悪魔だけが純粋だった

司弐紘

第1話 何故、彼は死を選んだのか?

 聖皇歴一一九四年。積青月十一日。


 この日、英雄フォールズベリー・ラデレッサ・クラインは死んだ。

 穏当な死に方では無い。


 彼は自ら命を絶ったのだ。

 秋の……空気のよく澄んだ晴れた日に。


 皇帝から下賜された邸宅の片隅で。

 自室でもなく。寝室でもなく。


 二人の妻と、彼を慕う多くの者達。そんな彼女たちと共に暮らす自分の屋敷。そこから遠く離れた、広大な庭園の用具室で彼は発見されたのだ。

 

 さして広くもない薄汚れた用具室の梁に、真っ青なマフラーを通して、絹の下着姿だったクラインは自らを吊り下げたのだ。

 ギィギィと鳴りながら。


 クラインはまず故郷のジンバル村での怪物退治で名を上げ――


 すぐさま、当時は一領主に過ぎなかった統大帝アレクサンドルにクラインは見出され、その娘であるロゼリアンヌと誼を結ぶ。


 クラインは、アレクサンドルの下で武功を重ね、その勇名はついに教皇レオニダスⅦの耳にまで届いた。


 そしてクラインは教皇の声に導かれるままに転戦し、ついには魔族を人類との境界線とも言われるエルダー湖の向こう側に押し返したのだ。

 その名が大陸中に轟くまでになったのは言うまでもない。


 だがクラインはあくまでも謙虚に。

 アレクサンドルの臣下としての節度を忘れることは無かった。


 それでいて大陸中の紛争に派遣され、ついにはアレクサンドルを皇帝位に押し上げ、教会の権威を示し、聖俗の調和の取れた世界を顕現させたのだ。


 曰く、正義の天秤を持つ者。

 曰く、神の使わした守護騎士。

 曰く、聖人。


 周囲からの賞賛と敬愛の言葉がクラインを彩る。


 皇帝位をアレクサンドルから譲られるのは間違いなく、またロゼリアンヌとの婚姻は、それにたいしての血統的な保証も与えることとなった。


 さらに第二婦人として、聖教の枢機卿――フェランチェスト・アグバーの“姪”、カリエンテールとも婚姻している。

 

 よって、クラインは聖俗併せて、人の世界の頂点に立つことが約束されていたのだ。


 ――そんな彼が、何故死を選んだのか?


 当然のように暗殺が疑われた。

 だが、それは不可能だ。


 どうすれば人類史上最高とも呼ばれる英雄クラインを殺す事が可能になるのか?

 暗殺論を論じるためには、まず、この部分を突破しなければならないのだから。


 それでもまだクラインを絶対視する者達は、クラインの自死を認めようとはせず、あくまで“何者かに殺された”と主張を続けた。


 結果として飛び出すのは、荒唐無稽、奇々怪々の珍説ばかり。


 そのため彼らの主張とは逆に、彼らが抗えば抗うほどクラインの死に対して、それを悼む声が聞こえてこなくなったしまったのだ。

 心ある者達が、眉を潜めてしまうほどには。


 だから人々は繰り返し考えるのだ。


 最高の勇者。

 希代の英雄。

 人類の守護者。


 そんな彼が――何故死を選んだのか?


 と。


 そして、彼の死から季節は一巡し、時は聖皇歴一一九五年、積青月十三日。


 人類の未来がここより始まる――

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