第17話 バダック

 皇都を出立して、二人は再び魔導車に乗り込んでいた。何しろこれから向かう先のインフラは整っていない。貸し馬車など、到底拾えるものでは無いし――まず、行く事が出来ない。


 目指すべき場所の名前はデカリーブと言った。


 街と言うべきなのか、村と言うべきなのか、集落と言うべきなのか。


 とりあえず人間が群れなして暮らしている場所ではあったが、人が集団で住むには必要な施設――例えば警察や診療所、あるいは教会――などは揃っていない。

 そういった面倒を請け負う行政施設もない。


 そして、ここはかつて魔族の領域と呼ばれた場所。


 土煙を上げながら魔導車は進む。スチュワードがコンパスを片手に地図を広げ、ヨーイングがハンドルにしがみつきながら。


              *


 深夜のマギグラフ社において、スチュワードが思いついたこと――いや気付いた事とは、ある意味で簡単な事だった。

 

 つまり「軍とは、軍単独で成立しているわけではない」という単純な理屈だ。特に行軍中の軍ともなれば、現地協力者、あるいは出入りの業者は必ず存在する。


 ――マギグラフ社に出入りする人間は、マギグラフ社の人間だけでは無い。


 そうとスチュワードが気付けたのも、あの時、珈琲を持ってこようとしてくれた、後輩記者のおかげだ。


 そして、これは「マギグラフ社」という組織の名が変わっても同じこと。その組織名が「軍」であっても。そんな簡単な事にも二人は気付けずにいたわけだ。


 あまり真っ正面から取り組みすぎたのである。レックという存在に、目眩ましされていたようなものだ。

 また、出入りの業者の存在に気付けたことも大きい。


 金の流れは、確実にその痕跡を残すことになるからだ。


 そういう仕組みになっているのだから、これは確実。


 そこから先は簡単な話で、皇帝の下命で動いている現状では、何ら障害は発生しない。実際、アレキサンドルは鷹揚に経費報告書の調査に許可を出し、その経費報告書はすでに軍部から提出されていたのだから。


 財務省の倉庫に収められている報告書の調査については、軍部も手を出すことが出来ない。


 そこでヨーイングが顔の広さを生かし、会計に明るいものに協力を要請。報告書から、軍から民間人に支払われた金の流れを、簡単に言えば視覚化したわけである。


 当然、その金の流れを追えば金を受け取った団体、あるいは個人名も判明することになり、今度は各地のマギグラフ社の出張所に協力を要請した。


 そして、ついに探索の糸がある人物の名をたぐり寄せた――


              *


「失礼します。あなたがバダックさんで……間違いないようですね」


 左の眉から頬に掛けての傷痕がまず目立つ。そしてぼさぼさの口髭に、短く刈り込まれた頭髪。それだけならば凶相だとも思えそうだが、底抜けな明るさを感じられる笑顔。


 それは、あまりにも聞いてきた特徴に合致しすぎていた。


 革鎧を着込み、護身用だと思われる山刀。埃にまみれたその出で立ちは、なるほど「冒険者」を名乗るだけのことはある。


 聞いていた部分との差異は、髪にも髭にもすっかり白くなっている部分が多い事だ。年齢不詳ではあるが老境にさしかかった、という辺りだろう。


「おうとも。おれっちがバダックだよ。あんた達は……ありゃ、神父さんかい? こんな場所とこまでご苦労なことだねぇ」


 と、ヨーイングの呼びかけに景気よく応えるバダックの声は想像よりも高い。


 二人が話しかけたのは屋外である。寒風吹きすさぶ荒野の中で、うずくまるように存在するデカリーブ。

 魔導車を適当なところに停めて、建物が並ぶ一帯に踏み込んだ瞬間の邂逅であった。


「ご挨拶させてください。私はスチュワードと言います。ただ残念ながら、主の教えを伝えるために訪れたわけでは無いのです。そして、こちらが――」

「私はヨーイングといいます。マギグラフ社の記者です」

「ははぁ、それはそれは。お世話になってるよ」


 と、バダックが応じたのも予想の範囲内だ。何しろマギグラフ社のバックアップで、バダックはガイドブックのようなものを出版している。


 余人は近づかない場所へ単身乗り込んで、その様子を人類社会に伝える。なるほど確かに「冒険者」という名乗りに間違いは無い。


 畢竟、その「冒険者」のスキルは「斥候」としても有利に働くものであり、戦争時には、協力を求められることも多い。

 そんな中、バダックが受け持っていたのは「郵便」である。


 度々、司令部の位置を変える戦時あって、故郷に残した家族、友人、それに恋人からの手紙を届ける仕事を請け負っていたのがバダックというわけだ。


 バダックは仕事の速さ、さらには確実に手紙を届けるという信頼性で、随分有り難がられた。


 軍の行動中であるので、情報は秘するべきなのだろうが、それは軍内部で扱うべき情報であり、バダックが扱っていたのはあくまで民間の手紙だ。


 もちろん、そういった手紙の中に、何かしらの伝達を紛れ込ませることもできるわけだが、だからこそのバダックであったのだ。

 軍も、バダックを随分信頼していたようで、時には司令部のテントに迎え入れられることもあったらしく――


「では、英雄クラインにも会った事があるわけですね?」


 ヨーイングは驚いたような声を上げた。バダックとクラインが会っていたことは、すでに掴んでいる情報であったが――だからこそ会いに来た――このぐらいの小芝居は必要だと考えてのことだ。


