第21話 魔族
スチュワードの説明が行われたのは、二人がアールシュートに到着した日の深夜になってからだ。
スチュワードとバーナのやり取りが“いつの間にか”周知の事となっており、そのために、恐らくは二人の来訪を迷惑がっていた網元の対応に変化をもたらしたらしい。
ホールディが巡回のためにさらなる寒村に向かわなければならないという事情も手伝い、結局二人は網元の家へとひっきりなしに訪れるアールシュートの住人達へ“適切な”対応を続けるしかなかったのである。
その分、昨日の「アイスフリー」で用意されたものよりも、豪華な夕食になった事が慰めになるかどうか。確かに海の幸には恵まれた村であるらしいのだが。
神の言葉を暗唱すれば形になるスチュワードと違って、ヨーイングに要求されたのは“都会の話”であるから、食事もままならなかったのである。
二人が解放されたのが本当に深夜になってからで、アルコールも入っていたヨーイングは気合いだけで、この時を待っていたのだ。
――一体、スチュワードはバーナに何と言ったのか?
そこを確認しておかねば、眠るに眠れないのだから。
「――改めてお詫びを。勝手に話を進めてしまいました。私はバーナさんにこう伝えました。『まず一端私の話を、貴女の主人に伝えて下さい。そしてご検討を』」
スチュワードは、こう切り出した。
それだけならば、ヨーイングも事後承諾で一向に構わない。問題はスチュワードの“話”だ。もちろんスチュワードもそれを理解している。
だからこそ、その切り出しだけで、済ませる気配はスチュワードにも無い。
あてがわれたベッドの上で、首元だけを緩めた二人が前屈みになり“本題”に取りかかっていた。光量は落とされ、ジンバル村の宿と同じような状況だ。
こちらの方が広いのが、救いと言えば救いだろう。
二人のシャツは、十分に汗と宴席の空気を吸い込んでしまっているが、さすがに今から入浴は無理だ。
翌朝――には、果たしてそれだけの余裕があるか。
「そして、私の話とは『貴女の主人に、弟の死を伝えに参上した』と。『内容が内容ですから、直接お会いする以外の選択肢は無い』とも」
「それは……随分、強気に出ましたね。しかし道理は……男爵夫人はクラインの死を知らないのですか?」
「私はそう判断しました。まずバーナさんは“クライン”の名を知らないであろうという推測があります」
「知らない?」
思わず声を上げるヨーイング。
英雄の名を知らない? それにこの地方の人々も……
「その理由についてはあとで。しかし、バーナさんは男爵夫人に“弟”がいる事は理解していたのでしょう。しかし、弟とクラインという名が結びつけられなかった」
「ああ、それで」
二人が最後にクラインの名を告げあったのは、あの瞬間に“ズレ”が直ったからに違いない。それでようやく、クラインという名が「主人の弟の名」と言うことを、バーナは理解したのだ。
「これで、まず男爵夫人の実在、さらに生存がまず間違いないだろうと推測されますね……うん? 考えてみれば、今日の成果はこれだけですか。行き当たりばったりは変わらぬ――」
「スチュワードさん。あなたにとってはそれだけなんでしょうが、私にとっては、いきなりなことが多いんですよ。まず、あの言葉は一体?」
「ああ……」
すっかり失念していたらしい、スチュワードが鷲鼻をひくつかせながら、あっさりと答えた。
「あれは魔族の言葉です」
「エッ!」
スチュワードの言葉に、思わず大声を上げてしまうヨーイング。それに対し慌てず騒がず、スチュワードがヨーイングを宥めた。
続けてこう説明する。
「私は司祭位をいただいておりますが、その理由は教会史の研究について功績が認められたからなんです。タイミング良くホールディ神父が名前を出してくれましたが、レオニダスⅢについての再評価が認められましてね……レオニダスⅢは魔族と通じ合ったとの噂があった人物なんですが、その実、魔族にも教えを広めようと考えておられた、お方なのです」
