第8話 再びジンバル村へ

 綺麗に赤く染まった白樺の葉を――


 革靴で踏みしめるようにして二人は進む。

 新しいジンバル村が覆い隠していた場所へと。

 人の日記を盗み見るように。


 その忍び足にまとわりつく冷気が、下生えの木々から緑を奪っていた。

 そして瑞々しさも。


 そんな今にも、崩れ落ちそうな下生えをかき分け――

 降りかかってくる紅い葉をはらい――


 そんな風に開かれた視界の向こうに、今にも凍り出しそうな湖面がきらめく。

 だが、すぐに湖畔にたどり着けるわけでは無い。


 湖畔へ続くなだらかな斜面が、まだあるはずなのだから。

 

 ヨーイングとスチュワードがコートを纏わりつかせながら一歩一歩慎重に歩を進める。

 そして、やがてその眼下には……


「これは――」


 ヨーイングが息を呑んだ。


               *


 ホギンの証言によって、事態はさらに複雑化したことは言うまでも無い。


 クラインの軌跡を改めて辿る――


 そんな紀行文のような記事になると考えていたヨーイングの予想は、完全に外れてしまった。

 下手をすると国がクラインの事績を隠す――あるいはそれを捏造している可能性までもが見えてきたからだ。

 

 クラインを追跡すれば、自ずから「英雄の死」にまつわる謎が整理され、ほどけてゆくに違いない。

 そんな目論見は覆されてしまった。


 果たしてホギンとの会合ののち、彼を送りながらも、もうこの話はしない方が良い、とホギンに忠告した帰り道でのことだ。


「……ヨーイングさん。取材を続けますか?」


 そうスチュワードが尋ねたのも自然な流れると言えるだろう。

 問いかけたその言葉に、感情が見えなかったのもスチュワードなりの優しであったのかも知れない。

 何しろスチュワード自身は、この浮上してきたクラインを巡る謎に興味を惹かれているのが明白だったからだ。


 スチュワード自身はホギンの言葉から、当時のジンバル村を言葉で組み立ててしまっている。

 到底、乗り気で無いとは言えないのだから。


 一方で、ヨーイングは微妙なところだ。

 華々しい英雄の姿にはすでに翳りが差してきている――そう考えるのが自然の流れというものだ。


 だが――


「はい」


 ヨーイングはまず、しっかりと取材続行の意志を示した。

 もしかすると、見なくても良いものを見てしまう、という危険性を認識した上で。


 それは取材を妨害される、あるいはそれが身体、命が脅かされそうになるという予想よりも、さらに深刻な危険であるかも知れないのに。


 そこまでヨーイングがクラインを信じるのは、いったい何故なのか?

 その無謬性に絶対の信頼を預ける理由は?


「……実は会ったことがあるんですよクラインに」


 コバルト・ニーの場末の夜道に棹さすようにヨーイングが告げる。

 スチュワードには自分の本音を知って貰う必要性を感じたのだろう。


 いや、それ以上にスチュワードに告白しておかねば、不審感を抱かせてしまう。そんな風にヨーイングは判断してしまったのだ。


 それほどに、現状では取材回避こそが賢明な選択に思える。

 ヨーイングも理性では、そう理解していた。


 だが――


「クラインと会ったと言っても、二人きりになって面と向かって会ったわけじゃ無いんです。まだ記者に成り立てでね。先輩の後をついて回って雑用ばっかりでした。それでリスクフェーヴ――おわかりになりますか?」


「ああ、王国の北東にある綺麗な街ですね」


 スチュワードが小さく頷きながら答える。


「あの都市にクラインが現れたとなると、彼の事績でも後期ですか。魔族との諍いも静まって、威光が行き渡っていったあたりですね」

「その通りです。もはや大きないくさらしいいくさはなく、クラインが征くだけで、自然と人類は結束していった頃です。この頃すでに、クラインの名声は揺るぎないものでしたから」


「そうでしたね。その獲得した名声で気ままに振る舞うことも出来たはずなのに――それにそれはある程度は許されるものだったかのように思われますよ。ですがクラインはあくまで謙虚でした。つまりヨーイングさんは、そんなクラインに会っていたと」

「ええ。その事績を見れば功績は確かな物です。けれど私はそれ以上に、あの時に垣間見たクラインの笑顔。そこに後ろ暗い物は無かったと――そう信じることが出来るのです」


 スチュワードは、そんなヨーイングをジッと見つめていた。

 そして、ゆっくりと口を開く。


「……なるほど。ヨーイングさんの決意の程はわかりました。その判断についても信頼しましょう。しかし、おわかりでしょうがクラインその人は正しき人物であったとしても、その周囲が正しいという保証は無いのですよ。そこまではヨーイングさんも確信は持っておられないでしょうし」

「……はい」


 スチュワードの詰問じみた問いかけに、不承不承ヨーイングは頷いた。


「つまりは、ここから先は妨害を受ける可能性が高い。そして、その妨害をはねのけたとしても、現れる真実ものがクラインの名誉を傷つけるものである可能性もあります――それでも?」


 ――取材を続けて後悔はしないか?


