Ⅶ-彼女は霧を薙ぐ(2)
『kiriさんはどうして作曲活動を始めたんです?』
『あた──じゃない、ぼくですか、そうですね。少し長くなるんですけど、いいですか?』
『構いませんよ!』
『ありがとうございます。じゃあ遠慮なく話をさせていただきますね』
どうやら京子は性別を隠して活動をしているらしい。きっと彼女のことだから、女がやっているという付加価値で評価されたくないのだろう──声の加工は低めになされており、一人称も『僕』を使っている。しかしそれでも、高校時代唯一の友の口調だとはっきり分かり、微かに嬉しいような懐かしいような、それでいてやはり妬ましいような、不安定で不思議な気分が胸を突いた。
『ぼくには一人、大事な親友がいるんです。その子とは高校で出会ったんですけど』
『ほう、親友ですか』
『はい。その子は文芸部だったんですけど、その文芸部が廃部寸前で、部員も三人くらいしかいなくて……それで、部誌を出すのに人数が足りないから、小説を書いてみないか、って誘われたんです』
『なるほど。創作活動は曲作りより先に小説から入ったんですね』
『そうなんです。……ぼくは昔から、意味のないことを考えるのが好きでした。人生とか生き死にとか、そういうの。親も友達も真面目に取り合ってくれなかったし、友達には『病んでるじゃん笑』とか言われちゃって。そんなぼくの思考を初めて肯定してくれたのが親友だったんです。本好きの親友は物知りで、ぼくに、哲学という学問があるんだと教えてくれました。それから、その考えるのが好きな性格は創作に向いているとも』
『……kiriさんにとって、親友さんはとても大きな存在なんですね』
『はい、とても。……文芸部の部誌に小説を寄稿した後、ぼくには短文の方が向いていると気付いて、そこから作詞を始めました。そのうち曲をつけたくなって、大学でDTM研究会に入って、動画投稿するようになって……それで、今に至ります』
DTM研に入ったところまでは、京子から直接聞いていた。その後の話が聞けるかと思ったのだが、どうやらその後有名になるまでは本当にとんとん拍子だったらしい。私の知らない『kiri』と私の知っている『京子』が重なる。
『では最後に、親友さんに一言お願いします』
『はい。──親友は……すーちゃんは、まさに、あた……ぼくの『
画面の向こうから笑いかける京子の純粋な笑顔が、私にははっきりと見えていた。
美談にしようとしているとか、そんな邪な気持ちがないのは彼女の語り口を聞いていれば分かった。あれは紛れもない彼女の本心だ。
だからこそ、余計に──腹が立った。
一人、良い思い出かのように語って──いや、実際良い思い出である筈なのだ。あの頃私たちは女子高生だった。彼女との間なら日常のくだらないこと全てが重要だった。本当にそうなのだ。その筈なのだ。その思い出をこんな感情で穢しているのは私の方だ。そんなことはずっと分かっている。ただの嫉妬、ただの僻みならどれほど良かっただろう。あの憎い相手が京子でなかったならどれほど良かっただろう。
何もかも、受け入れられない私の心の狭いのが悪いだけなのだ。筆を折ったくせに。逃げ出したくせに。
そう分かっていても──やはりこの激情を、止めることは出来なかった。
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。京子も、そして誰よりも──私が。
一体私が何度この狭い一人暮らしの部屋で感情を燃やしたと思っているのだ。そんなことを微塵も知らず、ただあの時のことを過去の良い思い出と信じて疑わない、疑わずに済んでいる。私だって彼女のことを親友だと思っていたかった、動画見たよ、ありがとう、久しぶりに会おうかと、何の後ろ暗い心も持たず純粋にそう言いたかった。彼女が羨ましい、妬ましい、しかしそれ以上に惨めだし申し訳ない。叶うことなら今すぐ彼女の首を絞め上げて、その後で額を床につけて謝りたい。だって、全て私が悪いのだ。彼女を妬み憎むのも、思い出を穢すのも、もはや彼女に合わせる顔などどこにもないのも、全て、全て私が悪い。私のせいで私はこうなった、だから私は毎晩激情と罪悪感に首を締められる程度が丁度いい。
私を生かしも殺しもしないこの感情に、あと何年心臓を絞られればいいんだろうか。他人事のように考えるそんなことは、結局自分のことばかりだ。
私にとって、京子は、創作は──そこまで重要なことだったのだろうか。
パソコンのディスプレイだけが変わらず光る部屋で、何も分からない夜が更けていった。
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