「魔族にも……?」
「ええ。それで過去の資料を調べるウチに、レオニダスⅢは魔族の言葉に随分明るく、時折呟いたとされる謎の言葉、あるいは残されたメモ――魔族には文字が無いようですから、この辺りは当て字のようですが――に、その痕跡が認められたのです」
「それが……スチュワードさんの功績、なんですね?」
「はい。そう評価していただきました。レオニダスⅢは布教のために、魔族の言葉を知ろうとなさったんです。私はそんなレオニダスⅢの事績を追いかける過程で、同じように魔族の言葉を少しばかり囓ることになったんですよ」
「それで……」
ヨーイングの胸の内で、納得が形を作った。
スチュワードがこの取材行に派遣された理由。
そして、バーナとのやり取りと、それを誤魔化したスチュワードの対応。
聞かせて貰えば、納得出来る部分もある。全てに納得出来るわけでは無いが、ある程度の理解は可能だ。
だが、それだけに不明な部分が浮き上がってくる。
「……では、バーナさんとは魔族、なのでしょうか?」
「恐らくは。あるいは……この地が東方であった事が幸いしたようですね。ただ彼女が、どうしてこの地に居るのかが……」
「それが男爵夫人の使用人というのも?」
「はい。経緯はわかりません。しかし男爵夫人は恐らく魔族については、この付近の東方人よりは明るかろうと」
答えになっていない答えを返すスチュワード。
“察しろ”、という事なのか、あるいは本当にわかっていないのか。
そして、もう一つヨーイングには気になっている部分が残されていた。
「教皇猊下は――今の事態を見通しておられたのでしょうか?」
「推測だけなら……猊下が男爵夫人にお会いになった事は間違いないわけです。それを言い出したら、爵位授与の際に陛下も同じ条件になるわけですが」
「やはりこちらも、はっきりしないと――すいません、スチュワードさん。責めるようになってしまって」
「お気になさらず。私も、どうにもあやふやな事で、はっきりしないと感じているのですから。しかし――」
「はい。スチュワードさんの早業で、とにかく状況は変わりつつあります。ああ、そうです。私こそ、先にお礼を言っておかなくは」
スチュワードは
「私が説明出来たのが今し方ですからね。それに成果があるかどうかは……」
「とにかく、この村の方々にも受け入れて貰えました。取材には適した環境が構築されつつあります。今回、上手く行かなくても、順調と言っても間違いないですよ――翌朝、ご婦人を迎えるのに相応しくあらねば」
ご婦人とは即ち、バーナのことだ。
二人を招き入れるか、それとも断るか。
どちらにしても、彼女が再び現れることに間違いは無い。
ただ――
「ヨーイングさん。彼女は……」
「魔族なのでしょう? しかし、今それを
語尾が消え入りそうなヨーイングの声。
それは“本職”であるスチュワードの前で、そのような言葉を口にしたことに恥ずかしさを覚えたのか、あるいはヨーイング自身が、そう納得しようとしているのか。
そんなヨーイングを気遣ってのことか、スチュワードが強引に話を変えた。
「――では、休むとしましょうか。考えてみれば、荷馬車に揺られたのも今日でしたね。はて、私たちのトランクはどうしましたっけ?」
「ホールディ神父がしっかり運んでくれましたよ。やはり、もう寝るべきですね」
そして二人は微笑みを浮かべ、魔法に掛けられたように、同時にベッドに転がった。
様々な意味で、限界を迎えていたらしい――
*
そして翌日。
もちろん、ただ待機していたわけでは無く、入浴、着替え、そして身だしなみを整え、網元との談笑に付き合いながらの遅い朝食と、無為な時間を過ごしていたわけでは無い。
そして待ち望んだバーナの来訪が告げられ、果たして彼女が携えていた言葉とは――
「ご主人、待つ、です」
――拙いながらも、来訪の了承を告げる明確な言葉だった。
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