第18話 迷路

 迷路の攻略法として有名なものは、


 ――左手を壁に添えて進めば、ゴールに辿り着くことが出来る。


 などが挙げられるだろう。もちろん、この攻略法が有効に働くのは様々な前提条件をクリアして後のことである。

 では、もっと簡単で確実で有効な攻略法は無いのか?


 実はある。


 ――ゴールから逆に辿ればよい。


 だ。


 話が根本からおかしくなるが、情報収集の場合、この「ゴールを知っている」状態で動く事がどれほど効率が良いのか。


 ヨーイングは遅々として進まなかった情報収集が、一気に動き出した感触を覚えた。


 まず、再びホギンに会い「アブド」という名を確かめてみた。


 そして名前を具体的に挙げることが出来たことで、今度はホギンの記憶を刺激することが出来たようだ。


「ああ、そうです! 確かに、そう呼ばれていました。馴染みの無い名前だったという、あやふやな記憶しかありませんでしたが、間違いないですよ!」


 厳つい顔をした大きな男――


 ただそれだけの印象だった存在が、バダックの証言によって「名前」という共通項が見つかり、存在が確定する。


 となれば、エルダー湖畔の小屋での情景がそのまま“エレニックの奇跡”前夜の情景を描き出している蓋然性は高く、そのような“前提”で、もう一度情報を集めてみると、


 ――クライン個人の天幕には、クライン、レック、アブド、ニナの四名がいた。

 ――クラインの側には、アブドなる人物がいたが正式に紹介されたわけでは無い。個人的な護衛だろうと考えていた。

 ――レックは恐らく秘書のようなもの。

 ――で、あればニナは、クラインの身のまわりの世話をしていたのだろう。


 どうやら、出入りしていた業者達は迷路を逆に辿るようにして、自分たちが納得出来るような“答え”に辿り着き、納得していたようだ。


 そこにバダックの積極性、優秀性が加わったことで、それ以上の四人の関係も推測できたのである。


 即ち、


 ――クラインとニナは恋仲であったのでは無いか?


 という推測だ。そしてその推測に対しても、


「言われてみれば……」


 という、情報が集まりつつあった。


 だが――


 バダックの証言は、ほぼ裏付けられたと考えて間違いは無い。だが、それ以上の情報が出てこないのである。


 それに、そもそもの目的は「クラインの死の理由」を探ることなのである。これが未だに見えてこない。


 「エレニックの奇跡」によって幼なじみを喪った。この時、クラインが死を選んだとするなら、あるいは納得出来るものかもしれない。


 しかしそれ以降もクラインの事績は終わらないのである。魔族を追い払い、今度は人間社会に平穏をもたらしたわけであるから……やはり収まりが悪い。


 そしてヨーイングとスチュワードは再び迷路に迷い込んでしまった。


               *


 ガタンゴトンという響きと共に伝わってくる、身体をくすぐる様な震動。汽車の奏でる様々なおとが、単調に、そして牧歌的に耳に届く。


 「統大帝」とも呼ばれる、皇帝アレキサンドルがもたらした平穏は、こんな場所にまで行き渡っていた。


 ここは皇都グリンネルから八百キロは離れた東の果て。穀倉地帯であり、車窓に流れる景色は、ただひたすらの平野。起伏も無く、真っ直ぐに繋げられたレールの上を、静々と汽車は進んでいた。


 かなりの速度が出ているはずなのだが、比較すべきものが周囲に見当たらないことで、外から見ればまるで静止しているように見える。それほどに浮き世離れしたような風景。


 そこまでして鉄道網を敷いたのは、その線路が行き着く先には海があるからである。諸外国との交流、貿易のためには皇都と海を繋ぐ必要があり、主に貨物を運ぶために、この鉄道は用意されたのだ。


 もちろん、国内での人々の動きが活性化することも望まれてのことだ。人と人を繋げてゆけば、戦いの傷も癒やされるだろうと――それが甘い見通しになるかどうかを判断するのは、まだ時期尚早と言うべきか。


 とにかく汽車は海を目指し、終点がある街の名は「ニコ=デ=ゾンデ」。


 しかし今、汽車に揺られて東を目指している二人の目的地は、その街では無い。

 ニコ=デ=ゾンデからさらに魔導車なり馬車なりを調達して、向かうべき街の名前は「アールシュート」という。


 そして海までは、あと二百キロ――


              *


「……やはりレックは、むしろリーダーとしてその場に居たと」

「果たして最前線に戦略担当の者がいたとして、それが有意義であるかはわかりません。ですが、何しろ敵地に乗り込むわけですからね。クラインと共に戦局を見極める必要があったと考えるべきでしょう」


