Ⅱ-私がこうなったのは
◆
あの日はいつものように、屋上階段の隅で京子と弁当をつついていた。
「京子さ、文芸部入る気ない?」
「えっ、どしたの急に」
文芸部は常に過疎で、当時の部員は私を含め三人だった。各学年に一人ずつ。しかも私は大学受験を控えており、部活に顔を出せてはいない。あと数年で廃部するのではないかと私は密かに思っている──とまぁそんなことはさておき、部誌に載るのが三作品だけというのは些か味気ない。
そこで、京子に声をかけたというわけである。
「いやさ、今度、部誌の発行があるんだけど、三人じゃどうも味気ないよねって話になって」
「なるほどぉ……って、さすがに文芸部は無理だよ、すーちゃん。あたし小説なんて書いたことないもん」
「そこを何とか! 大丈夫だって、私も高校入ってから書き始めたし」
「うーん……力になりたいのはやまやまなんだけど……何書いたらいいか分かんないしなぁ……」
渋る京子を、私は必死に説得した。私にとっては最後の部誌だ、作品数は多い方が良いに決まっているし、自分の作品と京子の作品が一緒に載った部誌がずっとこの高校に保管されて残り続けるなんて最高だ。親友と共にこの学校で過ごした証を残して行ける。何だか青春らしくて素敵ではないか。
──そんな私の力説に、京子はとうとう折れた。
「すーちゃんがそこまで言うなら……やってみるよ。〆切教えてくれる?」
こうして部誌の原稿を受けてくれた彼女に、この時はまだ「京子は考えるの得意だし、小説書くの向いてそうだな」とどこか上から目線の先輩面でそんなことを考えていた。彼女が書く物語を心から楽しみにしていた。彼女の創る世界に興味があった。
だが、提出された彼女の原稿を読んだ時──私が抱いた感情は、嫉妬と絶望と怒りが入り混じったどす黒いそれで……そして、私は二度と小説を書くまい、と決めた。
結論から言えば彼女の小説は素晴らしかった。こんな廃部寸前の文芸部の部誌などに載せておくには勿体ないくらいに。──彼女の作品は素晴らしかったが、しかし、些か素晴らしすぎた。
敢えて陳腐な言い方をしよう。──『本物』だ、そう思った。彼女の小説に散りばめられた言葉の数々は宝石のように輝いていて、非現実的な美しさがあり、しかしそんな言葉たちで描かれる感情の数々はどうしようもなく等身大で、まるで手に取るかのように伝わってきた。砕けた宝石の破片が読者にそのま突き刺さるような、鋭い感情──それらが、文字媒体とは思えないくらい胸を突く。独特な台詞回しは読者を惹き付ける中毒性があって、彼女の文章の虜にならない人間を探すのは砂漠に落ちた針を探すより難しいのではないかとさえ思った。
この市杵京子という人間が今まで創作と出会わなかったことが心底不思議だった。否、今まさに出会ったのか──私が彼女を誘ったのも何もかも必然で、彼女は出会うべくして創作に出会った。本気でそう考えた。
ふつふつと怒りが湧いてきた。何書いたらいいか分かんないなどと言っていたのは何だったのか。私が小説を書くたび褒めてくれたのは何だったのか。これだけの小説を書く人間からしたら私の文章などそこらの塵よりもつまらないものだろうに。からかっていたのか? 馬鹿にしていたのか? 焼け付くような怒りと嫉妬で頬が紅潮するのが分かった。彼女から手渡された原稿を破り捨ててしまいそうだった。
そして、私がどんなに努力をしたところで一生彼女に敵わない、ということが──直感的に、分かってしまった。
だって彼女はどうしようもなく『本物』なのだ。努力で埋まる差でもなければそもそも比べられるような次元でもない。誇りを持って『普通』から逸脱した生き方を通せるのは彼女のような人間だ。
私は──私は……、平々凡々な癖して『普通になれない』ふりをしていただけだったのだ。ただの若気の至り。イタい思春期の少女。
小説を書くのが好きだった。
自分の文章を信じていた。
何か成せると、残せると──何の根拠もなく、漠然とそう思っていた。
家に帰った後、私は手元にあった原稿を全て破り捨てた。部誌に載せるものは顧問に提出してあったが、それも返ってきたら捨てようと思った。ワープロで打った分も、フロッピーのデータを全て消した。
「私たち自然体って意味で『普通』でいよう」、私は彼女にそう言った。彼女こそがいわゆる本物で、才能であるなら、私の異端紛いの何かは演じていたに過ぎないことになる。実際あの日、彼女と一緒に試したではないか──『普通』なんてちょろいのだ。やろうと思えば簡単に『普通』になんてなれるのに、妙な意地を張って異端のふりをしていただけだ。今彼女の才溢れる文章を読んで、はっきりとそう確信した。
私は──私は、『普通』の、人間だった。どうしようもなくどこにでもいる、そんな私の所属先は『その他大勢』だった。
彼女との約束を守るために、私は、徹底して平々凡々な普通の人間で在らねばならない。
──そうして私は筆を折った。この日から今に至るまで、一度たりとも小説を書くことはしていない。
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