EP15 叛逆と"ざんげ"
地下空間が狂気渦巻く場所と化す少し前。
チリエはレフィナの静止を振り払って、部屋の奥に引かれたカーテンの前に立つなり、一気にそれを引き開けた。背後で信者達が悲鳴を上げる。彼女にはその意味が一瞬分からなかったが、目の前に広がる光景を見て、すぐに納得した。
カーテンの向こう側は酷い有様だった。辺りに散らかる紙や鉛筆。割れた瓶からは水らしき液体がこぼれ、辺りを汚している。
そしてそれらが取り囲むのは、白い服と腰まである暗い桃色の髪を持つ人物。その場で崩れ落ち、苦しそうに呻くその男こそ――【秘匿のメシア】の教祖であり、自身こそカリトを救うメシアであると自称する、チリエに遺された唯一の肉親――そう、チリエの父親だった。
「久しぶり」
自分の娘に話しかけられたのにも関わらず、彼は何も返事をよこさない。ずっと呻くばかりだ。
「ねぇ、とうとう自分の娘のことすら忘れたの?」
更に言われてもなお、返事はない。だんだんそれに腹が立ってきたチリエは、いっそ彼の正面に回って耳元で罵倒してやろうかと思い始めたが、足元が悪い為にそれは叶わない。仕方ないのでそのまま、彼の背後で罵声を浴びせ続ける。
「どこまでもクソ親父だね。――ママが死ぬまではそんなことなかったのに。あの日から……ママが死んでから、あたしは一度もあんたに構ってもらえなかった、話すら聞いてもらえなかった! あんたが変な薬をどっかからもらってきて飲み始めた時も、神託だなんだって変なこと言い始めた時も! やめてって言ったのにあんたは聞いてくれなかった! 今だってそうだよ、何だよ神様への嫁入りって! 自分の娘を殺して何になるの、自分が何言ってるのか分かってるの、ねぇ⁉︎」
彼女の黄色い左目から、つっと涙がこぼれた。右目の眼帯も僅かながら濡れている。無意識に出たその涙を拭いもせず、彼女は更に自身の父親を貶す言葉を吐き出そうとした。
しかし、それは叶わなかった。突然呻くのをやめて顔を上げた父親が、振り向くなり彼女を縋るように抱きしめてきたからだ。
おおよそ三年ぶりに見た父親の顔は、あの当時よりも更にやつれていた。頬は痩せこけ、両眼を隠すように巻かれた包帯も解けかけている。隙間から垣間見えた右目は、醜く潰れていた。ギリギリ見えないが左目もまた同じ状況だろう。
抱きしめる手も痩せ細って冷たくなっている。この三年の間に、彼の身体はかなり蝕まれていた。
「……ごめんね、わがむすめよ」
耳を撫でる、掠れたテノールボイス。いかにも気が弱くて、繊細そうなその声だけは、娘の記憶の中のものと変わっていなかった。それに思わず気を許しそうになる彼女だったが、踏みとどまって離れようともがく。しかしやはり、成人男性の腕力にたかが十歳やそこらの少女が敵うわけがない。
父親はカーテンを閉めると娘を更に強く抱きしめ、彼女の耳元で更に言葉を溢し始めた。
「ぼくは きみを まもりたかったんだ。ただ、それだけだった。ぼくの、かわいい かわいい むすめ。きみを まもるために、ぼくは なんども かみさまに そうだんしたんだよ。そして、そのとおりに うごいてきた。……でも、きみは……」
「やめて。今更やめてよ気持ち悪い」
「――ああ、どうして わかってくれないんだい? そとのせかいは こわいんだよ?」
「怖くない、全然怖くないよ」
「つめたくて、なかまなんて いないんだよ?」
「冷たくないよ、みんな優しい」
これで、自分の気持ちを分かって欲しかった。もしこれで彼を説得出来ていたら、きっと穏便に事は済んだのだろう。
「それは、うそだよ、チリエ」
だが彼は――チリエの父親は、既に手遅れだった。
「今更名前を呼ばれたって嬉しくないんだよクソ親父!」
「だれが おまえを そうさせた!」
「紛れもないあんただよ‼︎」
「ぐんじんどもだろ!」
「違う‼︎」
「おまえたち、いますぐに ぐんじんどもを おいだしなさい。かみも そうしろと おっしゃっている」
「そんな神託があって堪るか‼︎」
部屋の奥で勃発した親子喧嘩が、信者と軍人達にまで飛び火した瞬間であった。
事の成り行きを見守っていたリーア含む一般兵五人とジャックスは、半ば想定外の展開に一瞬お互いに顔を見合わせた。だが全員は一斉に頷くと、各々、所持する武器を取り出し戦闘態勢に入る。拳銃持ち三人、
「増援は、仕掛けを破壊しに行ったストックが呼んできてくれるだろう。目先の目的は信者達の足止め。教祖の拘束と娘の保護は一旦後回しだ」
ジャックスの口から早口の指示が飛んだがしかし、頷く間も無く男性信者が動き始めた。何処からかライフル銃を持ってきては、どういうわけだか見境なく乱射し始めたのだ。無論構え方もなってないので、ただでさえ照準も合っていないのに更に弾がぶれて、もはや銃としての本分を果たせていない。