 東へ向かう汽車――「ドーンライト」号の一等客席に乗り込んだ二人は、そのせっかくの一等客室を無惨な有様に変貌させていた。

 いや、無惨なことになるのがわかっているからこそ一等客室を選んだのであろう。


 部屋を形作る、扉という名の“蓋”が無ければ、周囲がどれほど悲惨なことになっていたか。


 とりあえずの目的地になるニコ=デ=ゾンデまで三日。その間に集めてきた情報の精査をしようと二人が考えるのは自然な流れであり、必然、それは際限なく各種紙切れが幅を効かせると言うことになる。


 それに加えて、料金分の元を取る、などという、けちくさい考えは無かったとしても、二人はひたすら珈琲を消費し続けたのだ。


 どうせ元を取るなら、食事なり風呂なりに気を遣えば良いものを、この二人はほとんど缶詰状態で、しかも情報の精査は堂々巡りとなっていた。


 汽車の単調なリズムに合わせるように、二人は謂わば「議論のための議論」状態に陥ってしまっており――簡単に言ってしまえば“暇”だったのである。


 しかも、これから向かう先、アールシュートで明確な約束が成されているわけでは無い。ほとんど行き当たりばったりの状態で、千キロもの旅程を費やそうとしているわけで、


 ――自分たちの行動は正しい。


 と、ひたすら気休めを行っていないと、矢も楯もたまらない。


 二人の心境を言い表すならこういう事になるだろう。


 だからこそ、レックの役割について――いや四人の幼なじみ達の“役割”について、何度も話し合い、そして大差ない結論に着地するのである。


 経費に関しては、皇帝からも教会からも協力費が提供されているのが救いと言えば救いと言えるのだろうが……


「そしてクラインは、現場指揮官ですからね。これに不思議は無い。その護衛と目されるアブドも同様ですね。ただ女性というのは……」

「やはり引っかかりますね」


 続けてのスチュワードの呟きに、ヨーイングが賛意を示す。そして、このやり取りもまた、何度となく繰り返されたものだ。


 最初はクライン。次いでレック。

 

 さらには名前も知らなかったアブドの姿を捕らえたように思った瞬間に、今度は「ニナ」である。


 ――いい加減にしてくれ!


 という辺りが、二人の本音ではあるのだろう。


 しかも、ただのクラインの幼なじみならともかく、喪ったことで死を選択するに十分な動機となり得る関係であったとするなら、何となくで調査を進めるわけにも行かない。


 しかし、ニナの情報は皆無と言っても良い状態だ。

 名前は確かにわかっていた。髪の色、目の色もわかっている。


 ――だが、だったのだ。


 ここまで複雑怪奇な状態になり得たのは、おそらくは「デザイナー」を自称するレックの手が入っていたのであろう。

 しかし、それだけでは――たった一人の人間の細工だけでここまで、入り組むものなのだろうか?


 何やら人間の力以上の思惑が働いているような……


「ヨーイングさん、そろそろ部屋を片付けましょう。ここまでやって忸怩たる思いはもちろんあるんですが、どうにも現状は“情報不足”が結論になりそうです。そして我々は、その情報を補うべく、すでに行動を開始している」


 クラインの姉であるところの「ジェラースト男爵夫人」。今目指しているアールシュートに隠棲しているということになっているが、それも確定情報では無い。


 だが、そんなあやふやな情報を頼りに、動かなくてはならない程、二人は追い詰められていたのだ。


「そうですね。少なくとも、我々は行動していないわけではない」


 ヨーイングはそう返すが、すでにその言葉すら、自分を誤魔化すために消費されているように感じてしまう。


「しかし……結局のところ、クラインの生涯をたどる流れになりそうですね」


 積み重なった珈琲カップの一番上を持ち上げながら、スチュワードが自嘲するかのような言葉を漏らした。


「そう……いえば」


 そう指摘されて、最初は戸惑ったヨーイングであったが、頷くしかないことに気付く。


 ジンバル村での調査から始まり「ジンバル村の逆転」を中心にした皇都での調査。そして「エレニックの奇跡」という順番だ。


 男爵夫人に会いに行くことで、逆戻りしたかのように思ってしまうヨーイングだったが、その発端は「エレニックの奇跡」なのである。


 そして知りたいことは、四人の幼なじみの関係性。クラインを知るためには、ここを無視することはできない。


 そして、それを確実に知る人物とは――


 ――二人は今、答えを求めて「真っ直ぐな迷路」を進んでいた。

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