第5話 コバルト・ニー

 クラインの名が知れ渡ったのは――


 聖皇歴一一八一年の戦い。

 後に「ジンバル村の逆転」と呼ばれる戦いにおいてである。


 この時、魔族は大規模侵攻を企てており、エルダー湖の北端と南端で同時に人間側の領域に侵入を開始した。

 とはいえ、人間側も指をくわえていたわけではない。

 即座に情報が飛び交い、その両方の侵略軍に向けて即座に迎撃軍が編成された。

 そして両方の地点で迎撃することが出たが……果たしてそれが人間側の限界だった。

 この時、魔族側はエルダー湖を渡り、その中央部分――まさにジンバル村からの侵攻を企てていたのである。


 元々、ジンバル村も最前線に違いは無い。

 だがこの時は、魔族側は多くの船を手配しジンバル村のすぐ側に上陸――そう、すでに上陸されていたのだ。


 エルダー湖の北端と南端から侵攻すること自体が陽動だったのだ。

 戦力の空白地帯を意図的に作る出すことで、中央から一気に侵攻する。


 それが魔族の戦略であったのだ。


 しかも例えそれを察知することが出来ても、余剰戦力はすでにない。

 人類は完全に詰んだ。

 追い返すことが出来たとしても、尋常では無い被害を被ることになるのは必至。

 勢力図が書き換えされる未来も十分あり得た。


 そんな予想図に待ったを掛けたのが、クラインだった。

 上陸間もない魔族の前に立ちふさがり、たった一人でその軍勢を追い返したのだ。

 

 大規模魔法を駆使し、振るう剣の腕は万夫不当。

 上陸してきた魔族達を逆に湖の底へと追いやったのである。


 それだけでは無い。


 そこからクラインは逆にエルダー湖を渡り、魔族の領域に逆に侵攻したのだ。

 言うまでも無く、それは魔族の司令部を急襲する形となり、さらには補給線をズタズタに引き裂いたのである。

 

 これによってエルダー湖の両端に攻めかかっていた魔族の侵攻軍も撤退を余儀なくされ、ここに人間側最大の危機は去ったのである。


 ――これが世に言う「ジンバル村の逆転」の顛末である。


 突如現れた、この救世主クラインに対して人々は歓喜を以て賞賛した。

 だがこれは英雄クラインの事績――その序章に過ぎなかった事は言うまでも無い。


               *


 コバルト・ニーの中央広場には、他の街と変わらず中央に噴水が設置されていた。

 だがその中央には、オベリスクのような高い石塔とそれに寄り添うような不思議な彫像が配置されているのが特色と言えば特色だろう。


 街の大きさは若干東西に長い、十キロ四方と言ったところか。

 人口、およそ二十万人。

 ここで隠蔽工作を行うのは確かに難事だが……それと同時に、人を探し出すのもまた難事であることも間違いは無い。


 だがここで、心を折らずに精力的に動いたのがヨーイングだった。

 マギグラフ支社に協力を要請した上で、自らも足を棒にしてコバルト・ニーをかけずり回った。

 その小柄な体躯を躍動させるようにして、わずかな情報を追い、それが空振りに終わっても決して挫けなかった。

 どうやらスチュワードへの対抗心がヨーイングを突き動かしていたらしい。


 そのスチュワードも聖皇教会という組織を活用して、情報収集に努めているらしい。ただ、どうしても縄張り意識が働いているようで上手く行かないようだ。

 

「どうにも、厄介なものでしてね」


 スチュワードが身体を小さくして、ヨーイングに言い訳する度に、逆にヨーイングは闘志を燃やす。

 そうして十日ほど経過したのち――


 ついにヨーイングは途切れることの無い、情報を掴むことが出来た。

 かつてのジンバル村の住人――ホギンを見つけ出すことによって。


              *


 ホギンは二十一歳。

 現在はコバルト・ニーで、板金工として生計を立てていた。

 戦乱の時分には、もちろん職にあぶれることはなく。現在のような平穏な時でも何かしら潰しが利く技能の持ち主だ。

 そのため、特に経歴を探られることもなく日々を過ごしていたことが、容易に見つからなかった原因になる。


 元々、ホギンは五歳の頃までしかジンバル村にはいなかった。

 五歳の頃、ついに食い詰めた母親に手を引かれてこのコバルト・ニーにやって来たというわけだ。

 ただそこから運の巡りが変わったらしく、母も共に暮らせるだけの稼ぎを得ることが出来たのだ。その上「ジンバル村の逆転」によって一種の特需がコバルト・ニーにもたらされた事もあり、ホギンは無事に板金工の見習いになることが出来た。

