第24話 カリエンテール

 反攻作戦が成功裏に終わった後、クラインは皇都グリンネルに帰還した。当たり前に。


 だが、その後の皇都での凱旋式典――つまるところ、軍の行進はそのまま軍事的活動に繋がった。


 反攻作戦に費やした人類側の戦力が、この段階で払底していた――わけではもちろん、無い。


 “まつろわぬ地方”とも呼ばれる南部。そして諸侯たち。反攻作戦に兵力を出し渋り、温存していた彼らの目論見は見え透いていた。


 そんな状況下にあって、クラインは「凱旋の間は軍は動かない」と思い込んでいた人々の意表を突いたのである。


 だが戦力比は、諸侯側の温存した兵力がクライン麾下の兵力の三倍はあったと言われている。それほどに反攻作戦の被害は大きかったのだ。


 だが、クラインの麾下には修羅場をくぐり抜けた精強たる兵達の集団があり、今の平和を自分たちが作り出し、それを乱すものは決して許さぬと言う決意デタミネーションがあった。


 そして、それを率いるのは英雄クライン。


 衆に頼むだけで、規律も保つことも出来ない南部諸侯の集めた軍。その戦列の中央をクラインは突破し、さらには神速でとって返し、そのまま横撃を敢行した。

 南部諸侯の軍を十字に切り裂いたわけである。


 この大胆すぎる兵力運用に関しては、


「あんなことは二度と出来ないし、したくない」


 というクラインの言葉が伝わっている。


 寡兵で衆を頼む敵を打ち破ること――成し遂げることが出来れば、確かに見栄えはする。しかし、それは兵学上“やってはいけない”事柄でもあるのだ。


 クラインは、それを熟知していた。そして人間同士が争うことを忌避していた。だからこそ、その様な言葉が伝えられているのである。


 クラインは戦闘に参加した全ての兵を赦し、それを皇帝位に就いたばかりのアレキサンドルに認めるように奏上した。


 ここで苛烈な対応をすることは政略的も悪手――などという理屈は必要無かったのであろう。


 魔族を追い払ったクラインの武名の前に、兵達は皆跪き、その栄誉を讃えた。そしてそれに見合うだけの実力を、クラインは示して見せた。


 こうなれば、あとはクラインが進めば、自然と皆こうべを垂れ、諸侯達もそれに従った。


 まず、皇帝のお墨付きがある事。そして、戦おうにもクラインが相手となると、そもそも兵が集まらないのである。

 これでは、不満があっても乱を起こすことは不可能だ。

 

 そして、アレキサンドルは決して暴君では無く、互いに妥協点を見つけ出して歩み寄り、平和は成った――


 この顛末が所謂、「クラインの征聖」である。


                 *


 だが、情報を集めてきたヨーイングとスチュワードにとっては「クラインの征聖」についても、見てくる景色が違ってくる。


 まず、軍部が情報収集に頑なな理由――


 その理由は当然「エレニックの奇跡」にあるのだろう。

 さらには、アブドの存在。


 ――“奇跡”を起こしたのはアブドだったのではないか?


 もしそれが真であるなら、自然と軍部は隠そうとするだろう。魔族を打ち払ったのが、その魔族との混血ダブルであるとは……それを明かすことは、どう考えても出来ない。


 そして、彼らにはまだクラインがいた。戦術の才は他を圧する力量の持ち主が。


 であれば、アブドについては秘匿したままで済ませることが出来るに違いない――と軍が判断したとしても、責めることは出来ないだろう。


 だからこそ軍部はクラインを崇め、護り、その征途に献身的に協力したのだ。それがやがて「征聖」と呼ばれる事になる“きっかけ”になるとしても、これが恐らくは真実。


 さらには、南部諸侯への掣肘に関しては――凱旋式の途中での軍事行動も含めて――レックが遺した“絵図面”があったのではないか?


