第13話 デザイナー

 翌日――


 などと文字に書いてしまえば簡単な話になってしまうが、ヨーイングにとっては、それほど簡単な話では無かった。


 アレキサンドルが去った後もロイヤルスイートに軟禁状態。そしてひる過ぎまで留め置かれ、皇宮から派遣された馬車――格調の高さを示すために魔導車などという物は使わない――に押し込められて皇宮に攫われる、という境遇に陥ってしまったのであるから。


 六頭立て、しかも装飾過多な馬車を利用する犯罪者集団に囚われたようなものだ。ヨーイングの精神こころがバランスを失うのも仕方の無いところだろう。


 スチュワードは老婆からの話をもう一度聞いた後、自分にあてがわれた寝室に籠もってしまった。そして翌朝には、


「恐らく、その老婆についてはヨーイングさんのお手柄、という形になるでしょうね」


 と、ポツリと呟いた。つまりヨーイングを餌にして、ロゼリアンヌの周囲で不穏な噂をまき散らす可能性のある人間を皇帝は見つけ出した、ということになるわけだ。


 その後、金で口を閉じさせたのか、あるいは……


 しかし、老婆がどのような運命を辿ってもヨーイングにとっては、どうしようも無いことは厳然とした事実である。


 ただ今更、老婆の口を塞いだところで、どうしようもないのでは? とヨーイングは皮肉な考えに囚われてしまうのだ。


 何しろ、これから向かう先は皇宮。


 この時点で、おかしな話になっているのだから。


 クラインが死んだとは言え、ロゼリアンヌの身の上はあくまでクラインにした女性。となれば皇帝から下賜されたクライン邸の女主人となって然るべきであるのに、彼女はさっさと実家にあたる皇宮に引き上げてしまっている。


 世間ではクラインと不仲との噂が囁かれ、その奔放さに眉を潜めるものが多くいた。


「英雄の妻なのだから、慎ましくあれ」


 という、ある意味身勝手な要望があったのである。そこで、その不行跡振りが囁かれ、しかもロゼリアンヌが“慎ましくない”という評価は、まったくのデタラメでは無いという事実。


 こうなってしまうと、ロゼリアンヌが皇宮に引っ込んだのも、あるいはアレキサンドルの指示であるかも知れない、とも推測できるのだ。


 クラインの邸宅に留まり続けていたのでは、ロゼリアンヌが好き勝手やり過ぎる――


 この辺りが真相なのでは無いだろうか?


 馬車に揺れながらヨーイングはそんな考えに浸っていた。


 車窓から覗くのは繁華街から外れ、たっぷりとした敷地を確保した邸宅が並ぶ貴族街。皇都グリンネルの南東に位置するこの地区においては、皮肉にも冬の寒々しさがより一層感じられる。


 精緻ではあっても拒絶する事を第一とした石造りの塀。その向こう側に見えるのは守るべき屋敷では無く、ただ虚しい“空白”だけ。

 敷地が広いだけに、人の居住空間が見えてこないのである。


 さらに季節ふゆであることで、植えられた木々にも潤いを感じられない。それは街路樹に関しても同様だ。全体的な印象としては、植物がまばらに生えている荒野。


 この辺りが一番近いのかも知れない。それも整理された荒野という、矛盾を内包しているのだ。


 蹄が石畳を打ち鳴らす音。車軸のたわむ音。時折、囁くように奏でられる馬の鼻息。その全てが、空虚さを際だてるための要素。


 その空虚さの果てに皇宮はある。


 疑惑を集めたロゼリアンヌを抱え込んだ状態で――


              *


 ひる過ぎまでホテルに留め置かれたのは、あるいはアレキサンドルの厚意であったのかも知れない。何しろ、すぐさまロゼリアンヌとの面会の運びになったのだから。


 ヨーイングとしては皇宮での面会とは言え、どこかの一室に案内されると考えていた。しかし通されたのは、まるで謁見の間のような長細い一室だった。


 しかしそこに居並ぶ文武百官はいない。まるで屋外の荒野じみた雰囲気を移植してきたようである。


 アレキサンドルが皇宮の主となって以降、手は入れられたのであろうが、そのために“新品”にありがちな無機質さが窺えた。


 磨かれた大理石の床。その上に敷かれた蘇芳色の絨毯。豪華であるのかも知れないが、ただそれだけとも言える。


 それ以上に空虚さを際立たせているのが、この部屋に入り込んでくる冬の陽。採光を意識してのことか窓はやたらに大きい。いや、窓である前にこの部屋全体が温室のような造りであると考えた方が表現としては適している。


