第15話 エレニックの奇跡

 一一八七年に開始された魔族への反攻作戦。

 具体的な作戦内容を言えば、即ち魔族の領域への逆侵攻作戦である。領土を欲したわけでは無く、魔族に痛撃を与えて大人しくさせよう。

 それが戦略目標だった。


 最初はクラインの指揮の下、繰り返される魔族の侵攻に対処していたのだが、一一八七年緑萌月二十三日。突如、クラインは魔族の奥深くへの逆侵攻を開始したのである。


 だがそれは兵理に適う動きでもあった。


 魔族の侵攻に対して、いつまでも迎え撃つだけでは消耗戦になってしまう。そして消耗戦になれば、そもそも魔族と人間では身体も魔力も違うのである。つまり人間は弱い。

 向かう先はジリ貧でしかないのだ。


 そこでクラインは、冬の間はひたすら我慢を重ね、魔族を攻め疲れさせた上で、力を蓄えて春期に攻勢を開始したわけである。

 魔族の首脳部を狙って。


 また冬期の間にアレキサンドルの手腕によって、人間達の戦力が糾合されていたことも、大きな力になったことは間違いないところだ。


 乾坤一擲。


 ――といえばまさに、この攻勢がそうなのだろう。

 

 欲に駆られたわけでは無く、望むのはただ恒久的な人類社会の平和。そのために力を振るうべきは今――


 そして、ここで明確な記録が散逸してしまう。

 

 その理由としては第一に、魔族の領域に踏み込んでの作戦であったことが一番に挙げられるだろう。連絡手段、それどころか補給路共に限られている状態で頻繁に報告が行われたわけでは無いということだ。


 簡単に言えば、複数の情報入手経路が無いと言うこと。また。周囲に住む「民間人」などいないと言うこと。これが行軍の様子を曖昧にしていた。


 そして第二の理由は、人類側の被害も尋常では無かった、ということだ。実に総兵力の四割を失っている。


 しかも輜重隊については大きな被害は無く、最前線で戦い続けた戦闘部隊は“本当に”全滅に近い被害を受けていたのである。


 ――だが人類は勝った。


 見事に魔族を追い払って、さらに奥地へと駆逐したのである。その中心となったのが、逆境にあっても決して怯まなかったクラインの働きあることはいうまでもない。


 兵達を鼓舞し、叱咤し、自らは最前線で戦い続け、ついにクラインは成し遂げたのだ。


 そのきっかけは魔族の奇襲に遭ったこと。そのため、クラインは一時生死不明との報が流れたのだが、一転、クラインはそこから人が変わったように魔族達を攻め続け、ついに勝利を掴んだのである。


 危機に陥り、そして逆転した場所は「エレニック」と呼ばれる場所であった。


 そう伝えられた当時は、その名も知れ渡ったものだが、人類の版図に組み込まれることの無かった「エレニック」の名は、やがて立ち消え、


「クラインの大反攻作戦」


 と、総括された名称が知れ渡ることとなった。

 