 それからまもなく母を亡くしたが、親方に可愛がられ、やがて独立。

 そうとなればホギンが街の外からやって来た者だと覚えている者も、やがて少なくなってゆく。


 だが、ホギンはそれを隠していたわけではない。

 ただ単に話す機会が無かったと言うだけだ。

 それに自分から語るような誇らしげな記憶があったわけでは無い。

 ただそれでも――英雄となる前のクラインを知っていることを時々語ることもあったらしい。

 酒場の片隅で、酔いつぶれる直前ぐらいの時には。


 ここまで情報を揃えてやっと、二人はホギンと会う約束を取り付けることが出来たわけである。

 場所は、ホギン行きつけの酒場「金樽亭」だ。

 高級な酒場ではなく、樽を無造作に置いてその上に板を置いただけの簡素なテーブル。そして当たり前に立ち飲みだ。

 下手に椅子など用意したら最後、喧嘩が危険になりすぎるという切実な事情もあるのだが、その事情で客層も窺えるというものである。


 とにかく、そういった酒場に二人は乗り込むことになった。

 果たして有益な情報を手にれることが出来るか。

 それとも、さらに情報収集に励むことになるか。


 その運命は、この会合にかかっていた――


               *


 スチュワードの情報網に引っかからなかったのは、結局のところホギンが一度も教会で行っている慈善活動の世話になっていなかったことも大きい。

 これをスチュワードの推理が外れたと考えるのは酷だろうか?


 食い詰めた平民が、教会に慈悲を請うのは当たり前の流れであり、その推理に無理はない。

 やはりホギンは運がよかったのだろう。

 二人に前に姿を現したホギンの見なりも、見苦しいものでは無かった。

 貧しそうでもなく、いささか小太りであったぐらいである。


 カーキ色の上下に、ダークブラウンのウエストコート。

 頭には黒いメカニック・キャップがチョンと乗っていた。

 そこからはみだしているのはライトブラウンの頭髪に、同じ色の丸っこい目。

 特徴的なのは、赤く丸々とした頬であろう。


 これでは悲惨な過去があるようには見えないな――


 というのが、ヨーイングの第一印象であったことは言うまでも無い。そのせいでホギンまで辿り着くのに時間がかかった、とは言い訳にもなっていなかったが。


「ホギンさんですね。この度はご足労ありがとうございます。私はマギグラフ社の記者、ヨーイングです。ここの払いは取材費で落ちますからね。遠慮無しでお願いしますよ」


 ヨーイングは如才なく、軽く挨拶するとウィンクを一つ。

 ホギンの性格については、すでに調査済みだ。


 こういう対応で、緊張をほぐした方が上手く行くに違いない。

 スチュワードも、あまり堅苦しくならないように、そして威圧的にならないようにホギンへの挨拶を終えた。


 時刻は午後五時。

 酒を飲み出す頃合いと言えば頃合いだろう。


 樽テーブルの上に、三つの木製ジョッキが並べられていた。

 その中央には、分厚いベーコンとザワークラウト。

 何とも豪快なことだが、確かに店の雰囲気にマッチしている。


「これはこれは神父さん。こんなところでお話ししていいのかどうか……いえいえ、ちゃんとお話しさせていただきますよ。昔の話をするだけで、酒が飲めるって言うなら、断る手はないって話ですから――記者さん、本当に大丈夫なんですか?」

「ちょっと心配になってきましたよ。先にお話伺ってから、改めて飲み直しましょうか? その時にはスチュワードさんにはご遠慮願って……」

「随分酷い相談をなさっておられますね。大丈夫。主はそれでも赦して下さるに違いありません」


 そこで三人揃って、ジョッキを呷った。

 そしてそれぞれが、正面に向き直り――


「では、ジンバル村で会っていたフォーリー達のお話を始めますか」


 そう言いながら、ベーコンにフォークを突き刺すホギン。


 いきなり告げられる知らない名前。

 それに、その名前には“達”という単語がくっついていた。


 ヨーイングとスチュワードは背の高こそ違えど、思わず顔を見合わせてしまう。


 どうやらホギンの話は伝わっている話とは、最初から違う様相を見せるようだ――

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