第22話 レベッカ

 今日も風は海から吹いていた。しかし、それほどべたつくことは無い。もちろん潮の匂いも。


 午後の光がさんざめく海沿いの道を、バーナを先頭に三人は進んでいく。

 もちろん、ヨーイングとスチュワードのトランクは網元の家に預けたまま。随分身軽な装いだ。


 逆に、ろくに整備されていない道を三人が進んでいる事に、傍から見れば違和感を覚えるかも知れない。バカンスに訪れ、その最中の気軽な散策、といったぐらいが適当な判断だろう。


 何しろ今日は、狙い澄ましたような快晴。


 しかし、三人が進んでいく道は紛れもない坂道。もっと言ってしまえば急勾配と言ってしまっても良いのかも知れない。

 何しろ目指すべき男爵夫人の屋敷は、崖の上に建っているのだから。


 そういう風に聞かされていたので、二人はある程度覚悟決めていた。あるいは、それほど遠くは無い、という言葉だけを頼りにしすぎたのか。


 下生えの生い茂る道を二人は無言で歩を進めていた。口を開く余裕が無いとも言える。


「~~~」


 バーナが何事かを告げた。魔族の言葉……なのだろう。

 しかし、ヨーイングに向けて訳す必要はなかった。


 何しろ、一目瞭然。坂道の先に建物が見える。二階建て。さほど大きくは無い。レンガ造りで、その周囲に庭などは造成されていないようだ。

 ポツンと崖の上に立ち尽くしている。


 今にも、飛び降りそうな――


 などという想いを抱いてしまうのは、不遜か不敬か。


 ただ、こんな快晴の日には似つかわしくない寂しさを抱えた建物――その印象だけは確かなことだった。


                *


 外見からわかるように、さほど大きくない建物であったので女主人たるジェラースト男爵夫人が奥まった部屋で待っていたという事も無く、むしろ彼女は二人を玄関まで出迎えていた。


「大変なお手間を取らせてしまったこと……誠に申し訳なく」


 さらに、そう言いながら、男爵夫人は深々と頭を下げたのである。

 こうなっては逆に恐縮するしか無くなるのがヨーイングであり、スチュワードも些か居心地が悪そうだ。


「まずは、こちらに。大したおもてなしも出来ませんが……」

「どうか、お気遣い無く。我々も突然に伺ったわけですから」


 何とか、ヨーイングが当たり障りの無い言葉を返す。


 それで一応形式が整った、ということになるのだろう。二人は一室、といっても一階部分には、入ってすぐのホールめいた部分の他には、二部屋しか無く、片方が食堂だとすると――


(普段使いしている、居間、というぐらいかな?)


 部屋の中央に置かれたテーブル。その周囲に三脚の椅子が置かれているのだが、他の部屋から集めてきたのか、全てがバラバラだ。

 それはテーブルの上に並べられたカップも同様で――随分な無理を強いてしまったらしいと、ヨーイングが思わず身をすくめる。


 基本的にはアイボリーでまとめられた室内。ダークブラウンの絨毯。窓はさほど大きくないが、窓際に小さな植木鉢が飾られている。


 それでも全体的な印象は――やはり地味。


 そして、そういった居間の印象は、そのままジェラースト男爵夫人に通じるものがあった。


 整ってはいるのだろう。しかし、目立ったところが無い平凡な顔立ち。結い上げられているクラインと同じ赤毛が、逆に彼女には似合っていないように思える。アッシュグレイの瞳もやり過ぎのように控えめだ。


 濃い緑のドレスまで、どうかすると喪服に見えてしまいそうな佇まい――いや、喪服を身につけていても。おかしくはない境遇のはずなのだが……


「――まずはお悔やみ申し上げます、殿下。弟御のことは、何も……」


 スチュワードが、姿勢を正して男爵夫人にこうべを垂れた。慌ててヨーイングがそれに倣う。


「誰も教えてくれませんでしたので……ああ、でもそれは態の良い言い訳ですね。私は知ろうとはしなかっただけなのですから――どうぞ、お掛けになってください」


 それを受けて、男爵夫人が“手続き”を先に進めた。バーナに指示を出し、紅茶を準備させる。それが提供されるまでの間、改めて互いの自己紹介を行い、そのまま二人の取材行についての説明が行われた。


 言い訳と大差ない行為であったが、必要な行為であった事は間違いないのだろう。バーナが用意してくれた紅茶で喉を潤す必要性を感じたときには、ジェラースト男爵夫人は、自らのファーストネーム“レベッカ”と自分を呼ぶように訴える事が出来たのだから。


「……元が寒村の村娘ですし。“殿下”などと言われては、かえってこちらが戸惑ってしまいます」

「では、レベッカさん……ああ。聞きたい事は沢山あるのですが、何処から始めれば良いのか」


 すぐに対応できたのは、やはりスチュワードであった。だが、それでも取材行の“本題”については整理しきれなかったらしい。

 その点、ヨーイングは先に確認したいことがあった。


 あるいは、そんな初心者のような心構えこそが必要だったのかも知れない。ヨーイングは、こう切り出したのだ。


「その……バーナさんは、魔族、なんでしょうか?」

「純血かどうかはわかりませんが、そうなのでしょうね。ジンバル村で聞いていた言葉と同じ言葉を使うようですから」


 あっさりと、レベッカはヨーイングの問い掛けを肯定した。そしてそのまま続ける。


「バーナが、この場所までやって来た……いえ、流れ着いた経緯はわかりません。その時まで私がお世話になっていた、おばあさんが腰を悪くして、お辞めになったとき、タイミングが良かったんでしょうね。私もバーナの言葉が懐かしく……」


