第25話 小屋
クラインが首縊りたる場所――
つまり、その小屋は“現場”である。一部報道では「用具室」と表記されていた様だが、真摯に伝えようと思うならば、こういう表記になるだろう。
「用途不明な小屋」
と。
それでも、置かれている用具から見る限り庭師の休憩室、あるいは住居。それというのも……
「ああ、ベッドまであるんですか。こちら側でクラインは死を選んだようですね」
ヨーイングが、それを確認しながら呟いた。実際、マギグラフ社も現場に立ち入っていたわけではない。皇帝の命を受けた捜査機関が発表した物を、そのまま記事にしただけなのである。
だからこそヨーイングにとっても“現場検証”に際しては驚きが生まれるのだ。
もっとも、クラインの調査が皇帝の肝入りになって後、二人は捜査機関の調書もしっかりと精査している。
結果として、他殺の可能性は無い、と判断していた。
だからこそ、今まで現場検証に関しては後回し――いや、忘れていた、と言ってしまっても良いのかも知れない。
そして、ヨーイングが言う“こちら側”というのは、この小屋が二部屋あることを示していた。
確かに用具室らしく、庭仕事に使う脚立に剪定ばさみなどが押し込められていたが、それはあとからそういった用具が押し込まれただけの様に見える。
とすれば、本当の用途は?
そして何より、この小屋でクラインは死を選んでいるのである。
休憩室に見える前室。そして寝室に見えるベッドのある奥の部屋。
元の間取り的には、こうなるのだろう。
「では、スチュワードさん。どういう段取りで調べましょうか?」
そう言って振り返る、ヨーイングの視線の先で――
*
カリエンテールは、小屋の探索について鷹揚に許可を出した。元より、家長たるアレキサンドルが許可を出している以上、彼女にはそれを留める権限は無いのである。
それでも、
「クライン様が、旅立たれた場所です。決して疎かな扱いはなさらぬよう、お願い申し上げます」
と、注文を付けることは忘れなかった。そして自ら案内することはなかったが、使用人を付け二人の行動をしっかりと“見届ける”意思がある事も示してみせる。
それは、
――クラインを大事にしている。
――それを守るために過敏になっている。
という解釈も成り立つのだが、ヨーイングはその解釈に納得出来なかったようだ。
狭くなりすぎるという強引な理由を拵えて使用人を追い払うと、ヨーイングはさっそくスチュワードに向けて愚痴り始めた。
あるいは、その愚痴がカリエンテールに届くことも期待しているかのように。
「何か……彼女は少し“妙”ではないでしょうか?」
「さて。私はこのような調査を繰り返すウチに、いつの間にか世慣れてしまいましたが……彼女の経歴から考えると、むしろ私は懐かしさを感じて然るべきなんでしょうね」
小屋に入ると同時に、視線を左右に振り分けるスチュワード。押し込められた、各種道具は庭仕事に使う物ばかりではないようだ。
“ネコ”と呼ばれる一輪車まである。庭仕事と言うよりは、土木作業に使うような代物であり、その上に汚れた上着なども雑然と積み重ねられている。
「用具室」との報道が為されたのも無理もない話だ。
さらには太いロープの束。大きさの違うバケツ、あるいはタライ。足の踏み場がある事を幸いだと考えるべきなのかも知れない。
そして採光のための窓、と言うよりはただ切り取っただけの穴が開けられた壁。今は午後の
「経歴とは……彼女が元は修道女である事ですか?」
「ええ。彼女たちにとって
ヨーイングに対して親切に答えながらも、それでもスチュワードは自らの視線が彷徨うことは抑えられなかったようだ。鷲鼻もひくひくとひたすらに蠢いている。
「私は……あの様な彼女の振る舞いこそが、クラインを追い詰めたのではないかと、そんな事まで考えてしまいましたよ」
「ふむ」
思い切った、と言うべきヨーイングの発言にスチュワードが鼻を鳴らして見せた。
ヨーイングの発言は、小屋の外で待機している使用人に聞かせるつもりもあってのことだろう。
そして、それは同時にスチュワードがそれを窘めてくれることも期待してのことだ。だが、スチュワードはむしろヨーイングの“推測”を後押しした。