 それ故に、空虚さがますます際立つのだが……


 奥まった場所に、やはり勢を凝らした背もたれの高い椅子が一脚。その椅子に、しどけなくもたれかかっているのが、時折民衆の前に姿を現すロゼリアンヌであることは間違いない。


 黒髪の巻き毛。赤い瞳。身につけている衣服ドレスは黒色であったが、喪服のようには見えない。ただ、そのくろが彼女の好みであるだけだろう。


 特に肌を隠そうという意図も無く、肩口から二の腕までほとんどむき出しの有様なのだから、やはり喪に服しているようには見えない。噂通りと言えば、まさにその通りと言うことになってしまう。


 ただ、他を圧する美貌の持ち主である事は間違いない。――、という部分であるのかも知れないが。


「それで? わらわに聞きたい事とは何か?」


 ロゼリアンヌは出し抜けに、階下に佇む二人に話しかけた。階下と言っても、椅子が置かれている場所が数段だけ高くなっているだけに過ぎない。しかし、そういった造りであるからこそ、まるでこの部屋が謁見の間に思えてしまうのである。


 最初、ヨーイングは跪いて待ち受けるべきかと考えたがスチュワードは立ったままロゼリアンヌの登場を待ち受けていた。そしてロゼリアンヌも、その辺りに頓着を見せなかった。


「端的に申し上げれば、クラインについてでございます」


 ヨーイングが用意してた言葉にアレンジを加え、その上想定よりも随分早くロゼリアンヌに向けて直接的な言葉を投げかけた。

 ロゼリアンヌと二人の間の距離は、十メートルは離れている。


 互いが互いを牽制し合った結果、ということになるかも知れない。


 この場にいるのは一見、この三人だけに見えるが、もちろんロゼリアンヌの警護、そして監視のための人員は配されているのだろう。

 それを意識してのことか、ロゼリアンヌは不機嫌さを隠そうともしない。


「妾が彼の者に対して弔意を示していないとか、そういった話であるなら無用なことだ。そこなる神父もそのために同行しておるのだろう。陛下もわざわざ……」

「ええ。陛下については私も疑問に思うことがあります。陛下はクラインに興味が無かったのでしょうか?」


 ロゼリアンヌを遮るようにして、スチュワードがいきなり切り出した。


「なんじゃと?」


 さすがにロゼリアンヌが聞き返した。


「我々はクラインの生い立ちから調査して参りました。そうすると、クラインとは万夫不当な勇者であったとは考えづらく……それに陛下はそれにお気づきならなかったのか? と疑問を覚えまして」


 すかさずスチュワードが言葉を並べた。

 気怠そうであったロゼリアンヌの赤い瞳に、一瞬だけではあったが光が瞬く。だが次の瞬間には、再び蕩けるような眼差しに戻ってしまった。

 そして、こう続ける。


「そうじゃな……陛下は、結果だけを大事にし給うお方であるから。そしてクラインのもたらす結果に陛下はいつも満足しておられた」


 ――クラインの為人を知らぬ。


 昨日の密会でそう告げた通り、アレキサンドルにとってクラインは“有能過ぎた”人間だったのであろう。つまり黙ったままでいても極上の成果をもたらす“機械”。

 こういった扱いだったのだ。


 それは政治の世界で戦うアレキサンドルに余裕が無かったとも考えられるし、あるいはクラインの背景を整えるためとは言え、不肖の娘を押しつけた事への逃避であったのかも知れない。


「それでは、ロゼリアンヌ様」


 ヨーイングが声を上げた。


「クラインと面会される前に、レックと呼ばれる人物と交流があったように私は聞きましたが……」

「うむ」


 躊躇無くロゼリアンヌはそれを肯定した。


「では、そのレックとクラインが旧知の間柄であった事はご存じだったのですか?」


 実のところ、ホギンの証言に出てきた“レック”と、老婆が口にした“レック”が同一人物であるという確定情報はない。

 その蓋然性が高いと言うだけだ。


 だがそれを確定事項のように語ることでロゼリアンヌから情報を引き出したいという意図が、ヨーイングにはあった。

 そしてそれに対する、ロゼリアンヌの答えとは――


「ご存じも何も、クラインを妾に引き合わせたのはレックであるぞ」


 というあっさりした物だった。

 思わず蹈鞴たたらを踏みそうになるヨーイング。それは傍らのスチュワードも同じだったようで翡翠の瞳が大きく開かれている。


「それにしても……レック。懐かしい名じゃ。あの男は、自分で自分を“デザイナー”など言っておったな」


 ロゼリアンヌはそう言って、クククと含み笑いを漏らした。


 その言葉の意味を知ることは――果たして前進となるのか。


 上機嫌になったロゼリアンヌの赤い瞳が妖しく輝く。

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