第11話 レック

 伝わるのはレジナルドという名前のみ。いや本名らしきものが判明した分、まだまし、というべきかも知れない。


 ホギンの証言が無ければスチュワードも見過ごしていた可能性は高かったのだから。それほどにレックと存在すら危ぶまれる人物だった。ただ、クラインの側にいたことは確実と見て間違いないだろう。


 その立場がよくわからなかったが、ホギンの証言によって、どうやらクラインの幼なじみである事も、まず間違いない。


 では、名前もはっきりしないレジナルド――即ちレックを覚えているものが複数存在したのは何故か? 実はこの謎に対しても複雑な理由はない。


 レックは美しかったのである。


 白皙の肌。線も細く儚げな印象。それでいて濃い茶色の髪と藍色の瞳が、その印象に対してコントラストを描き出しており、そのまま吸い込まれそうな雰囲気であったらしい。

 

 いきなりその場にポッカリと穴が開いたような。

 そんな“存在”がレックという男であったようだ。


 スチュワードが掴んだのはそういう情報である。


 そしてその情報が、とある老婆からもたらしたある証言を裏付けることになった。

 その証言を入手したのは、もちろんヨーイングである。もっともヨーイングが苦労の果てに引き出した証言、というわけではない。


 ヨーイングがロゼリアンヌの“噂”について調べている事。そしてマギグラフ社の記者である事。この条件が揃ったことによって、老婆にとっては絶好の機会が訪れたと思わせるのに十分だったらしい。

 

 即ち、自分の話が金になる、と。


「ええ、ええ。確かにウチはロゼリアンヌ様のお世話をしておりましたですじゃ」


 裏路地を歩くヨーイングの前に、そう訴えながら老婆は現れた。


 老婆は生活に困窮していることが見て取れる服装だった。ただ寒さを凌ぐために薄い服を何枚も重ね着して着ぶくれし、その上から重ねて身につけているエプロンについた染みもまた幾重にも重なっている。もはや体型も何もかもはっきりしない。


 ただ子供と変わらぬほどに背が小さい。それだけはわかる。


 そしてアルコールでむくみ赤くなった頬がいかにもアンバランスではあったが、着ぶくれのおかげで何かしら不気味な絵本の登場人物と思えば、ありそうな外観ではあった。


 ヨーイングは半ば儀礼的に、老婆を手近な安酒場に誘い、すぐに情報が欲しいと切り出した。相手が話したがっているのだから、駆け引きは必要無いだろう。


「……お世話というのは今もかな? そのあたり、どうなんだい?」

「さてさて。ウチは人の目に触れてはいけないお役目でしたから」


 しかし老婆は、わかりやすく金を無心してきた。そこでヨーイングはまずエールを重ねて注文して牽制した。このような情報提供者に対して、言われるがままに金を出していては、かえって取り逃すことになる。


 自分の情報が貴重なものであると、相手にアピールさせた方が見極めも容易い。そのためにはアルコール。感触的には高級な蒸留酒ぐらいは奢りたいぐらいではあったが、とりあえず、ということで乗り込んだ場末の酒場にそんなものは無い。


 であれば“量”で押しきるしかないだろう。


「そちらの情報の貴重さは、聞いてみないことには判断出来ないよ。ただ、こちらがケチでは無いことを信用して貰うしかないね――もう十年も前の話になるのかな」

「もっと前からでございますとも。ロゼリアンヌ様はそう……御病気でありましたから」


 御病気――簡単に言えば“色狂い”と言うことになるだろう。男と肌を合わさなければ、日常生活もままならない。


 やはりロゼリアンヌとは、そういう女性であるらしい。


 しかし十代の頃からそうであったとは……ヨーイングは驚きを抑えてさらに老婆に尋ねる。


「それは……男なら誰でも良い、というわけではないんだよね?」

「はいはい。そこが厄介なところでございまして。ロゼリアンヌ様は大層な美形好みでございましてな……まずウチらは、美しい若者を見繕うわけでございます」


 ウチ“ら”。


 その言葉に引っかかりを覚えるヨーイングであったが、そこに踏み込んでしまっては、クラインの調査どころでは無くなる。


 ヨーイングは老婆に先を促した。


「ロゼリアンヌ様の好みというのは、何となくですがわかっておりましたからの。なんというか、ひ弱な感じの男がお好みで、ヒャヒャヒャ」


 突然奇声を発する老婆。笑ったのであろう。例えようも無いほど不気味ではあったが、自分から話し始めたのは良い兆候だ。

 ヨーイングは気前よく、好物を聞き出し注文すると「肉」と直接的で、そして相応しい答えが返ってきた。

 それがテーブルに並べられるのを眺めながら、ヨーイングは話を進める。


「そういった男を集めるのだね。それで……」

「はいはいはい。そこからロゼリアンヌ様がご自身の目で選ばれるわけでござります。何しろいくさが絶えぬ世の中でございましたから。ご飯を食わせてやると言えば、簡単に集まります。それに本当に食べさせるわけですから」