「そうだよ。もっとも、おれっちにとっては誰が相手でも、変わらない話だけどな……でも、死んじまったって聞いた時は……」


 さすがに、このような僻地であってもクラインの死については伝わっているようだ。バダックは沈痛な表情を浮かべる。


 そのバダックは二人を引き連れながら、集落の中をウロウロと歩き回っていた。どうやら次の「冒険」の準備らしい。

 ギリギリで間に合った、というところだろう。


「それで、わざわざおれっちを訪ねてきたのは昔話をするためなのかい?」

「言ってしまえば、そういうことになりますね。クラインの伝記を出版しようかというアイデアがありまして」

「おれっちがやったみたいにかい?」

「ざっくり言えば、そんな形になるかと――ただ“エレニックの奇跡”。ここがどうにも難しくてですね」


 あらかじめ用意しておいた「建前」を並べていくヨーイング。出版の経験があるバダックなればこそ、これで十分納得するはずだ。

 出版に際して、一から十まで自分で書く必要は無く、専門家が書いたものに注釈を入れるだけでも、十分著作になると言うことを。


「ははぁ、なるほど。アレは酷い戦いになったらしいからね」

「ええ。当時の状況を知っている方がなかなか……ですから、バダックさんの貴重なお話を、お聞かせ願えれば、という次第です」

「貴重って、そんな……わかった。なんでも聞いてくれ」


 と、言いながらバダックは持っていた木箱をその場に落とすと、その上にどっかりと座り込んだ。基本的には雑――というか、デカリーブという集落では、これが最適なのかも知れない。


 下手に屋内に入ってしまえば倒壊の危険性もある。

 ヨーイングもそのまま続けた。


「――軍を率いてのクラインについては、割とわかっているのです。ただ、それだけでは伝記にしても味気なく。当時のクラインのご友人との様子などをお伺いしたいと……」

「ああ、なるほど。そういうことだね。確かにおれっちは天幕の中にも乗り込んでいったからね。言っとくけど、手紙を確実に届けるためだよ」


「承知しています。では、ご友人とも?」

「そうだね。あの、綺麗な兄ちゃんはレックとか言ったかな? 今思い返すと、あの綺麗な兄ちゃん宛の手紙をやたらに持っていった気もするよ」


 その“証言”に、ヨーイングとスチュワードが視線だけで頷き合う。


「……それで他に覚えていることはありますか?」

「ああ。何せアレは奇妙な話でね。女の子がいたんだよ。あれはクラインといい仲だったんじゃ無いのかな?」


 いきなり突きつけられた――とんでもない証言。

 戦地に女性がいることも普通ではあり得ない。そしてクラインに恋人がいた、とも受け取れるバダックの言葉。


「――それは、ずっとその女性が同行していたのですか?」

「それは、わかんないよ。ただまぁ、絶対に無いって話でも無かったからね。お貴族様も戦場にいたわけだし」


 スチュワードが質問を引き継ぐと、バダックは淀みなく答え続ける。


「ただ、その女の子はちょっと雰囲気がね。クラインも大事していたと言うよりは、逆に女の子に大事にされていた、という感じだったよ。それで覚えてるんだけどね」

「その女の子の名前はわかりますか?」


 手帳を広げながら、ヨーイングが勢い込んで尋ねる。もちろんメモをとるためでは無い。かつての証言と照らし合わせるためだ。


「ああ。えっと……ニナだね。間違いない」


 名前が一致した。

 ジンバル村の四人の幼なじみ達。

 クライン、レック、そして――ニナ。


「バダックさん。もしかしてもう一人、クラインの側にいたのでは?」

「ああ、いたよ。名前は確か……アブドって呼ばれていたな。やたら大きい兄ちゃんでな。あれはクラインの護衛だったと思うんだけど、それにしては気安かった風でもあるし」


 これで――ジンバル村の四人が揃ったことになる。しかし、それが意味することは何なのか? スチュワードの鷲鼻が、やたらに蠢いていた。

 興奮しているのであろう。


「バダックさん。実は、そのレックが命を落としたと……」

「ああ、知ってる。ニナって子もその時な」

「殺されたんですか!?」

「“エレニックの奇跡”なんて言われているが、随分酷いことになったみたいでね。おれっちはその場に居なかったが、もちろん怪我人を助けに行ったんだよ。それで女の子が気になって聞いてみたら……」


 どうやらレックと共に、ニナが命を落としたことに間違いは無いようだ。生きていれば――クラインが保護しているに違いないのだから。


「では、アブドという人物は?」


 動揺するヨーイングに代わって、スチュワードが冷静に確認する。


「そっちは全然さ。行方不明って奴だね。とにかく、勝って帰ってきたクラインの側には姿が見えなかったよ」

「では、クラインはその時――」


 ――幼なじみを全て喪った。いや、もしかすると恋人さえも。


 その事実に打ちのめされたヨーイングは、それを口に出して確認する事が出来なかった。


 いや、もはや確認するまでも無いことなのかもしれない……

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