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 人間の思い浮かべる吸血鬼と、実際の自分たちとの間には明確な差異がある。

 それは吸血鬼の体質だったり、灰になることだったり、魔法云々のことだったりと様々だが、現実の吸血鬼は彼ら人間の思い浮かべるような存在ではない。

 その意識の違いの一つが、食事だ。

 吸血鬼はその名の通り確かに血を吸う。人間の血を吸う生き物だ。

 だが決してそれだけを栄養源にしているわけではない。というよりも、むしろ血を吸わなくてもある程度の期間であれば飲まず食わずで生き続けることができるし、なんなら人間と同じものを食べ、飲み、それを栄養とすることだって可能だ。

 ただこの文字通り人間離れした肉体機能を維持するために定期的な血の摂取が必要なだけであり、血を摂取しなければ身体機能は限りなく人間に近くなり、吸血鬼としての力を発揮にしにくくなる。

 もちろん身体の機能の維持以外にも、血液は吸血鬼のメイン食材であることに変わりはないため、嗜好の一つとして血を求める場合もある。人間だって自分が一番大好きな食べ物を目の前に差し出され、「好きに食べてもいい」と言われれば大抵の人間は我慢が効かなくなり飛びつくだろう。それと一緒なのだ。

 だから今のエミリーも合人に首筋を差し出され血を吸ってもいいと言われ、久しぶりの吸血鬼に自制が効きにくくなっている状態だった。

 嗜好品は麻薬と同じだ。コーヒーのカフェインやたばこのニコチンと同じで、一度摂取しそれが癖になると身体がそれを欲してしまう状態になる。常に自制ができているとはいえ、エミリーの、吸血鬼の身体は常に人間の血を欲している状態にあるのだ。

 そしてそれがなんらかの形で自制が効かなくなると、今のように血を求める。

「・・・・・・っ」

 さっき名前を知ったばかりの男の子の首筋に鋭く尖った犬歯を突き立てる。

 皮膚を裂く感触の一瞬後に暖かな血が歯と舌を濡らす。吸血鬼個人個人によって血の味の好みがあるように、人間一人一人にもまた、血液に味の違いがある。そのため吸血したはいいが味の好みが合わないという場合も少なからず存在するのだが、エミリーにとって中島合人という人間の血はそれこそ麻薬・・・・・・いや、媚薬にも近い、口の中に広がるだけで快楽を感じるほどの好みの味をしていた。

(・・・・・・あぁ)

 口を離したくなかった。

 合人の血液を全て吸い尽くしても足りない。できることなら永遠にこの血を吸い続けていたい。そんなことを考えてしまうほどに理性は蒸発しかかっていた。

 今までにも数人の血を吸ったことがあった。それは合人のように了解を得たこともあれば、どうしても我慢できなくなり襲ってしまったこともある。だがそうしてきたどの人間よりも、目の前の彼の血は甘美だ。

(・・・・・・熱い。熱いよ、身体・・・・・・)

 脳が蕩けそうになるほどの血液。初めての味に身体の熱はどんどんと高まる。

 今までに感じたことがない熱の高まり。頭には霞がかかり、心臓は激しく鼓動する。

 異常だった。異常なほどの高まりだった。

(・・・・・・ちょっと、待って・・・・・・)

 そう、これは異常なのだ。

 熱の上昇が止まらない。心臓はさらに激しく鼓動する。

 自分の身体が異常だと、高まった頭でもはっきり理解できるくらい、今のエミリーの状態は異常で、頭にかかっていた霞はそれに気づくと一気に霧散する。

 そしてそんな晴れた頭に、一つの可能性が浮かんだ――。

(――んっ)

 もしかして、と口を離そうとした瞬間だった。――ドクン、と一際大きく心臓が跳ねる。そして、それは起こった。

 異変が身体を襲った。

 なにが、と問われるとなにが変わっているのかはっきりとは答えられない。しかしなにかが明確に変っていっている。それがはっきりと感じられた。そしてエミリーは、その変化の先にあるものに一つだけ心当たりがあった。

(も、しかして・・・・・・っ)

 再び、心臓が高鳴る。そして痛いくらいに跳ねたそれを最後に、心臓の音も身体の熱も鎮静化し始める。

 口を離し、自分の身体に意識を向ける。

 目で見える範囲に少なくとも変化はない。しかしあるはずのものがないことにすぐに気づく。吸血鬼には必ずあり、人間にはないもの。目で見てわかる明確な人間と吸血鬼の違い。

 背中に生える黒い羽が、ない――。

 目で見なくてもわかる。自分の身体の一部なのだ。それがなくなれば誰だって感覚でわかる。

 そして背中に、その羽の感覚はない。

「――え、ええっ!?」

 驚きの声をあげて思わず後退る。

「・・・・・・どうかした、エミリー?」

 その態度に合人も不思議そうな顔をしてエミリーを見るが、その表情はエミリーの姿を見ると一変する。

 それはそうだろう。当事者のエミリーですらかなり驚いているのに、映画やマンガの設定としての吸血鬼しか知らない人間の合人にとって、エミリーのこの変化は予想すらしていないもののはずだ。

「合人、わたし・・・・・・」

「エミリー・・・・・・。羽が・・・・・・。目も・・・・・・!」

 羽は感覚的にわかっていた。しかし合人の言葉から察するにどうやら目の色も変わっているらしい。色々とチェックしてみないとわからないが、この分だと他の吸血鬼としての部分も大きく変化していることだろう。

「わたし、わたし――っ」

 その日、エミリー・ニールは変わった。

 一人の人間の少年、中島合人と出会い、彼の血を吸い、身体に変化が訪れた。

 吸血鬼の象徴の一つ一つが変わった。

 羽も、瞳も、おそらくは歯も、暗示をかけることさえもできないだろう。そんな確信が彼女の中にはあった。

 吸血鬼、エミリー・ニールは変わった。

 そう、彼女は変わったのだ――。

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