第6話 過去のジンバル村
ホギンの話は、最初から整理が必要であった。
ヨーイングとしては、最後まで気分よく語らせてから改めて疑問点を詰めていく。
そういう計画であったはずなのだが……
だが、それはまさに机上の空論――いや脳中の空論と呼ぶべきなのか。
まず話の最初から躓いてしまったのである。
何しろまず、固有名詞すら一致しない。
つまり話を聞き続けるための足がかりがはっきりしない。
それに二人はクラインの立身出世の物語を聞くつもりだったのだ。それがいきなり、子供達の冒険譚が始まったのである。
それを予断と呼ぶのは……やはり酷と言うべきだろう。
ヨーイングはまず、名前のすり合わせから始めた。
「――話の腰を折ってしまって申し訳ない、ホギンさん。そのフォーリーというのはクラインの事で良いんでしょうか?」
あまりに基本中の基本から確認していかねばならないことに、ヨーイングは眩暈を覚えたが、スルーするわけにもいかない。
「え? ああ、そうです。もっとも俺はずっとフォーリーと呼んでいたので。フォールズベリーと言うのがちゃんとした名前だったんですね。それもフォーリーが有名になってから知ったことですが……他の三人もそうだったのかな?」
まずフォーリーという人物はフォールズベリー――クラインということで間違いないらしい。
そしてそれが確認出来たと同時に、ホギンが次の問題点を口にしてくれた、
「他の三人? つまり貴方がクラインを思い出す時には……クラインも含めた四人を同時に思い出してしまうと。そういうことでよろしいですか?」
スチュワードが強引に話をまとめた。
それにホギンが、若干狼狽えながらも頷いてみせる。
「その四人は仲が良かったんですか? 友達だった?」
「と思いますよ。いつも一緒にいたような気もするなぁ」
スチュワードの質問にヨーイングが誘導尋問とも思えるような質問方法で、具体例を示す。それが功を奏したのだろう。今度はホギンもしっかりと頷いた。
もっとも、こちらの方向にはヨーイングとしても誘導はしたくなかったのかも知れない。
何しろ伝わる話では、そんな友人は“出演”しない。
であれば、実際はどうだったのか?
ヨーイングとしては立場上、それを聞かないわけにはいかないが――迂闊に知ってしまって良いものかどうか。
「それぞれのお名前は覚えておられますか?」
ヨーイングが躊躇っている内に、スチュワードが質問を引き取った。
「そうですね、ええと……レック、ニナ……ああ、あいつの名前は覚えてないなぁ」
「名前からすると、男性、女性、その名前を覚えていない人は?」
「男ですね」
その辺りは間違いなく覚えているようだ。
「お顔は覚えてますか?」
引き続いてのスチュワードの質問に、何かの薬を飲み込むようにホギンはエールを一呷り。
そして頭を捻りながら、
「レックは茶色でしたね。かなり濃い色の茶色でした……髪の色ですよ。ニナは薄い茶色……いやあれは金髪だったのかな。あいつは黒髪でした」
「目の色はわかりますか?」
「ええ。レックは濃い青……紺色といった方が良いのかな。ニナは明るい茶色でした……あいつは……覚えてませんね」
「もしかして、あまりお会いにならなかった?」
「実はそうなんです。何かおっかなくて。体も大きかったですからね。もっとも子どもの頃なので、実際に大きかったのかどうかは……」
「それは無理の無い話ですよ。それとも、一人だけ年齢が違ったとか?」
「口の利き方からすると、そんな感じでも無かったですねぇ」
記憶と、現在の常識と。
それがホギンの中で綯い交ぜになっているように思える。
つまり、この証言を何処まで信用して良いものかかなり怪しくなってきたとも言えるのだ。
だが、それで全てを打ち捨ててしまうこともない。
質問を重ねて、精度の高い情報をあぶり出さなくてはならない。
ホギンが有力な情報源である事は間違いないようではあるのだから。
「……そのグループではやはりクライン、つまりはフォーリーがリーダーだったんでしょうか?」
ヨーイングが再び質問を始めた。
それにホギンが首を振った。
「元々、誰がリーダーなのかわからないグループだったんです。ただそれでもフォーリーがリーダーということは無いですよ」
意外――と受け取るべきであったのか。
