第9話 跡地

 湖の畔――


 確かにそう説明は受けていたが、あまりに湖に近すぎる気がする。

 僅かに増水すれば水没しそうな距離だった。


 だが、それならとっくにこの焼け落ちた住居は綺麗に流されているはずだ。

 ではこの場所に建てられたのは必然なのか。

 あるいは残ってしまったのが偶然だったのか。


「……放火……ですよね」

「ですね。火の気があるとは思えません。ストーブはあるようですが、そこは火元ではないようですし」


 住居跡の痕跡を、目で辿る。

 間取りとしては恐らく二部屋なのだろう。


 双方まんべんなく燃えているが、片方の部屋の方が幾分か被害が大きい――ように見える。

 そしてブリキ製の薪ストーブが残されているのは、被害が少ない方だ。

 まず間違いなく、このストーブが火元では無い。


「放火と考えても良いと思います。そういう現場を見たことがありますから。ほらここ」


 言いながらヨーイングが一カ所を指し示す。

 それは比較的良く燃えている方、その外側だった。


「ここにも火を放っています。それが焼け残っているのが何とも……恐らく火の勢いが強すぎて、それが先に屋根を崩してしまったんでしょうね」

「なるほど……では魔法は?」

「着火の時に使った可能性はありますが、大規模な魔法――例えばファイヤーボールのようなものは使用されてないのでしょう」


 ヨーイングが自分に言い聞かせるようにして、検証を進める。


「その推理の理由は?」

「その手の魔法は必然的に衝撃が、その術式に組み込まれているものなんです。であるのに……」

「わかりました。原型を留めすぎていると」


 納得したように、スチュワードが頷いた。


「……ということは、戦いに巻き込まれたわけではない」


 スチュワードの頷きを見ながら、ヨーイングはさらに検証――いや、推理を進めた。そもそもこの場所で戦闘があったということも無理があるように思える。戦場特有の、ざわめきが聞こえるような足跡の乱れが、この跡地からは発見できない。

 

 数名――いやもしかしたら一人だけかも知れないが確かに足跡がある。

 その足跡は十分に乱れていたが、やはり戦闘のものとは思えなかった。

 ウロウロはしているが、乱れた、と言うような足跡は見受けられない。つま先立って力を入れているような跡も発見できなかった。


「……賊……もしかすると犯人のものかも知れません」

「ふむ……これは何でしょうか?」


 スチュワードが何かを拾い上げた。

 それを、陽に掲げるようにして確認する。


「毛糸ですね、恐らく。かなり細いですが……随分汚れていますね」

「煤ですかね?」

「恐らくは……泥もこびりついてますし。元の色は寒色系の何かの色に染められていたようですね」


 尚もしげしげと確認するスチュワード。

 その様子を見て、ヨーイングも訝しげに毛糸を見つめ直した。


「もしかすると、漁に使われる網か何かでは?」

「漁?」


 思いがけない単語に、スチュワードが尋ね返した。

 それに対してヨーイングも頷く。


「はい。この小屋は元々、そういった漁に使われるための小屋では無いだろうかと」

「なるほど。それはありえますね。ここで生活するのは不安がありますから……ただ仕事道具を置くだけということなら、この立地にも納得出来ます」

「ええ。多分盛んに燃えたと思われる場所に仮眠用の寝床があって――」


 ヨーイングが、実際にその場所へと近付く。

 確かにその場所に残っているのは、ただただ燃え尽きた消し炭がうずくまっているだけだった。

 確かにこの辺りに“燃えやすい”何かがあったように思える。


「その割には壁は無事ですね――おや?」


 確かに消し炭の向こう側の壁はしっかり残されている。

 スチュワードは、そんな風に燃え残った壁に手を付けたのだが、そこで違和感を覚えたらしい。


「どうかしましたか?」

「どうやら、この部分はちょっと様子が違うようでして」


 言いながら、スチュワードは革製の手袋で壁を一撫で。

 すると手袋が汚れる代わりに、真っ黒だった壁には色彩が甦ったのだ。


「焼けていない……ですか?」

「どうやらそのようでして。これはどうにも不可解な状態ですね……もしかしたら、死体か何かが出てくるのかと思いましたが。それが出てこない代わりに、出てくるのは謎ばかり」

「死体の可能性は私も考えましたが、確かにそういった痕跡はありませんね。してみると、一体何の目的で火を放ったのか……」


 ヨーイングは改めて、ぐるりと周囲を見渡した。

 そうなると当然もう一つの部屋へと関心が向けられることになる。


「こちらも焼けていることに変わりは無いですが、漁のための小屋だと考えると、単純に休憩のための前室でしょうか」


 ヨーイングが半ば独り言のように呟くと、今度はスチュワードが長い足を交互に動かして、薪ストーブの側へと近付いて行く。

 だが実際にしゃがみ込んだのは、薪ストーブでは無く、その傍らだった。


「なにかありましたか?」

「休憩、という推測は正しいようですね。ここには人が座っていたような跡があります。この部分ですね。中央に木箱らしきものがあって、それを囲む形で……ホギンさんも言ってましたよね。クラインは本を読んでばかりと。それはここに座っていた姿を見ていたのでは無いでしょうか?」


