2-9

 0時を回り、エミリーは合人から吸血をした。

 吸血鬼に戻っていた身体は人間のそれになり、合人もそれを確認して帰っていった。

 合人の姿が見えなくなるまで見送る。

 人間の身体は吸血鬼の身体と比べてもろもろの能力が低い。飛ぶこともできないし、身体能力も低いし、視力や聴覚だって衰えている。姿が見えなくなると足音も聞こえなくなり、合人の存在を感じることができなくなる。

 また日が昇れば会える。それはわかっているが、それでも多少の寂しさを覚えてエミリーは廃団地へと入った。

 足は自然と初めて合人と会ったあの場所へ向いていた。

 今にも崩れそうな足場。吸血鬼の身体ではない今、落下したらきっと死んでしまうかもしれない。だがそれでもエミリーはギリギリのところに腰を下ろして空を見上げた。

 夜空には月が輝いている。飽きるほどに見てきた月の光だ。

「好きなことをするのに特別である必要はない、かぁ」

 自分が合人に言った言葉を思い出す。そしてそれが、自分自身にも向けられている言葉ということにも気づいている。

「特別、か・・・・・・」

 合人を励ましたかったというのもある。しかし決してその言葉は嘘じゃない。心の底からそう思って口にした言葉だ。

 合人には絵を描いてもらいたいし、合人だって絵を描くことを望んでいる。やろうと思えばできるのだ。あとはもう、本人が一歩を踏み出すだけ。

「合人は、どんな絵を描くのかな」

 コンクリートの壁ではなく、チョークではなく、ちゃんとしたキャンパスに筆と絵の具で描いた絵を見てみたい。

 合人が本気になって絵を描けば、きっと誰にも負けない素晴らしいものが出来上がるはずだ。

「それ見たら、きっと泣いちゃうなぁ、わたし。――っ」

 ズキリ、と胸が痛んだ。その痛みは少しずつ身体全体に広がっていく。軋むようなその痛みが引くのを待って、エミリーはもう一度空を見上げる。

「合人の描く絵。見られるかなぁ・・・・・・」

 ハラハラと、黒い何かが舞った。

 それは夏の風に乗り、どこかへと消えていった。


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