初めて恋をした彼女は

「お帰りなさいませ、国広様。そちらの方はお友達でございますか?」


玄関扉をくぐると、付きの執事が頭を下げてくる。


「ただの同級生だ。私が対応する。茶や請け菓子も必要ない」


「畏まりました」


頷いた執事は一礼をしてから、一歩足を引く。


熟練されたその所作に、隣にいる人物がほぉと感嘆の息を漏らした。


「広すぎてもう訳分かんないよな。やっぱ本当はここだけ日本じゃないんじゃないのか?」


「馬鹿か、そんなはずないだろう。庶民の家なら買えるぐらいの税金も毎年収めている」


「こんな夢のある豪邸でそんなリアルな話聞きたく無かったなぁ……」


苑山は悲哀に満ちた表情で肩を落とす。


喜怒哀楽が激しいようで結構なものだ。これなら少しは参考になるかもしれない。


「それで、誰のことを好きになったんだ?」


磨き上げられた長い廊下を自室に向かって歩いていると、苑山は唐突にそう言った。


確かに、説明するより早いだろうとあれから放課後になって家に招き入れてやったのはそれが理由だ。


けれどまったく、庶民は簡単な言葉の解釈すらできないのか。


「恋をしたとは一言も言っていないだろう。恋をしたか教えろと言ったんだ」


「そういう風に思う場合は120%の確率で好きになってるんだよ」


「小学生の算数すらまともにできないのか。確率に100%以上があるものか」


「ものの例えだっつうの。細かいことはいいんだよ」


ぱしりと背中を叩かれる。


「論破されるとすぐに手を出す。やはり低俗だな」


「で、誰なんだよ?」


答える前に自室に辿り着いたので、ガチャりとドアノブを回す。


一瞬視界に広がるのは、絨毯が敷き詰められた床や、それらを照らす淡い山吹色のカーテン越しにも眩しいほどの斜光。


そしてそれらを忘れさせるほどに美しい、ベッド脇に佇む1人のメイド服姿の少女。

透き通るほど蒼い瞳に、雪のように白い肌。


「お帰りなさいませ」


少女はずっと見計らっていたかのような完璧なタイミングでぺこりと頭を下げた。


「ああ。ただいま」


「お部屋の掃除は完了しております。次の命令をお申し付けください」


「しばし待て。次の仕事まで自由にしてくれて良い」


「畏まりました」


彼女は一礼をしてから一歩身を引いた。


それはさきほど出迎えた執事よりも一寸の違いもない所作だった。


「ははーん。なぁるほどね。確かに綺麗だな」


「………だから知ったような口を聞くな」


「ようなも何も答えは一択だろ。頬、赤くなってんぞ」


思わず慌てて顔を隠すと、苑山はやれやれと言わんばかりに両掌を上向けた。


「好きなんだろ?恋してんだろ?」


「確かにあいつの姿を見れば頬に熱が昇る。部屋であいつの事を考えるだけで鼓動がどくりどくりと早鐘を打つ」


「なら間違いないだろ。というか、そこまで自覚があるなら何を悩むことがあるんだ。因みに身分の差ってやつは俺には分からないぞ」


「違う、そんなことはどうでもいい」


いずれ私がこの家に主になるのだ。


伴侶すらまともに選べない判断力で家計を維持出来るはずもない。だから許嫁などがいるわけでもない。


「じゃあどこに問題があるんだ。初めましての俺ですら分かるぐらいに仕事も完璧にこなせそうだし問題は無さそうだろ」


庶民にもどうやら少しは見る目があるらしい。


いや、それもそのはずだろうか。


確かに彼女は完璧だ。


「………完璧すぎることが問題なんだ」


呟くと、苑山は分からないとばかりに首を横に振る。


「彼女は人間じゃない。最先端のプログラムで稼働している」


さすがにそこまでは気付いていなかったようで、息を飲んでいるのが分かる。


「プログラムって、まさか」


今一度彼女を見る。


彼女は最後に礼をした位置から一歩も動いてはいない。


『自由』にという『命令』を受け取り、存在しない答えの結果『何もしない』という判断を下している。


これ以上の命を出さなければ、いつまでもその場に居続けるだろう。


「彼女は命令されたままに動き、学習する人工知能。AIだ」

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