 そこまで妄想を広げると……あとに残るのは、ただクラインの孤独だけ。


 友を失い、恋人を亡くし、それでも尚、クラインに英雄である事を軍部は要求した。そして、クラインもまた友人の遺志を継ぐために、それを受け入れたのだろう。


 ――まったく、普通の“人間”であるクラインが。


             *


「いいえ。クライン様は、喜びと共に聖戦を推し進められたのですよ。私はそのお手伝いが出来た事を誇りに思っています」


 スチュワードの手配によって面会が叶った、クラインの第二夫人カリエンテール。


 いつまで経っても彼女の“証言”は揺らぐことは無い――


 スチュワードの手配といっても、面会に向けて、さほどの問題は発生しなかった。確かに、カリエンテールが修道女の身分のままであれば、スチュワードの働きが必要になる事は確か。


 しかし、カリエンテールはクラインにした。となると現在の家長は皇帝アレキサンドル――ということになる。


 カリエンテールは、もともとフェランチェスト・アグバー枢機卿の“姪”であり、英雄となったクラインに取り入るために、教会が送り込んだ女性だとも言われている。


 そしてその噂を裏付けるように、カリエンテールは美しい女性だった――ロゼリアンヌに対抗するように。あるいは対照的に。


 銀の髪は長く。そして薄い水色の瞳。身につけているドレスは、いつも白。

 光がけぶるような印象を人に与え、つまるところは「聖女」というイメージに一番近い女性と考えて問題無い。


 彼女の様な女性を“第二夫人”の地位に留めさせることが出来たのは、偏に“英雄”たるクラインだったからである。

 そして、今の彼女はクラインが遺した邸宅で生活を続けていた。


 邸宅を管理する女主人として。


 ヨーイング達が彼女に話を聞くために訪れた場所も、やはりクラインが遺した、この邸宅になる。


 当たり前に貴族街に位置し、公園かと思えるほどの広い敷地。そして本宅と別宅。整備された庭。四阿あずまや。さらには練武場に、温室まで。贅を凝らしたと言うべきか。

 事実上の皇太子としては、控えめと言うべきか。


 それでも万事において控えめさを感じるのは、現在の主人たるカリエンテールが、元は修道女だからであろう。


 丁寧に刈り込まれた芝生は、春の息吹を感じさせる新緑が萌えている。


 カリエンテールの持つ雰囲気は、それに似たものがあるのだが……


「しかし、カリエンテール様が嫁がれた頃には……」


 広大な庭に備え付けられた四阿で面会の運びとなったカリエンテールと、ヨーイング達。まだ肌寒い季節ではあったが、この四阿は随分と暖かい。何かしらの仕掛けが施されているらしい。


 しかし、カリエンテールとヨーイングの間には、薄ら寒さを感じさせる“溝”が確かに存在した。


 ヨーイングの推測では、カリエンテールが嫁した時期のクラインは悲壮な決意を固めていたことになる。だが対外的には、それを見せるわけにはいかない。

 威風堂々と振る舞い続けていた。


 ――かつてリスクフェーヴでヨーイング自身がクラインの姿を目撃したときのように。


 ならば、せめて内向きでは……

 家庭の中では、その決意に苛まれるクラインを“聖女”カリエンテールが癒やしていたのではないか?


 そんな「推測」を、ヨーイングは抱えていたのだ。


 しかし、カリエンテールはいくら水を向けても――明らかな誘導尋問を行っても――クラインの苦悩を目撃したとは証言しないのである。


 その姿勢は、まさに“英雄クライン“に対する信仰のようであった。

 あるいは、そういった頑なさが“聖女”に必要な物かも知れない。


 だが、それでは話が先に進まないのである。


 女性の使用人が淹れてくれた紅茶も、二人の間に横たわる冷ややかな空気の影響かすっかり冷めてしまっていた。お茶請けに出された茶菓子は誰も手を付けず、その場で凍り付いたよう。


 いや、ただただ冷めていっているのはヨーイングだけなのかも知れない。


 カリエンテールには、僅かな変化も見られない。ここで二人を迎えたときから、カリエンテールはただ艶然と微笑んでいるだけだ。


 すでにクラインが死を選んだ理由について、二人は尋ねている。


 そしてカリエンテールの答えは、


 ――わたくしなどがクライン様のお心を知りようが無いではないですか。


 と答えるばかりで、こちらも一向に話が先に進まない。


 もしかしたらカリエンテールのこういった対応こそが、クラインを死に追いやったのではないか?


 そんな風にヨーイングが考え始め、自然とその視線が、挨拶以外は一言も発しないスチュワードへと向けられた。


 そしてスチュワードはそれを待っていたように、カリエンテールに向けてこう告げた。


「――クラインが自ら命を絶った小屋……でしたか? そちらを拝見させていただいても構いませんか?」


 と。

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