 現在の状況――いや現在の“伝説”という、矛盾を孕んだ言葉の方が相応しいのであろう。


 ヨーイングとスチュワードにとっては。


                  *


 二人は変わらずグリンネルに居た。

 消極的に言うなら、皇都を出ても向かうべき場所を見出せなかった。


 そういうことになる。


 方針はわかっていた。


 当時の反攻作戦に従軍したものを見つけ出し、エレニックにおいて何があったのか? それを調べなければならない。


 すでにこの取材は皇帝の下命に因って行われているもの同然の状態だ。そういう意味では、障害はなくなったかに思われたが……


「陛下と軍部の折り合いがこれほど悪いとは考えていませんでした。マギグラフ社では、どう考えておられるのですか?」

「そこがどうにも……ただ軍部はひたすらクラインの喪に服している――というような状況であるようですね。あるいは何事か隠しているかのような……」


 語尾を濁すヨーイングが、背もたれに身体を預けている場所は“いつもの”と言うべきであろうマギグラフ社の一室だ。

 別に豪華な椅子では無いので、それで身体が休められるという姿勢では無いのだが、思わず、といった風情である。


 一方で、スチュワードはこれまたさほど高価そうには見えない――今にも穴が開きそうな――薄いソファーに深く腰掛け、鷲鼻をひくつかせていた。

 ロゼリアンヌとの面会の後、考えの断片を口にすることはあったが、どうやらスチュワード自身が整理し切れていない様子。


 新たな証言を集めていく中で、自然に整理されるに違いないと、そんな風に考えていた“フシ”がある。


 しかし、その見通しは甘かった、と言うしか無いのであろう。


 ヨーイングが調達してきた珈琲の苦さが、二人の喉を灼く。

 珈琲で眠気が飛ぶような生易しい状態は、二人はすでに通り過ぎてしまっている。現在の時刻は午前二時。


 今日もまた、成果も無いままに帰路につくことになるのか――


「……スチュワードさん。結局“デザイン”という言葉にはどういった意味があったのでしょう。いえ、何となくはわかるのですが、どうにも言葉にしにくい。それとも私の理解が間違っているのか……」


 “デザイン”とは、もちろんレックが口にしていた言葉だ。

 確かに、何となく、といったレベルでは理解したとも言える状況なのだろう。しかしこれを普遍的な言葉に翻訳するとなると……


「……私としては“戦略”という言葉になると思っています」

「戦略、ですか?」


 スチュワードから答えが返ってきたことが意外だったのか、ヨーイングがオウム返しに尋ね返す。


「レックのやっていたことは、軍事の範疇に収まったものでは無いですから『戦略』とは言い難い。ですが、今までと同じようにクラインを中心として考えた場合、レックの“管轄”は戦略になるのでは無いかと……そして、この推測を確かめようと考えていたのですが」

「証言者が現れませんからね」


 スチュワードが“あやふや”だったのも無理の無い話だ。しかし当時の状況を知る者を闇雲に探すやり方は、もはやジリ貧と言うべきなのだろう。

 深夜ではあったが、このまま方針転換を検討する事は良い機会かも知れない。


 ヨーイングはそう判断した。そしてそれをスチュワードに告げる。

 

「……そうですね。ここで強引に整理した方が良いのかも知れません。ただ、ですね」


 ヨーイングの表情を窺うスチュワード。このまま話を進めれば、意図せずともクラインを貶めることになる可能性がある――それを心配しているのだろう。

 ヨーイングはそれを察してこう返した。


「クラインについてですが、まったくの虚名というわけでは無いようですし……」


 ロゼリアンヌの証言に因ればそういうことになる。そして、ロゼリアンヌが嘘をつく必要は無い――そういった女性だった。

 とにかくヨーイングがそういう考えであるなら、スチュワードとしても望むところ。話を進めることにしたようだ。


「それでは……私はね“英雄クライン”とは、共同事業の名称ではないか? ……と、そういう考え方に囚われているんですよ」

「それは……共著、あるいは共作?」

「ああ、そうですね。そういう言葉の方がしっくりきます。クラインとレックが協力して生みだした英雄。そういう存在であったのではないでしょうか?」

「それは――」


 ヨーイングは思わず言葉を挟んだが、続ける事は出来なかった。


 だがしかし全面的にスチュワードの考え方を支持したわけでは無い。むしろ、問題点はすぐに思いつくだけでも、二つ。


 共同作業であっても主導したのは誰なのか?


 そして、クラインの事績は「エレニックの奇跡」の後も続いているのである。ロゼリアンヌが言うように、レックがその時死んだとすれば、その後「英雄クライン」は誰が作り続けたのか?


 そういった疑問がある中で、それでもヨーイングはスチュワードが“正解”に辿り着いているだろうと、感覚的に理解してしまっていた。


 そんな論理的思考と感覚の齟齬が、ヨーイングを停止させる。

 スチュワードとしても、この齟齬が難しいところらしい。しかし始めてしまった“整理”を止めることに、より強い違和感を覚えたようだ。


「……“ジンバル村の逆転”。やはり始まりはここにあるように思えます」


 そう切り出すことで、スチュワードは整理の継続を主張した。

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