Ⅹ-分かり合えないということ
まあ、伊豆に対して明らかに言い過ぎだとは──自分でも、思う。
言い過ぎというか、社会人としてのマナーの域に収まらない物言いであった。伊豆に散々説教をした割に、一番人として成っていないのは自分の方なのである。
しかし──私がこんな態度を取り続けているにも関わらず、伊豆はしつこく私に構ってくる。それが理解できないからこそ、余計に苛立って、また喋り過ぎてしまう。
だって本当に分からないのだ。会うたびに酷い態度を取られる赤の他人に、どうしてそう構おうと思うのか。私だったら御免だ。伊豆にすれば、私が伊豆のことを分からないのと同じくらい私のことなど分からないだろうが。
どうしたものだろうか。ここらで一つ、酒の席にでも誘ってみようか。酔わせれば本音の一つや二つ、ぽろっと零すかもしれない──などと。
分かり合えないことが分からなくなりつつある自分にも、薄々気づいてはいた。
しかも、酒の席は現実のものとなった。
「いやぁ〜嬉しいですね。まさか天津さんの方から飲みに誘ってくれるなんて!」
「酔うの早すぎませんか? もしかして下戸ですか?」
「酔ってませんよぉ。本当に嬉しいんですから」
「酔っ払いは皆酔ってないって言うもんです」
目の前で楽しそうに酒を飲む伊豆──何が楽しいのかさっぱり分からないが──を眺めながら、私は、今日彼に何を話すべきか考える。
分かり合えないことは分かったかという話か。それとも未だに解けていない自殺未遂の誤解を解くか。いや、無難に世間話から始めるべきか?
「な〜に難しい顔してるんですか、天津さん! おつまみばっかりつまんでないで天津さんも飲みましょうよ!」
「あぁ、そうですね。じゃあカシスオレンジで」
「あれ! 天津さんもしかして下戸ですか!?」
「そう思ってくれて良いですよ」
今日の目的は、伊豆が私に構う理由を酔った勢いで吐かせることだ。私まで酔っ払うわけにはいかない。
そして、それを尋ねるにはそろそろ良い頃合であるように思えた。
「伊豆さん。どうしてそう私に構うんです? 自分で言うのも何ですけど、私の伊豆さんへの態度はお世辞にも良いとは言えませんよね」
なるべくさりげない風を装って、私は訊く。
「なんですかぁ、急に」
伊豆は特に訝しむ様子もなく、答える。
「天津さんは……なんていうか、放っておけないんですよねぇ。なかなか懐かない猫みたいな? 態度が良くないって言いますけど、そういうところが可愛らしいと思ってるんですよぉ、僕ぁ」
何だ、それ。
聞いてみれば何とも、こんなに酔わせずとも言ってくれそうな何でもない理由だった。私はどうにも釈然としなかった。可愛い? 私が?
いっそ私を誑かすような目的であってくれた方が良かったと思う。私を見下していてくれれば良かったと思う。
それが、何だ。
可愛い?
「……馬鹿にしてるんですか?」
結局、伊豆が得体の知れないものであることが怖かったのだ。私のことを伊豆なんかに分かられてたまるものかと思っている癖に、伊豆が私にとって分からない存在であるのは怖い。得体が知れないから、悪意なんかがあってくれた方が私にとっては現実っぽく、受け入れやすい。だからそうであってくれれば救いもあったのだが、返ってきた答えはやっぱり伊豆だとしか言いようのない、『普通』のものだった。
本当は心のどこかでほっとしている。伊豆のような『普通』の人間がこの世に存在してくれたこと。だからもう、私の思う『普通』の範疇から出られると、困る。
これはあまりにも傲慢な理想の押し付けで、私が伊豆に投げつけた言葉はことごとく自分に返ってきているのだった。
要はそういうことだし、しかも、更に困ったことに──私は、この『普通』のサンプルのような人間を、手元に置いておきたくてたまらなくなっているのであった。
「……伊豆さん」
「なんれすかぁ? あまつさん」
ちっとも呂律が回っていない。テーブルを挟んでいてもその息が酒臭いのが分かる。まあ私が飲ませたのだが。
恐らく呂律と共に頭も回っていないだろう。だから多少のことは大丈夫。
伊豆。伊豆太一。私がなりたかった姿。私が歩みたかった人生。こんなふうに生きられたら楽だった──のに、こんなふうにならなくて良かったとも思っている。侮蔑にすら近い感情だ。
最低だし、傲慢だと思う。本当に。
「目、閉じてください」
「えぇ? こうれすかぁ?」
アホ面。
愚かで可愛らしい、愛すべきアホ面。
「そうです」
────言って、私は、彼に無理矢理口づけをした。
「……えっ?」
流石に酔いが醒めたらしい伊豆が狼狽している。私は伝票を手に取り、二人分の金を払うと、唖然とする伊豆を置いてさっさと店を出た。
そして、家に帰ってすぐ、私は唇を執拗に洗って嘔吐した。
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