 スチュワードはもう一度確認した。

 だが、今度はヨーイングは迷わなかった。


「はい。クラインが間違った、あるいは歪められたまま人々の記憶に残るのは……やはり間違っています。しっかりと事実を伝えてこそ、彼を利用するようなやからへの掣肘が可能になるのですから」


 確かに、事実であればそれが最強の持ち札になることは明白。

 今のように、何かを糊塗したような状態では、何を主張してもその言葉は信頼されないに違いない。

 だが客観性のある事実であれば、やがて有象無象の声を駆逐することになるだろう。


 事実にはそれだけの強さがある。


 だが、事実が本当にクラインの事績を守ることになるのかは……


 やはり、どうしてもそこがネックになってしまう。

 そしてそこに保証を与えているのはヨーイングの信頼――いや信仰があるのみなのである。


 それでもスチュワードは、それ以上言葉を重ねる事無く、翌日の予定をヨーイングに確認する。

 言うまでも無く、それは取材続行の了承を意味していた――


               *


 取材を続けるという意志が固まったところで、それで状況が変化するわけではない。

 実際に動くとなれば、相応の準備が必要になる。


 村に着いてから目的の場所を探せば、どうしても目立ってしまう事は明白。

 ならば、村には入らずに最初から道を外れ、村を経由しない。それが執るべき手段であると二人は早々に結論を出したのだが、実際にその手段を想定すると、なかなか上手く形にならない。


 何しろ貸し馬車など使うわけにはいかないからだ。

 使えば、どうしても馭者という“部外者”が紛れ込んでしまう。

 そうとなればどこからか、自分たちの行動が漏れてしまう可能性がある。


 警戒しすぎ――とも思われたが、実際にジンバル村で行われている隠蔽工作の規模は尋常では無い。

 

 ジンバル村にこれほどの投資がされたのは記録によると八年ほど前から。

 つまりはクラインが生きていた頃からということになる。


 そこにきな臭いものを感じてしまうが、実際にジンバル村に細工を施した後も、引き続き監視はされているのか?


 どちらとも確証が得られないのなら、監視されているという前提で動くべきだろう。

 この点でも二人は一致した見解を持つに至ったわけである。


「……となれば魔導車をなんとか調達しなければなりませんか」

「そうですね。コバルト・ニーから徒歩で向かうことが可能かも知れませんが、どうにも目立ちすぎます」


 諦めたようなスチュワードの確認に、ヨーイングはむしろ積極的に応じた。

 それに魔導車を調達出来れば、車中泊も含めて行動の幅を広げることも出来る。


 だが、言うまでも無くそのための資金がない。

 かと言って取材費としてマギグラフ社が面倒を見てくれる――なんて未来は、あまりにも都合が良すぎる。


 いよいよ、徒歩で向かうか。何かしら変装でもして。問題は防寒対策になるな、ヨーイングが諦めと開き直りを同時に行ったタイミングで、スチュワードはため息をついた。


「――ヨーイングさん。運転は可能なんですか?」

「え? ああはい。新人だった頃に社の魔導車を運転していました。雑用の一環ですね。急ぎの記事が必要な時には車中でまとめる必要がありましたから」


「それでは、教会の魔導車をなんとか回して貰いましょう。逆に目立ちそうな気がしますが、この際仕方ない」

「……良いんですか?」

「元々、教会の権威付けのために数を揃えたような事情がありますから――ただ……」


「わかりますよ。スチュワードさんは運転出来ないんですね?」

「仰る通りです」


 告解のようにスチュワードは告げ、同時にヨーイングは首を捻る。


「しかし……教会は大丈夫なんですか? そもそもスチュワードさんが派遣された事自体を不思議に思わなければならないんですけど」

「それを私に尋ねますか?」


 ヨーイングの質問に、まるで悪戯が見つかったような表情を浮かべるスチュワード。そのまま、ハハ、と自嘲気味に笑うと、


「国と教会は、仲が良いわけではありませんから」


 と短く答えた。

 それは歴史的に見てまったくの事実であり、ヨーイングもそれ以上尋ねるのをやめた。


 そして五日後――


              *


 黒塗りの魔導車が、夜陰に紛れるように街道を進む。

 そして、夜も明けきらぬ早朝。


 二人はホギンが示した場所に辿り着いていた。

 果たしてそこは湖では無く、なだらかな斜面。


 そしてその場所には――焼け跡があった。


 恐らくは住居が燃え尽き、崩れ落ち、ただその名残があるだけ。

 舞い散る白樺の葉が、まるで紅蓮の炎のように――


 ――全てを覆い隠そうとしていた。

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