「その可能性はあるでしょうね。ヨーイングさんが見抜かれたように、人間であるクラインにとっては、むしろカリエンテールさんとの生活の方が負担だったのかも知れません。それに……」
「それに?」
スチュワードは首を傾げた。そしてヨーイングに耳を寄せるように要求して、小さく呟いた。
「……“白の婚礼”が行われた可能性もあるかと」
「“白の婚礼”?」
「教義において婚姻は神聖な物。それを覆すことは普通なら出来ないのですが“白の婚礼”が行われた場合だけ、その限りでは無いのです」
「そんなことが?」
ヨーイングの声も、自然と小さくなってゆく。
「ええ。理屈は単純です。夫婦間で夜の営みが行われなければ“白の婚礼”は成立します。彼女は本当に陛下と教会のパワーバランスを保つためだけに、クラインに嫁したのかもしれません。であるならば――」
「――“白の婚礼”が行われた可能性が高いと?」
しかし、それでは――クラインは婚姻関係だった二人の夫人とは……
ヨーイングはその反論を飲み込んだ。
ロゼリアンヌとは、元々そういった関係では無い。互いにメリットがあり、そのためにレックに仕組まれた婚姻であった。
それならば諦めも付くかも知れない。
しかし、レック亡き後に嫁してきたカリエンテールまでもが、クラインとの関係が“そのような”ものだったとすれば――
一体、どれほどの不運がクラインに降りかかったのだろうか?
それを想像しただけで、ヨーイングの目には思わず涙が浮かびそうになる。
だがスチュワードは尚も冷静だった。
「それでも……クラインにとっては、それさえも関係ない事であったのかも知れません。何しろ彼にはニナがいたのですから」
「しかし、“エレニックの奇跡”において亡くなったと」
「ええ。やはり、私にはこの辺りが“しっくり”こないのです。ニナを失った後のクラインが……そして、クラインがニナを失った悲劇から立ち直ったとするなら、カリエンテールさんとの関係性がどうであっても、さほどの問題では無いのではないかと」
スチュワードは、さらに一歩踏み込んで、足下の積み重なったバケツの位置を変えた。それに如何ほどの意味があるのかはわからない。
しかし、スチュワードは何かを考え続けている――いや、掴みかけている?
そう感じたヨーイングは、そんなスチュワードから逃げるように奥へと進み、ベッドを発見したわけである。
*
――視線の先で、“ネコ”を脇にどけるために中腰だったスチュワードが硬直していた。
その翡翠の視線の先には、先ほどヨーイングが発見したベッド。何の変哲もないベッドであるはずだ。
スチュワードの視線に訝しさを感じたヨーイングがもう一度振り返り、ベッドを確認する。
やはり、どう見てもただのベッドだ。
もちろんベッドメイキングはされていない。埃も積み重なっている。そのために白かったはずのシーツも、薄い灰色を纏っていた。
大きさも、ごく平凡なシングル。
このベッドに一体何があるというのか? そして、スチュワードは何に気付いたというのか?
そう――
スチュワードは何かに気付いている。
「スチュワードさん……?」
ヨーイングが恐る恐る声を掛けた。
スチュワードは、すぐには反応しない。
だがしかし、その表情は――
「ヨーイングさん。私たちはあまりにも大きな勘違いをしていたのかも知れません。似ているからといって、確認もせずに混ぜてはいけない事柄を、何となくで処理してしまっていたのかもしれません」
「ですからそれは……」
「ヨーイングさん。あなたの『クラインはまた一人の人間であった』という結論。素晴らしいものでした。ですが、今私が考えている事はそれを一歩……いや半歩だけ進めただけなのかもしれません。だが、それだけに迂闊に口に出来ません」
「しかし、それでは……」
「ヨーイングさんは、どうかそのままで。私はもう一度確認してゆきます。これはそう――人類の未来のために」
いきなり、スチュワードの言葉が規模が大きくなる。そのためにヨーイングは、虚を突かれてしまった。
そしてその隙に、スチュワードは小屋から消えてしまう。
いや小屋から消えてしまっただけではない。
――この時を境に、ヨーイングにもスチュワードの姿が確認出来なくなるのである。
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