第16話 珈琲
レックという男が何処まで世界を見通していたのかは、今となってはわかりようも無い。だが、運が良かったことは間違いないだろう。
何しろ出世の糸口になる貴人との繋がりについては、その貴人――ロゼリアンヌ自身が、自ら“釣り糸”を垂らしていたのだから。
「……ロゼリアンヌ様の“趣味”までデザイン出来るとは思えませんから、この辺りは自然発生的なもの、と考えるべきなんでしょうね」
「レックはそれを利用した、と」
スチュワードの確認に、ヨーイングが賛意を示す。
「そして、繋がりを持った上で起こるのが“ジンバル村の逆転”。厳密に言うと、その初手にあたる魔族のエルダー湖の両端からの攻勢ですね――これもまた……やはり、これも幸運ということになるのでしょう」
「幸運でないとするなら……レックが魔族をも操った、ということになってしまいますから、そういうことになりますね」
再び賛意を示すヨーイング。今度は他の選択肢が無い、とも言える状況であったが。魔族まで意のままに操れるのなら――死亡、という結果を、レックが迎えるはずは無いからだ。
それでも魔族の侵攻を“幸運”という事象に落とし込んでしまうのは……
「恐らくですが、魔族の動きに気付いたのは、クラインではないだろうか? と思うんです」
「それは……ええと、共作としての“クライン”では無く?」
危うく、話を見失いそうになっていたヨーイングは慌てて自らの心を引き戻した。
スチュワードは、そんなヨーイングの内心に気付かなかったのか、ごく自然に応じた。
「そうです。恐らく魔族が攻勢を開始した段階で、もはや戦略ではなく戦術の範疇になると思われますので――ロゼリアンヌ様の証言に因れば、戦術家としてクラインは確かな力量はあったようですし、その後の事績においても……」
スチュワードの語尾がしぼんでゆく。この辺りの推測は、スチュワード自身も自信が無いのであろう。
しかしヨーイングにしてみれば、その前の段階から確認したい部分があった。
「スチュワードさん。結局戦略と戦術の違いとは――」
「人によって言い方は色々あるんでしょうけど、戦略は
そのぐらいの理解で良いと思います、とスチュワードが何処か機械的に応じた。しかし説明としてはヨーイングの疑問に十分応え得る内容である。
ヨーイングは、その説明を噛み砕いたうえで話を元に戻した。
「……では、クラインは魔族の動きを見て、魔族が用意した戦力がどう動いているのか察した、という……」
「――と、私は考えるんですけどね。何しろ現在と違って、昔のエルダー湖の対岸は魔族の領域ですから。謂わばクライン達は最前線で生活していたわけです。であれば何かしら気付くことがあったのでは無いかと」
自信なげなスチュワードの様子に。ヨーイングは首を捻る。それほど無茶な想像とは思えなかったのだが……まず、その想像を先に進めてみる。
つまりエルダー湖の対岸で、おかしな動きがある。そういったクラインからの報告に、レックが魔族の“戦略”を見抜き、逆に魔族の中枢に襲撃を掛けた――
なるほど、こうやって繋げてみると、スチュワードの不安もわかるような気がした。途中までは順繰りにページを捲っているような感覚だが。突然、数ページ――いや、一章丸ごと抜かして読んでしまったような感覚がある。
「……恐らく、まだ情報が抜け落ちているのだと思います。私が一番、引っかかっている部分は、魔族に奇襲を掛けるとしても、今の推測のままでは……何と言いましょうか。力不足ではないかと」
「クラインにその力量がなかったと?」
「今は、そういった想像の方がしっくりきますね。そこで気になるのがホギンさんが覚えていた、名前を覚えていない……」
「ああ、大きな身体だったという――」
ヨーイングはスチュワードの考えのおおよそのところを掴んだ。
どうやら、クラインの過去にはさらにややこしさがあるようで、恐らく“英雄クライン”の共同制作者は、レック、クラインに留まらず、もう一人いる可能性――スチュワードはそれを考えていたらしい。
思い起こせば、ロゼリアンヌとの面会の時にもスチュワードは気にしていた。そして、それに対するロゼリアンヌの答えとは――
「……ひょっとして、ジンバル村が糊塗されていた理由がその辺りに? それにあの放火も」
「ええ。よほど知られてはマズい事になると……そんな風に考えられている“何かしら”がまだ隠されている。そんな風に私は考えてしまう」
「スチュワードさん……」
早く言って欲しかった、という思いと、さりとて言われたところで、どうしようも無かっただろうという諦めに似た感情。だが確かに証言が集まってゆけば……スチュワードを責める理由にはなりそうもない。
しかし、ジンバル村を変えたのは皇帝では無くレックだったのか。確かに内政の範疇ではあるが、ジンバル村はほとんど最前線だ。
そんな場所に軍事的な意味合いで手を入れるとなれば、皇帝はそのままスルーするだろう。
何しろ、奏上したのは忠臣たる“クライン”であって、その時にはロゼリアンヌを引き取って貰ったという負い目もある。であれば、“クライン”に言われるままに許可を出したに違いない。
この想像が当たっているなら、“クライン”の息の掛かったものが多い軍部から情報が出てこないのも、当たり前の話だ。
ましてや激戦の果てに「エレニックの奇跡」は起こっている。単純に、生存者が少ないのだ。
――これはいよいよ手詰まりだろうか?
そういった検討の末、ヨーイングが覚悟を決めたその時、闖入者が現れた。
「まだ居たんですか? 珈琲いります?」
明らかに繋がっていない呼びかけを並べながら顔を出したのは、ヨーイングの後輩であった。カッターシャツの襟も袖も、キッパリと汗染みている。いやそれ以前に、目の下のクマが……
しかし、新聞社にとっては日常の風景である。
ヨーイングは麻痺した心のまま、珈琲を注文した。他に選択肢は無いのだ。そして、やはり麻痺したままスチュワードに確認してみる。
「ああ、私は結構です。いくら何でも、一端休んで教会に顔を出さなければ」
「大変ですねぇ。それじゃ、何か甘い物でも」
「お気遣いありがとうございます。しかし、そちらこそ休憩が必要なのでは?」
スチュワードが苦笑半分にそう混ぜっ返すと、後輩はどこかしら浮き世離れした笑みを返してきた。
「いえいえ。給湯室から持ち出すついでですから。あとで、出入りの業者さんの請求書が怖いですね……怖いのはウチの経理部ですか」
どうやら、色々と壊れてしまっているらしい。
「お前、今やってるの……なんだっけ?」
「舞台女優の
そこで後輩が不意に口を噤む。
どうやら教会も関係しているらしい。
これほどあからさまでは、スチュワードは察しているに違いないと、ヨーイングがこっそり窺ってみると、果たしてスチュワードの表情が変わっていた。
しかし、その表情は予想と違い――どういうわけか喜色が浮かんでいる。
「スチュワードさん?」
「これは……いけるかも知れません。皇都では無理ですね。私も各地の教会に尋ねてみますから、マギグラフ社にも協力を、お願いします」
「そ、それもちろんですが、一体何を……?」
「それはですね――」
スチュワードが説明を始め、後輩と共にそれを聞いたヨーイングは、とりあえず寝ることにした。
体力の限界では無く、協力を求める以上、常識的な時間に行動する必要があるからだ。で、あるなら時間合わせのために、とりあえず寝ることにした、というわけである。
――記者の仕事とは、概ね非常識な時間に仕事を重ねる事でもあるらしい。
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