Ⅸ-見下し癖がついているのは(2)

「伊豆さん。さっきのは嫌味ですよ。分かりませんか?」


「え、えぇ……?」


「というか、伊豆さんから見たら私は自殺未遂なわけでしょう。それほどまでに巨大な悩みを話せる、自分がそんな信頼に足る人物だと思ってるんですね。それって傲慢だと思いませんか? まぁ何度も言うように私は自殺未遂ではないんですが」


 ──『普通』、というか。

 この男、ただの世間知らずでは?


「傲慢……って。じゃあ言いますけど天津さん。僕は他にどうすれば良かったんです? あのままあなたを見殺しにすれば良かったんですか」


「そうとまでは言いませんよ。危ないことをしている人間を止めるのは条件反射として自然なことですから。ただその後こうして首を突っ込んでくるのが傲慢だって言ってるんです」


「そんなの……そんなの、間違ってる」


 弱々しく呟く伊豆。どうせ間違っていると断ずる根拠もありはしないだろうに。

 しかし伊豆に心無い言葉をぶつけているうち、自分が何に苛立っているのかが少しずつ分かってきた。


 この男の目には、変わり者で心を閉ざした死にたがりの女が、自殺しかけたところを助けられた男に話を聞いてもらって心を開いていく──という、如何にも『普通』視点からの、どうしようもない奴を救ってあげようという、まるで上から目線の、美談の皮を被った自慰のようなストーリーが見えているのだ。

 しかも当人はそれに無自覚で、自分は善行をしているのだと信じて疑わない。どうしようもない女を助けてあげているのだと。


 誰がお前なんかに救ってもらう惨めな立場なもんか。勝手に同情して哀れな心を閉ざした奴に仕立て上げるな。お前なんかより私はずっと色んなことを考えて、色んな感情と向き合ってきた。それらと出会わないことは悪いことでは勿論ないが、少なくともお前に見下される筋合いはない筈だ──


 ──……お前『なんか』?


 自分の思考の中にナチュラルにそんな不遜な言葉が登場していることに気付き、慌てて脳内の言葉をかき消す。つまり、自分が『普通』サイドにいると思っている人間は異端な人間を見下すし、逆もまた然りなのだろう。お互い様でしかないし、そこに優劣などあってはならない筈である。


 要は、考えていることが違うだけなのだ。私が京子とか創作とか姉とか『普通』とか人の生き死にとか、そんなことを考えていた時間に、伊豆のような人間は例えば自分の将来のこと、周りの人間関係のこと、趣味のこと、そういうことを考えていた。それだけのことだ。


 伊豆のような人間からしたら、何も考えていないのは私の方だ。


「……伊豆さん」


「な、何ですか」


「私には伊豆さんが持っている物事の尺度なんか一つも分かりません。そして、それと同じように、伊豆さんにも天津燈子のことなんか一つも分からないんです。それだけ分かってくださいね」


「えぇ……?」


 伊豆は困り果てたような顔をしている。そんな彼を尻目に私は、自分の分の食事代をテーブルに置くと、鞄と上着を持って立ち上がった。


「帰ります。今日はお誘い頂いてどうも」


「ま、待ってくださいよ!」


 慌てたように立ち上がる伊豆。


「分からないから分かり合おうとするのが人間じゃないんですか? 分からないからって諦めたらずっと分からないままです」


 そんなことを言うためにわざわざ立ち上がって引き止めたのか。

 私はわざとらしく大きなため息をついてみせた。


「そうですね。でも限度ってものがあります。私と伊豆さんは分かり合えないって話をしてるんですよ。……それでは」


 そう言い置くと、私は今度こそ店を後にした。

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