 確かに看板に偽りはない。しかも、そのあとに贅沢させて貰える可能性もあるわけだ。ある意味では慈善事業と呼べるのかも知れない、とヨーイングはそう納得しておくことにした。


「では問題のレックは、おばあさんが見つけてきたわけだ」

「いやいやいや。それがそれが」


 そう言ってもったいをつける老婆。かじりついた肉から肉汁がたれ、新たな染みをエプロンに作り出すが今更だろう。ヨーイングは慌てずに続きを待った。エールをさらに注文しておく。


「……記者さん、確かに気前はよろしいなぁ。それで――そうそうレックという男の話でございますな。ウチも今初めて名前を知ったわけですが。とにかくとんでもない美形が紛れ込んでいるな、と。集めてきた男の子にはご飯を食べさせるために、さる離宮でもてなすわけですな。一見パーティーのような感じでございまして」


「その様子をロゼリアンヌ様がご覧になると……で、そこでレックは随分目立っていたわけだ」

「左様でございます。何しろ飛び抜けての美形。すぐさまウチはわかりましたよ、ええ。これはロゼリアンヌ様が選ぶに違いないと。いやそれ以上に手放さないに違いないと」


 ヨーイングは首を傾げた。


「それほどの美形をおばあさん以外が見つけてきたんだよね? 悔しかったんじゃ?」

「いやいや。ウチが見つけていても連れて行きはしなかったでしょうねぇ」

「何故?」

「あの美しさは、何というか危なすぎたんですなぁ」


 老婆はそう言いながらジョッキを呷った。喉が乾いたとか、酔いを欲したからではなく、まるで禊ぎでもするかのように。

 そんな老婆の様子にヨーイングは、ある予感を感じながらも言葉を用いて確認する。また、そうしなければならない立場でもあった。


「……具体的に、どんな風に危なかったのかな?」

「それはもう、取り合いでございます。女どもが狂ってしまうんですな。あれほどの美形を前にしてしまうと」


 まるで自分が女では無いような物言いだったが、当時からある程度は人生経験を積み、本能を押さえ込むことに成功したのであろう。

 十年かそこらで、この老婆がいきなり妙齢の婦人になるようにヨーイングには思えなかった。


 それに――今もこの老婆は生きている。


「では、おばあさんはそこで手を引いたのだね。巻き込まれてはかなわないと」

「そうそう。まさにその通りですじゃ。記者さんは話が早くてよろしい。ロゼリアンヌ様はその後も男狩りを続けていなさったようだが、ウチは逃げ出して正解ですじゃ。ウチらの間でも諍いが起こりましてな。それはもう……」


 随分、悲惨なことが起こったようだ。だが、いち早く逃げ出した老婆は口封じの手からも逃れ……今皇都にいるのは、あるいはそれをネタに強請ゆすりで糊口を凌いでいるとすれば、かなり筋が通る。


 かつてのウチ“ら”を訪ねてゆけば、それなりの金を差し出す者もいるだろう。あるいは……


 とにかく、思った以上の情報を引き当てたことは間違いない。ヨーイングは気前よく金貨を差し出して、しばらくは老婆に口を噤んでいることを要求した。

 老婆を慮って、の事では無く老婆からロゼリアンヌを探索している自分という存在がいる事を探られる可能性を危惧してのことだ。


 だが、そんなヨーイングの配慮も遅きに失したのであろう。いや、それ以前に老婆こそが罠であったのか。


 老婆と別れて裏路地から抜けた途端。

 ヨーイングは囲まれてしまった。剣を佩き武装した集団に。


 その集団の武装は統一されており、肩章に染め抜かれているのは畏れ多くも皇帝印。


 ――すでに近衛騎士が動いていたのだ。

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