 ――それ以上の詮索はしなかった。


 とは、言わずもがなというべきだろう。それにしても魔族を側に置くというのは……やはりヨーイングにとっては理解しがたい感覚だった。


 そして、ヨーイングが沈黙してしまった事を受けて、今度はスチュワードが口を開く。


「私はずっと、疑問というか……推測があったんですが」

「はい」


 そんなスチュワードの切り出しに、レベッカが覚悟を決めたように応じた。


「アブドもまた、魔族なのでは?」


 それはまた、ヨーイングも気付いていた疑惑である。だがそれを確認する事が、どうしても出来なかった。


 ――英雄クラインの側に魔族がいる。


 これだけでも大問題であるのに、どうやらアブドは共作たる“英雄クライン”についても重要な役割を担っていた。


 そんな推測を、ヨーイングは頭の中でさえ覆すことが出来なかったのである。だからこそバーナが魔族であるという指摘に対して、鈍感に対処することも出来た。


 クラインに比べれば、すでにアールシュートに溶け込んでいるバーナの出自など大した問題では無い。


 ……感覚的には“拒否”を覚えるとしても。


「その通りです。アブドは混血ダブルでした。そして、それもジンバル村においては、それほど珍しい事では無かったのです。ただ――」

「ただ?」

「アブドの剣の腕、魔法の才、確実に飛び抜けていました。私はクラインが……私の弟が名声を博す度に違和感――いいえ。間違いなくアブドがやった事なのだろうと確信していました」


 その致命的な証言ことばを――


 ついにヨーイングは確認してしまった。


 しかし、その証言によって色々なことが収まるべき所に収まるのである。


 “英雄クライン”の実像。その本質は共作。

 そして、その中核を成したアブドの働きは、当人が魔族との混血である事で秘せられる事になる。


 だからこそ、それを秘匿するためにジンバル村は糊塗され、そして誰よりも事情を知るレベッカは、このような遠い地方に封印された。


 ――全てに説明が付く。


 そして、こういった“作業”を行った人物はレック、と考えれば、恐らくは不可能では無い。


 言ってしまえば、レベッカが命も奪われず、ただ封印だけで済んでいるのは……同郷のレックの手加減があったと考えれば、これも筋は通るのである。


 こうなると、次の疑問は――


「レベッカさん。『エレニックの奇跡』については何処までご存じなのですか?」


 容赦なく、スチュワードが切り込んだ。


「何処まで……? レックとニナが命を落としたこと、それにアブドが行方不明だとは聞き及んでおりますが……」

「いえ、弟さんとニナが恋仲であったという証言もありまして」

「まあ!」


 途端にレベッカが声を上げる。ただ、驚いた、という様子では無い。その表情を見ればわかる。花が咲いたように、という、お決まりの形容詞がこれほど似つかわしい表情も無いだろう。

 地味だったレベッカが、まるで輝くような笑みを見せている。


「クラインは……あの子はずっとニナが好きだったんですよ。私が故郷を離れるときには、そういう仲では無かったですし……とにかくあの子は臆病で、それでいてレックには何かと言うと対抗して」

「臆病? クラインがですか?」


 思わず聞き返してしまうヨーイング。しかしレベッカは笑みを浮かべたまま、こう続けた。


「そうですよ。でも、そうですか……残念なことになってしまいましたが、クラインはニナとそんな仲だったんですね。この地にいた事で、お祝いも出来ませんでした。それにあの子の死も……重ね重ね、お世話を掛けました。本当にありがとうございます」


 恐らく、この地に留まるような指示を出したのはレックだ。そしてそれを引き継いでいる誰かがいる。軍かあるいは……?

 そして、誰も積極的に彼女に伝えることはせず、側にいるのは言葉に不自由な魔族バーナである。


 色々な理由が積み重なって、現状いまが出来上がっているのだ。

 他の事柄と同じように。


 蓋を開けてみれば、これもまた平凡な結末を迎えたと言えるのかも知れない。


 だが――


「レベッカさん。恐らくは皇都に向かわれた方が良いとは思いますが、今すぐはよろしくない」


 突然、スチュワードが断言した。


「……なぜですか?」

「弟さんの死の状況が、問題になっておりまして――」


 そう。


 “クラインの死”についての謎は、保全されたままなのである。


 レベッカにはクラインが死んだことを告げただけで、以降、彼女から理由も聞かれなかった。だからこそ、現状があるわけだが……


「私はいくさで死んでしまったか、あるいは魔法の癒やしも受け付けないほどの重傷が、弟の命を奪ったのではないかと」

「戦乱はすでに……ああ、そうですね。貴女は情報から遮断されていた」


 レベッカのズレた推測に、理解を示すスチュワード。そして、そのまま続ける。


「……では、弟さんの自死について何か思うことはありますか?」

「私は、ほとんど部外者ですが……それでも、これまでのお話を伺う限り、やはりニナの死が大きいのではないかと」

「しかし、クラインはその後も……」


 ヨーイングが溜まらずに、そう尋ねるとレベッカは目を伏せた。


「そう……ですね。もう、私が良く知る弟では無いのでしょう。“英雄クライン”は成長……したんでしょうね。すいません、お役に立てずに」

「いえ……」


 後悔が滲むヨーイングの声が、朱く染まった陽に光に照らされる。


 今日という日が終わる。

 そしてそれは、ジェラースト男爵夫人――レベッカとの会合の終了を示していた。

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