第2話 ジンバル村

 青く深い空に炎のように揺らめく紅葉した白樺の葉が映える。

 この季節の時だけ、観る事が出来る色彩のコントラスト。


 紅く燃える白樺は並木道となって、整備された道路を彩っていた。


 その道路を、南から北へと進む四頭立ての馬車キャリッジ

 特に華美な装飾は施されていない、無骨ささえ感じられるような黒い馬車だ。

 馬車は、溢れんばかりの色彩の中でさえ調和を乱すことはなく、蹄の音さえも彩りに加えながら、むしろ風景に新たな豊かさを添えてゆく。


「これは見事なものですね」


 馬車の中で、半ば独り言のように呟く青年がいた。

 黒と表現するより前に光沢の見事さに目を奪われてしまう、そんな上質の生地でしつらわれた衣服。

 どうやらフロックコートを着込んでいるようだ。

 そして首からは真白な首帯ストラを掛け、胸元には至光エフィスフと呼ばれる聖印が光っていた。

 この青年は間違いなく、聖皇教会の神父――着ている衣服からすると、司祭ぐらいの役職はあるのかも知れない。

 そう考えてゆくと、柔和そうに細められた目はとても似合っていたが、頑強と表現したくなるような立派な鷲鼻が不釣り合いにも思える。

 ダークブラウンの巻き毛も、清貧とはちょっと言えない豪奢さが感じられる気もするが……それはこの神父の責任では無いだろう。


「そうですね。この並木道もクラインの働きあってこそ、ですから」


 そう答えるのも青年――なのだろう。

 先ほどの青年よりはいささか幼く見えるが。

 モスグリーンのスーツ姿に、ライトブラウンのチェック柄のウェストコート。

 しっかりと仕立てられた服である事は見て取れるが、いささかくたびれていた。

 それが青年の性格によるものなのか、はたまた生活によるものなのか。


 色気のないボーラーハットに収められた髪の色は赤みがかった金髪。しっかりと調髪されており、この辺りに隙は無い。

 はしっこい榛色ヘーゼルの瞳が、馬車の窓から周囲の景気を堪能していた。


 神父に背を向けるような形で、しっかりと窓に張り付いている。


「信徒クラインの働き……ですか? ヨーイングさん」


 神父は深く腰掛けた姿勢を崩すことなく、視線だけを反対側の窓へと彷徨わせながら、青年――ヨーイングの背中に向けて問いかける。

 同時に見えた神父の瞳の色は、翡翠グリーン

 その声は、甲高さがあり、その上でハスキーでさえもあった。


「はい。向かっているジンバル村がクラインが生まれた村だということは説明させていただきましたが、その影響は非常に大きくてですね、スチュワード神父」


 答えながらヨーイングは、自分の席に座り直した。

 どうやら神父――スチュワードよりも背は低いようだ。

 というよりは単純にヨーイングの背が低いらしい。


 それでいて、その声は低く厚みを感じることが出来た。


「ジンバル村は観光地として生まれ変わろうとしているんですよ。まずこれがクラインがもたらした変化なのですが――」


 喋りながらヨーイングが足の間に挟んでいた革製のブラウンのショルダーバッグに手を伸ばす。


「ああ、地図なら結構ですよヨーイングさん。かの英雄の働きで平和がもたらされる事となった。そして、この地方にも変化を受け入れる余裕が出来た……何しろ境界線たるエルダー湖はすぐ側だ」

「その通りです、スチュワード神父。彼ほどの英雄となれば、その影響は計り知れないものがあります」


 自分の行動が空振りした形になるが、ヨーイングに気にした様子は見られない。

 むしろ熱心に頷きながら、スチュワードの鋭敏さを歓迎しているような気配すらある。


 そのままバッグにしまい込んだのは、この周辺の地図なのだろう。

 そして身を乗り出すように確認していた方角にはエルダー湖があるはずだ。


 単純に馬車の旅に浮かれていたわけではない――さすがはマギグラフ社の新聞記者だと思わせる抜け目の無さ。


 今更、説明するまでもないだろう。

 この取材行を主導しているのは彼、チャールズ・ヨーイングである。


 その取材行に、何故神父たるグレゴリー・スチュワードが同行しているのか?

 それも奇妙なものに思えるかも知れないが、取材の目的が、


 ――何故、英雄クラインは死を選んだのか?


 の調査であるから、そうと弁えればさほど不思議なものでは無いだろう。


 何しろ、英雄たるフォールズベリー・ラデレッサ・クラインは、先日聖人認定を授かったところだ。

 つまり“取材”という名の土足で踏み荒らして良い存在では無いのである。


 取材を続けるには、どうしても教会の認可が必要だ。

 そのための神父が同行しているというわけである。


 そして今、二人は紅葉で燃え上がる白樺の並木道を馬車を駆け抜けていった。

 

 英雄生誕の地、ジンバル村を目指して――


             *


 ヨーイングが、クラインについて取材を決意したのは、おおよそ半年ほど前のことだ。

 この頃には、クラインの死の理由についてまさに百家争鳴の有様であり、つまりは英雄の死こそが、もっとも人間の娯楽となっていた頃の話である。


 ――その混乱に終止符を打つ。


 確かにヨーイングにそういった想いがあったことは間違いないだろう。

 だがその根本にあるのは、果たして記者としての使命感に燃えた結果なのか。

 はたまた、英雄クラインの無謬性を盲信する先入観がそこにあったのか。


 とにかく、ヨーイングが取材にあたって最大の障害になるであろう、聖皇教会を口説き落としたのは確かなことだ。

 何しろ教会からはお目付役としてスチュワード“司祭”が派遣されたのだから。


 ヨーイングの心の中では、


(教会も、何かしら思惑があるらしい。もしかすると隠蔽を目論んでいるのかも知れない)


 と、警戒したわけだが、取材を始めるにあたって、どうしても聖皇教会の後ろ盾が必要であることも間違いないところ。


 それに加えてマギグラフ社のお偉方に加えて、直接の上司である編集長の後押しもあり、ヨーイングはスチュワード神父の同行を受け入れた次第だ。


 そのスチュワード神父という人物は随分腰が軽いようで、自分から皇都グリンネルにあるマギグラフ社を訪れてきた。

 そのために、ヨーイングとしては不意を突かれた形になったが、それでスチュワード神父が随分接しやすい人物だということに確信を持てた事は幸いだった。


 それ以降、二人は取材の話し合いを進め、まずはクラインの生涯をたどろう、ということで落ち着いたわけだ。


 スチュワード神父は、この謎に対して“もっとも疑わしい部分”からの取材を考えていたようだが、ヨーイングは自分のプランを主張した。


 神父の主張に、


(なるほど、これが教会の狙いか)


 と、察せられる部分があったこともヨーイングが自分のプランに固執した理由ではあるだろう。

 だがそれ以上に、やはりヨーイングの心の奥底には、


 ――クライン礼賛。


 そういった想いがあることは間違いない。

 だからこそ、クラインの生涯をたどった上でその名誉を回復したい。


 そういった狙いがあるからこそ自分のプランを主張した。


 それによってヨーイングにとって不都合な証拠や証言が集まってくる可能性について、彼は気付かないのか。あるいは無視するつもりなのか。


 ――本当に、そんな可能性は無いと確信しているのか。


 とにかく、この様な理由で二人の取材行はジンバル村から始まったというわけである。

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