ちが固まった気がした。ここまでめんどくさい寄り道を何度もして、言い訳を重ねて、自分は不幸だと諦めて。隣にいてくれた人に迷惑もかけて。

 でもそれももう止めよう。気にすることはお終いにしよう。

 認めるのだ。景司には才能がある。しかし自分には才能がない。

(でも、それでいい)

 関係ない。なんにも、関係なんてないのだ。

(ただ僕が、絵を描きたいだけなんだ――)

「――合人」

 声がする。大事な人の声だ。

 それはやけにはっきりと、クリアに聞こえる。

「ん?」

 振り向くとエミリーが立っている。

 太陽のような笑顔で、合人を見ている。

「はい、これ」

「え、なに?」

 差し出されたそれを反射的に受け取る。手の中に収まったのは丁寧にラッピングされた長細いなにかだ。それを見て、もう一度エミリーへ視線を向ける。

「プレゼント」

「プレゼント・・・・・・。僕に?」

「合人はこれからも絵を描いていくでしょ? なら、それが必要になるかなって。いつまでもチョークってわけにはいかないから」

「――っ。もしかしてこれ・・・・・・筆?」

 うん、とエミリーは頷くと、少し照れくさそうに視線を逸らす。

「わたしはどんなものがいいのかイマイチわからないから。ここの店長さんに相談して決めたんだ。あ、お金のことは心配しないで。別に変な暗示をかけてもらってきたとかじゃないからね。昔ちょっと働いてみたい時期があって、そのときに働いて稼いだお金が余ってたから」

 エミリーも贈り物なんてするのは初めてだったのかもしれない。込み上げてくる気恥ずかしさを誤魔化すように速めの口調で過去の職歴を語っている。しかしピタリとエミリーの言葉が止まった。

 頬を染める彼女のことを、合人が真っ直ぐに見つめていたからだ。

 その合人の顔を見て、エミリーも柔らかく微笑む。たったそれだけできっと、合人の気持ちはエミリーに伝わっている。でもそれくらいじゃ足りなくて、合人はあえて言葉を紡ぐ。

「ありがとう、エミリー」

 この短い付き合いの中でエミリーから与えられたものはたくさんある。エミリーのおかげで変わろうと思うことができた。感謝してもしきれない。そんな本来なら言葉にするのが難しいこの気持ちを、この一言に全て乗せられるように合人は言う。

 そしてそれは、ちゃんとエミリーにも伝わっている。

「どういたしまして、合人」

 そう言ったエミリーの表情は優しく包み込むような笑顔で、その笑顔だけで合人は暖かな気持ちになって――。

 だから、すぐに気づいた。

 最初はとても小さな変化。違和感のようなものだった。しかしその違和感は一秒ごとに、いや、一瞬ごとに明確な不安へと変わっていった。

 エミリーの表情が、顔色が、変わった。

 聖母のような笑顔を無理矢理に取り繕おうとしていた。元々白かった顔色はそれを通り越して死者のように青白かった。額には汗が浮かんで、彼女になにかしらの異変が起きたことはすぐに理解できた。

「エミ――」

 名前を呼ぼうとして、でも最後まで名前を呼ぶ前に、エミリーは膝から崩れ落ちた。

「エミリー!」

 冷たい床の上にエミリーが倒れ込む。慌てて肩を抱いて名前を叫ぶが、彼女は苦しそうに呻くだけだった。

 やがて合人とエミリーの雰囲気に気づいた周囲が野次馬となって周りを囲む。店先で起こった出来事に画材屋の店主も慌てた顔で店から出てこようとしていた。

(なにが、突然、なんで・・・・・・っ)

 体調が悪いなんて話は聞いていない。それどころか、吸血鬼は怪我や病気で体調に異変をきたすことはないはずだ。

(・・・・・・いや、今は人間だから・・・・・・?)

 異変はきたさなくても病気自体にはなるのか。それが人間になっているときだけエミリーの身体を蝕んでいるのか。

 吸血鬼のことを合人は多くを知らない。だから今、彼女が陥っているこの状況がどういったものなのか正確に判断することができない。

 どうしたらいい、どうしたらいい。

 わからない。焦りと不安で考えが纏まらない。

「エミリー・・・・・・っ!?」

 どうにかしなくてはいけなくて、助けるべき人に助けを求めようとして、そして気づいた。

 窓から差し込む太陽の光。それがエミリーに降り注いでいる。

 そしてその光を浴びている一部の場所が、まるで火傷でもしているかのように爛れ始め、そしてよく見ていなければわからない速さで治り始める。

「――っ!?」

 それがなんなのか、合人はすぐに理解する。

 太陽の下を歩けない吸血鬼。なぜならそれは、吸血鬼は太陽の光で肌が焼け焦げ、爛れてしまい、そして吸血鬼の特性で再生を続ける。

 その光の下にいる限り、肌を焼かれる痛みと人間離れした再生を繰り返す。永遠に終わらない、死ぬことも意識を手放すことすらできない痛みが延々と続く。それが吸血鬼という存在だ。

 そして今、話に聞いていたより小規模ではあるが、それが目の前で起こっている。

 それが意味するところは、一つだ。

「あの、大丈夫かな? 救急車、呼んだほうが・・・・・・」

 野次馬をかき分けて近寄ってきた画材店の店主の声で我に返る。

 今エミリーは人間のはずだ。しかし目の前の彼女の身体には吸血鬼としての特性が表れている。そんな彼女を病院になんて連れて行くことはできない。いや、それどころか一刻も早くこの場から立ち去るべきだ。

「――いえ、大丈夫ですからっ」

 合人は羽織っていた服を脱ぐと、エミリーを頭から覆う。夏場の薄着ではエミリーの全身を覆うことはできないし、エミリーもまた肌の露出が多い。どうしても太陽の光に当たってしまうが、今はそんなことで躊躇している場合ではない。

 意識のないエミリーを強引に背負い、人垣を強引にかき分けて走り抜ける。

 今はただ、一秒でも早くエミリーを人気がなく、太陽の当たらない場所に連れて行くことが優先だ。そしてそんな場所、この切羽詰まった状況ではたった一カ所しか思いつかない。

 ショッピングモールの入り口を出るとタクシーが何台か止まっている。そのうちの一台の窓を叩き、行き先を告げながらエミリーを乗せる。

「・・・・・・?」

 そのときふいに、視界の中に黒いなにかが舞った気がした。反射的に目で追うが、そのなにかを見つけることはできない。気のせいかもしれないそのなにかに時間を取られるわけにもいかず、合人は早口でもう一度行き先を告げた。

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