しかし、ここまでの会話の流れから、その答えが自然だったようにも思えるのだ。
「では、クラインは活発では無い?」
「そうです。俺が覚えているフォーリーの姿と言えば、何か難しい顔で本を読んでばかりで――」
「本ですって?」
思わずヨーイングが声を上げた。
だがそれも無理は無い。
ジンバル村にいた時に、到底修学の機会があったとは思えなかったからである。
実際、ホギンもコバルト・ニーに移って、その上で徒弟となって初めて、文字を勉強する機会を得たのであろう。
ヨーイングの声に対して、それを宥めるように深く頷いて見せるホギン。
それは何処か自慢げであったが、それだけに自分の記憶に自信があるのだろう。
「ええ、間違いなく。フォーリーは本を読んでいました」
さらにホギンは自らの発言に念を押した。
「それは魔術書だったんですか? 当時、魔術師の庵があったとか」
重ねて可能性を挙げてゆくヨーイング。
だが、それに対してはホギンはエールのおかわりを注文しながら頭を振った。
「ありはしませんよ、そんなもの。魔術師が大人しく住んでいくのには向かない村だったと思いますし。それだけに魔術書かどうかは俺にはわからないですね」
ヨーイングにとっては伝わるクラインの話との整合性を保とうとしただけなのだろう。
だが、それは即座に否定されてしまった。
元より、あの村に魔術師が住んでいたと考えること自体、かなりの無理がある。
魔族との境界線にほど近い場所にあったのがジンバル村だ。その村で隠棲など出来るはずもない。
では、クラインが読んでいたのは何だったのか?
それに何処で魔術を覚えたのか?
ドンドン疑問が湧いてくる。
今まではクラインは一人で伝説を始めたと考えられていた。
だから、それに合うように勝手に過去を想像してきたのである。
謂わば逆算の結果だ。
だが詳細がわかってしまうと、想像を駆逐してしまう。
ヨーイングは、取材の前にこのような事態を想像していなかったのであろう。そのために自らの心地よい想像までも、同時に否定されてしまった。
クラインは金甌無欠な英雄であると。
そんな蒙が今、啓かれようとしていた。
――それも強引に。
「ホギンさん、フォーリーが本を読んでいた場所は何処なんでしょう?」
ザワークラウトを、別に注文したパンに載せながらスチュワードが突然に口を挟んだ。
「ああ、それは……川沿いの……」
「ホギンさん。お聞きなったと思うんですが、私とヨーイングさんは今のジンバル村に行ってきました」
「は、はい。そう聞いています」
実際、二人がジンバル村を訪れたことがホギンとの約束を取り付けるのに、役に立ったことは確かだ。
だがスチュワードは何故、それをわざわざ確認したのだろう?
ホギンよりもヨーイングが、戸惑ったような表情を浮かべる。
「……そこでですね。クラインの生家として展示されている物を見てきました。ですがそれは建っている場所から移動されていました」
それは推理に過ぎなかったはずだ。
だがスチュワードはそれを「事実」として扱った。
無論、ヨーイングがその「間違い」を指摘することもない。
情報を引き出す上ではハッタリも重要である事を職業柄、ヨーイングも熟知しているからだ。
それに、ヨーイング自身も生家の移築について詳しく知りたいという望みがあり、ここでスチュワードを留めようと考えなかったことも大きい。
――むしろ聖職者でありながら、このような小技を効かしてくるスチュワードの方に戸惑っている側面がある。
「ですがそれもおかしな話です。英雄の生家を移築させることでどんなメリットがあるのか――いや、移築しなければどんなデメリットが生じてしまうのか」
そう言いながら、スチュワードはザワークラウトを載せたパンを一囓り。
まるで、もったいを付けるかのように。
「デメリット?」
たまらずヨーイングが聞き返す。
「そうです。恐らくもっとエルダー湖に沿った場所に建っていたと思います」
スチュワードは確信を込めた眼差しと共に、そう答えた。
そして、それを聞いていたホギンの顔色は悪い。
――ふくよかな頬だけが、それを裏切るようにベーコンの脂で輝いていた。
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