第23話 回帰

 アールシュート、ひいては、ニコ=デ=ゾンデから皇都へと二人が発ったのは、レベッカとの面会から三日後のことだった。


 この地を二人が訪れた目的は、すでに達成していると言えるだろう。そしてレベッカに会う以上の成果が、この地で得られるとは考えられない。

 

 つまり三日の間、無為な時間を過ごしたことになるわけだが、どうしようも無い都合というものがある。つまりは汽車の発着スケジュールだ。


 それでも、まったくの無為に過ごしたわけでは無い。


 ヨーイングは変わらずに都会の話をせがまれ、彼の職業は、そういった要求に応えるには、まさに“うってつけ”だった事が幸いした。


 当たり障りの無いニュースを、それでも興味を引くように脚色して披露し、ニコ=デ=ゾンデに引き上げる頃には彼は酒場の主役になっていた。


 一方でスチュワードは、戻ってきたホールディ神父と話し合って、バーナの正体、これからの対応について「無理に騒ぎ立てる必要は無い」ということで決着した。


 何しろ「神の前では皆平等」という教義もある。


 ――この地方に、安穏が訪れているのならば、それを乱すことが主の御心に適うことになるのでしょうか?


 そんな“忠告”がスチュワードによって行われた結果、そのような運びとなったわけである。


 これには、レベッカの“男爵夫人”としての生活に変化がみられなかった事も大きいだろう。二人の来訪を機に、レベッカがアールシュートととの交流を盛んにするというなら、それなりの対応が必要になるところだ。

 しかし、レベッカにその気配は無い。


 その上で、今後変化が起こるとするなら、それはレベッカの移転になるだろうし、その時にはバーナも同行することになるだろう。

 であるならば……


 という、一種の問題の先送りでアールシュートに混乱は起きず、二人は名残を惜しまれながら帰途についたというわけだ。

 荷馬車に揺られることについては、変化はなかったのであるが……


              *


「……今回もあまり成果は無かった、と考えるべきなんでしょうかね?」


 鷲鼻をひくつかせながら、車窓に右肘を預けるような姿勢のスチュワードが、半ば独り言のように呟いた。


 窓の外には、幾分か春の気配が感じられる風景が広がっていたが、スチュワードの心境としてはまったくの逆らしい。


 そんなスチュワードに対して、ヨーイングは向かい合った座席に身体を預けながら、こう応じた。


「そうでしょうか?」


 と。


 それは、スチュワードにとって意外な言葉であったのだろう。思わず翡翠の瞳を閃かせ反射的に、尋ね返してしまう。


「成果があったと? 結局“クラインの死”については、わからずじまいだったではありませんか?」

「しかし“英雄クライン”については、ほぼ判明したと言えるのではないでしょうか?」


 ヨーイングは動じること無く、そう切り替えした。さらに続ける。


「“英雄クライン”が共作であるという可能性を示してくれたのは、スチュワードさんではないですか。レックという男が、大きく計画し、クラインがそれを具体的な形にする。個人の武勇を担当したのは魔族との混血ダブルであるが故に、高い能力を持っていたアブドが担当していた。この構図が見えてしまえば、スチュワードさんがご懸念だった“ジンバル村の逆転”についても説明が出来るのでは?」

「それは……」


 スチュワードは言葉に詰まる。


 一章丸ごと飛んだような――そう感じていた部分も、アブドという存在が判明した以上、それを補完する事も出来る。


 ――クラインが気付き、レックが見抜き、アブドが魔族の司令部に強襲をかけた。


 他の要素はあるかも知れないが、基本的な部分はこれで説明出来るはずだ。


 そして“共作”になった理由も説明出来る。


 レックは本人の性質と、華奢な外見が、兵を率いるのにハンデを抱えてしまう可能性がある。


 そしてハンデという面で考えるなら、アブドはさらに重いハンデを背負っていることになる。魔族に対抗しようというのに混血ダブルでは……


 反攻作戦が成功したとき、その辺りの事情を明かす計画があったのかも知れないが、それは死と行方不明によって露と消えた――


 これで今まで証言を集め、浮き上がってきた“真実”に対しては、確かに上手く説明出来るように思える。

 クラインの事績の精査、ということならば確かに成果はあったのだろう。


 しかし取材の目的は、


「クラインは何故死を選んだのか?」


 ……だったはずである。


 その観点で考えると、スチュワードの言うように成果は何も無かった、という評価が妥当なところだろう。

 

