第10話 皇都
皇都グリンネル――
エルダー湖の付近とは違って、基本的には乾燥帯に当たる地域に、この都はあった。
今のような冬の最中であっても、雪が降ることはほとんど無く、ただ凍り付くだけ。
この都を潤すのは西部から北部へと街を斜めに貫く大河――ガリースンによってである。この大河は潤いだけで無く、水運の要としても機能しており、まったくグリンネルという都は、畢竟ガリースンからの賜によって成立し、発展してきた都市であるのだ。
冬期には凍ること多かったガリースンであったが、今では魔法によって凍り付くこともなくなり、それによってグリンネルはますます栄えることとなった。
人口五百万人。
人類社会において隠れも無き大都市。
それが――皇都グリンネル。
魔族との諍いの日々は終わり、今まさにかつて無い繁栄の時を迎えようとしていた。
*
まず確認すべきは、あの時スチュワードがどんな推論を立てて、あの様な発言をするに至ったのか?
――まずはこれだった。
現在のヨーイングは取材方針さえあやふやになってしまっていた。英雄であったはずのクラインの印象が大きく変わってしまい、果たしてどのように切り込めば良いのか?
それすら見当がつけられないでいたのだ。
で、あるならば“何か”が見えているらしいスチュワードに委ねてみるのも、正解には違いないだろう。
「おそらく、クラインは個人的な武技の力で英雄になったのでは無いのではないかと」
ヨーイングの問い掛けに、スチュワードはあっさりと答えた。皇都に戻って来たことで、現在二人が向き合っているのはマギグラフ社の一室である。壁に資料など貼り付けてはいるが、肝心な部分は頭の中に収められたまま。
「外に漏れるとマズい」と、それぞれが認識しているからなのか。それとも文字にするほど熟成された推測になってはいないのか。
「それは、つまり……智将とか?」
「ええまぁ。そういった方面で武勲を立てたのではないかと。本好きからの単純な連想ですが」
スチュワードもしっかりした根拠があっての発言では無かったらしい。それにこの推測を是としても取材方針が……
「ただ、こうなると、ちょっと問題が出てきます」
「問題? どうやって調べれば良いか……ですか?」
何かに急かされたようにヨーイングが応じると、スチュワードはかぶりを振った。
「いえ……万夫不当の英雄であるという前提が崩れてしまうと、暗殺についても現実味が出てきます」
「それは!」
思わず声を上げてしまうヨーイング。
英雄クラインが殺された。
そんな可能性を一笑に付していたヨーイングであるのに、今はそれを笑い飛ばすことが出来ない。
「ただ、この可能性は少ないだろうと私は考えています。教会にとってもクラインは大事な存在でした。それは陛下にしても同じでしょう。クラインは二心を抱くような人物でもありませんし、わざわざ疑念をまき散らす必要は無い」
そんなヨーイングを宥めるように、スチュワードは丁寧に他殺説の可能性の低さを論じてみせる。
だがそれでは、話が元に戻ってしまう。
――何故。彼は死を選んだのか?
「やはり、ロゼリアンヌ様に面会……いや、これも最初に戻ることになるんでしょうかね? どちらにしろ、あの“噂”から逃れることは出来ませんし」
「噂……ですか?」
「噂では無い、と?」
スチュワードに切り込まれてヨーイングは思わず鼻白んだ。
しかし、それも無理は無いだろう。
その噂こそ、英雄クラインが抱えている唯一にして最大の瑕疵。ロマンスの果てに結ばれた夫婦であるのに、その仲は冷え切っていたと言われている。
いや、それだけでは無い。
よりにもよってロゼリアンヌが“男漁り”に精を出しているなどとは……
新聞記者であるヨーイングであれば、その噂の実態をある程度掴んでいると、スチュワードが考えていても無理はないだろう。
そして実際――
「しかし、そこから切り込むとなるとある程度、証拠に近いものを掴まないと」
こんな風にヨーイングが、僅かにズレた答えを返したのが、その“証拠”ではあるのだろう。ロゼリアンヌの噂は本当だ、と。
しかしスチュワードにとっては、その辺りにこだわりは無いようでさらに踏み込んできた。
「証拠はともかく、クラインの伝記についてロゼリアンヌ様はごくごく初期から登場する人物です。詳しいお話を聞く必要はあるでしょう。その時にロゼリアンヌ様の“噂”について何も知らないようでは、恐らく相手にされない」
そのスチュワードの推測に、ヨーイングは思わず頷いてしまった。
簡単に言えば、ロゼリアンヌの弱みを握って交渉を持ちかける――それは確かに常套手段ではあるのだから。
「では……クラインの足跡を調べる方針は変わらずに?」
「そうですね。ロゼリアンヌ様の“噂”についても拾い上げていくしかないでしょう。それにどちらにしろこういう流れになるのでは?」
「流れ……ですか?」
「生誕の地での取材については成果があったわけです。となれば次は……」
「ああ、そうですね。確かに次は――」
アレキサンドルにクラインが見出される、という
正確に言えば、噂を拾い集めるべき場所はコバルト・ニー――アレキサンドルが地方領主時代の主だった街だ――であるべきなのだろうが、関係者の多くは皇都に移動している。まったくの的外れでは無いはずだ。
むしろ腹に一物を抱えた不満分子を探すなら皇都の方が適している可能性もある。
それに“噂“について、と水を向けた方が話が多く集まる可能性すらヨーイングは見出していた。
「わかりました。皇都は言うなればマギグラフ社のお膝元です。ただ、かなり慎重になる必要が……」
「いざとなれば教会が助け船を出しますよ。それに不安分子を調べるとなれば、それが協力している……ああ、これはいけない」
突然、スチュワードが笑みを浮かべた。
「陛下の付近を騒がしくしてしまうような前提で話を進めてしまいました。それではいけませんね」
言われて、ヨーイングも苦笑を浮かべた。
「そうですね。あくまで本命はクラインの足跡。その過程でロゼリアンヌ様の良からぬ“噂”が浮かび上がったとしても、それは仕方ない」
建前としてはこういう事になるだろう。ロゼリアンヌの噂については、真実である事を知っているヨーイングにしてみれば、その空々しさが些か滑稽ではあったが。
「私はクラインの足跡を中心に集めてみますよ。目眩ましにはなるでしょう」
そんなスチュワードの宣言に狡さを感じたヨーイングであったが、教会関係者では不向きな事もある。適材適所、ということになるだろう。
だがしかし――
二人の調査は思いも掛けぬ結びつきを見せることになった。それはレジナルドという男を中心にしての結びつきである。
レジナルド――つまり、レックである。
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