 そこまでスチュワードが発言したところで、ヨーイングも近付いてきた。

 そして、そのまましゃがみ込む。


「……これは確かに。ああ、すいません。スチュワードさんを疑っていたわけではないんですよ」

「お気になさらず。やはりヨーイングさんもそう思われますか。あとこれは――」

「火に炙られて脆くなった陶器……でしょうね」


 中央部分に、盛り上がった部分が四つ。

 となると、思いつくのは……


「この場所で、マグカップで何かしらを飲んでいた。いや、ただのお湯だった可能性もあります。そのストーブでお湯を沸かして……」


 ヨーイングも言葉がそこで途切れた。

 自分が口に出したことで、この部屋の在りし日の姿をまざまざと幻視出来たのだろう。

 木箱の上の四つのマグカップ。

 そしてそれを囲む、子供達が四人。


 その四人の姿ははっきりとは見えない。

 だがその中にただ一人。


 燃えるような赤毛の子供がいる。

 壁に背を預け。

 本を抱え込んだ、思慮深そうな、そして伏し目がちの灰色の瞳をした少年。


 それは推測とも、推理でも無く。


 ただ頭の中で勝手に組み上がっただけの幻。

 願望と勘とを綯い交ぜにした、身勝手な欲の形。


 一方で、スチュワードは立ち上がり、どういうわけかその場で足踏みを始めた。


「どうかしましたか?」


 さすがにヨーイングが声を掛けると、スチュワードは何とも説明しがたい表情を見せ、結局そのまま説明を始めた。


「古い教会ではね、時々あるんですが……」

「何です?」

「隠し通路と言うべきか……いや隠し部屋ですね。もしあるのならば、の話ですが」

「え?」


 そこでヨーイングにもスチュワードの動きに得心がいった。

 足踏みをしていたのは、それで虚ろな感触――いやもっと具体的に音を拾おうとしていたのかも知れない。


「スチュワードさん」


 決意を込めて、ヨーイングが名前を呼ぶとスチュワードは小さく頷いた。

 そして消し炭になった”何かしら”をその場から懸命に払いのけていく。


 「放火」の調査をするのであれば、それは間違いなく暴挙なのであろう。

 だが、二人がここを訪れたのは「放火」の調査のためでは無い。


 それは「クライン」の調査。

 そして「過去」の調査。


 ――であれば、自ずから優先順位ははっきりしてくる。


 二人は一心にその場を片付け、燃えかすを払いのけ、やがて……


 その場に出現したのは大きな扉。

 どうやらその扉の上に、厚手の毛織物が敷かれていたらしい。

 それが焼けて消し炭なったその下に、頑丈な木の扉があった。もちろんまったくの無傷では無いし焼け焦げもある。

 それでも、扉は扉の形を保ったまま。


 金属製の蝶番の向きを確認し、ヨーイングが把手はないものかと、その辺りを撫でる。

 スチュワードは、懐から小さなペーパーナイフを取り出して、隙間を探っていた。

 そんな二人の執念に応えるかのように、扉はやがてヨーイングの手に、スチュワードのナイフに手応えを返してきた。


「ヨーイングさん、いけそうです」

「こちらは把手のようなものは無いですが、隙間にそのナイフを……」


 スチュワードはすぐにヨーイングの意図を悟って、その近くの隙間を探り出し、ナイフの切っ先を差し込んだ。

 そしてそのまま、テコのように扉を持ち上げたところで、ヨーイングがすかさず指先をその隙間にねじ込み――


「――開きます!」

「こちらも大丈夫。一気に行きますよ。せーの!」


 二人は力を合わせて、ついに扉をこじ開けることに成功した。

 そして、その場に現れたのは――


「ほ、本、ですか? いや、それはそれでホギンさんのお話通りなんですが」


 出現したものに戸惑うスチュワード。

 だがそれも仕方の無い話だろう。

 本、と纏めて言ってしまえば確かにその通りなのだが、まず量が普通では無い。

 軽く十冊は当たり前。

 下手すると百に届こうかという数の本が、この収納場所にはあったのだから。

 収められていたのは、本だけでは無く、綴じられることも無い何かの書類のようなものもある。さらには小さな手帳のようなものまで。


 これを含めて数えると、完全に百以上の文献が姿を現したことになる。

 そして、そういった文献らしきものを眺めながら、ヨーイングが呟いた。


「これは血の跡、ですね。こちらは水に濡れた跡。この書類に至っては、切り裂かれたようなものまである。と言うことは……」

「戦場稼ぎ、ですね」


 落ち着きを取り戻したスチュワードが、ヨーイングの呟きの行き着く場所に先回りした。

 そして、さらにその場所から一歩踏み出す。


「これは……今までのクライン像を修正する必要が出てきましたね」

「え?」


 今度は、ヨーイングが戸惑いの声を上げた。

 スチュワードが、この本達から、どのように推理して、どうしてそういった――クライン像の修正――結論になったのか。

 その見当がつかなかったからだ。


 その時――


 ついに雪が降り始めた。

 踊るように、舞うように。


 雪はその場ですぐに積み重なり始める。

 真っ赤に紅葉した白樺の葉を覆い隠すように。


 ――綺麗な白で、真っ赤な嘘を覆い隠すように。

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