 ヨーイングはその点をどう考えているのか。


 スチュワードは例の如く、直接的にヨーイングに尋ねる。だがヨーイングは、その問い掛けに対しても余裕を保ったままだった。


「いえ、今回の取材行で、その点も判明したと考えるべきなのではないでしょうか?」

「というと?」

「今回、レベッカさんから、弟さんの――クラインの性格を伺うことが出来ました。それは“英雄”とはとても呼べない……だが、それだけに“人間”としてのクラインが見えてきたと、私は考えることが出来ます」


 そのヨーイングの言葉に、スチュワードは無言で応じる。

 否とも応とも、わからない。


 規則正しい振動音が、虚しく一等客車に響く。


 しばしの沈黙の後、ヨーイングは先を続けた。


「……となれば、ニナという女性の役割も見えてきます。クラインは、遠く戦地にあって慰めが必要だったのではないでしょうか? 何しろ兵士達の崇敬の矢面に立っていたのはクライン……“人間”クラインであったのですから」

「では、ニナさんが慰問に訪れていたか、あるいは同行していたのは、クラインがいくさに疲弊していたからでは無く“英雄”であることに疲弊していたと?」


 今度はすぐさまスチュワードから反応があった。

 それだけ、ヨーイングの推測に説得力があったのだろう。


「そうです。もちろんいくさにも疲れていたのでしょうね。考えてみれば反抗作戦が始まる前、冬期もまたクライン達は戦いずくめだったのです。このことを我々は軽く考えすぎていたのではないでしょうか?」

「そうか……そうですね。冬期の間、耐えていた時の方が、むしろ兵士達にとっては“英雄”が必要だったのかも知れません」


 ついにスチュワードが、ヨーイングに賛意を示した。そして続ける。


「それに冬期の間の陣中見舞いは、むしろ容易かったのでは? そのためクラインが、それと変わらぬ環境を欲し続けて……」

「ああ、そうですね。それは気付きませんでした。クラインは恋人のニナと逢うことが慰めだったのでしょう。それで……」


 ――逆に女の子に大事にされていた


 という、バダックの証言とも整合性が保たれる事になる。


 ヨーイングはそこまで考えてはいなかったようだが、推測を進める上で、意図せず他のパーツが収まるべきところに収まってゆく現象。


 それは、まさに真実を探り当てた証拠では無いだろうか?


 だが、それでも――


「――では、結局のところ、クラインの死の原因とは?」


 ――やはり、このはじめの疑問に戻って来てしまう。

 

 だが、ヨーイングはその疑問の再提出に対しても落ち着いていた。


「クラインは人間です。しかしそれでも戦い続け、平和をもたらした」


 ヨーイングは、そこで一息つく。


「子供の頃はお姉さんに臆病とも言われていた男の子が、それを成し遂げたのです。その最中、恋人を失ったことで、世界が彼に変化を強いたのは悲劇と言ってもよかったのかも知れません。だからこそ――」

「平和になり、英雄から人間に戻ったことで、ずっと前に限界を迎えていたクラインが突発的に死を選んだ……謂わば彼の死の理由とは」


 今度は、そこでスチュワードが一息ついた。


「――“クラインが英雄であったから”」


 その言葉は、果たしてヨーイングの想定通りであったのか。それとも、意外な言葉を聞いたのか。

 ヨーイングは、微妙にズレた答えを返してきた。


「それでも私は、クラインが英雄であることに間違いはないと考えています。いえ、人間であるクラインを知ったことで、その想いは強くなりました」


 かつてリスクフェーヴでクラインの姿を見たときも、ヨーイングはきっと同じような表情を浮かべていたのだろう。

 眩しさに目がくらんだような――


「……ですが、ここで調査を終わらせることは出来ません。こうなれば最期の時までクラインの後を追いかけましょう。本当に伝記をまとめることが出来そうですが」


 一転、ヨーイングが汽車が皇都に着いてからの方針を提案する。

 しかもそれは、多分に理性的と思われる内容だった。


 スチュワードは、そんなヨーイングを興味深げに眺めながら、


「では次に、第二夫人のカリエンテール様に面会を申し込むことになりそうですね」


 と、スチュワードが方針を具体的な形にする。するとすぐに、ヨーイングが首を縦に振った。


「その段取りで行きましょう――お願い出来ますか?」

「はい。私の管轄ですね」


 スチュワードが、深く頷く。

 なにしろ第二夫人カリエンテールは、元は修道女なのであるから、自然とそういう段取りになってしまうのだ。


 ――そして、決意を乗せた汽車は皇都へと帰る。

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