――いや、足止めとしての役目はギリギリ果たせていたようだ。時折飛んでくる流れ弾を剣で弾きつつ、先頭に並んで立つ軍刀持ちの少佐と一等兵は、突入するタイミングを窺っていた。
背後に控える拳銃持ちの一般兵三人は、先頭に立つ少佐の指示を待ちつつも銃口を部屋に向けている。「撃て」と言われればすぐに撃てる状況。だが、一向にジャックスは狙撃命令を出さなかった。
隙を見て、リーアは左側のホルダーに格納していた【スリー・マルチピストル】の弾倉に弾を込める。銃の選択については、出撃前にジャックスから勝手にしていいと許可を貰っているので、ある程度の自己判断は許容されていた。使うつもりは無かったが、念の為の判断だ。
そして、その判断は結果的に見れば正しかった。
「撃て。狙いは銃だ」
ジャックスの一声で、拳銃持ち三人は一斉に引き金を引いた。音が揃ったのは最初の一発のみで、その後は各自のタイミングでの発砲となる。
しかし一向に当たらない。というのも、信者達の動きがなかなかにいやらしいのだ。しかも全く止まってくれない。どうしてこんなにもやることなすことが無茶苦茶なのに、フレンドリーファイアのぶつけ合いには発展しないのか、軍人達からしたら不思議でならなかった。
だがそんなことはどうでもいい。拳銃持ちの三人はひたすらにライフル銃を狙い続けた。
「わりぃ、遅くなった」
そんなこんなで悪戦苦闘する中、ピストルを抜いたストックが戦線に合流した。そして今の状況の説明も求めず、銃口を信者達に向ける。
「狙うのは銃ですよ」
「おう、だろうな」
一般兵からの念押しをいとも軽く受け流すと、ストックは何度か引き金を引いた。そして見事に全て外して舌打ちをする。拳銃を扱った年数は一般兵よりも十年近く長い彼をもってしても、やはり無理があったようだ。
このままでは埒が開かないと既に思っていたリーアは、実はストック合流と同時に拳銃を【スリー・マルチピストル】に持ち替えていた。一発で三弾が連続で出れば、一弾くらいは当たるだろうという算段だ。
そしてその読みは見事当たった。リーアが撃った弾が一つ、とある信者の持つ銃に当たり、更に別の兵士の銃弾も(恐らくマグレだが)当たったことで、そのライフルが機能不全に陥ったからだ。勘もたまには頼りにしてみるものだ。その後も次々と、ライフル銃は拳銃持ち四人の手によって壊されていく。
そして自分の持っていた銃を壊された信者は激昂し、通路の方へと殴りかかってきたが、目の前には剣持ち二名。殴ろうとしては刃の背で逆に鳩尾を殴られ、結果的にその場に蹲ることとなる。
パターンさえ掴めれば、後はイレギュラーな挙動がないかだけ見ればいい。ジャックスは密かに胸を撫で下ろしていた。
そうして、悲鳴と銃声がひっきりなしに生み出されていた、その空間の奥。閉ざされたカーテンの向こう側では、どんな風の吹き回しか、メシアが娘に対して唐突に懺悔を始めた。
「……なんか へんだな、とは おもっていたんだ。ほんとうにこれでいいのかなって おもうことも なんどもあった。でも、きづいたときには ておくれだったんだ。ぼくの はんだんが まちがってたって きづくのが、あまりにも おそすぎた」
凄まじい手のひら返しに、彼に抱きしめられたままのチリエもキョトンとしてしまう。三年前よりも背が伸びた愛娘を抱きしめながら、救世主と騙った男の懺悔は続く。
「ぼくはもう、ぼくじゃない。きみのパパとは、もう にてもにつかない。……くすりがきれたら、またぼくは、メシアにもどる。だから、いまのうちに……ぼくがまだ オーランガムで、あるうちに……あやまらせて」
「やめて、演技はやめて!」
「えんぎじゃないよ。……いまだけは、ほんとうのぼく」
「嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ!」
「ああ、チリエ……きみはママに にたんだね。まっすぐで、きがつよくて……むかしのママに そっくり」
泣きそうな声で言葉をこぼす彼の手に、更に力が入る。
「おぼえているかい? ぼくが しごとからかえってくると、きみはいつも……げんかんで でむかえてくれたね。そして、まいかい……ハグをねだった」
覚えている。勿論覚えている。しかも母を喪ったあの日から、何度も自分はハグをねだってきた。寂しいから抱きしめてと、いつもいつもお願いしてきた。でも父は……彼は、それを毎回黙殺した。今まで娘に見向きもしなかったのに、何を今更。自分の思った通りにことが運ばなくなったからって、手のひら返しで娘に縋るのか。
ふつふつと、少女のはらわたが煮え繰り返る。
「――当たり前でしょうが。分かってたなら最初からやってよ‼︎」
眼帯を掴んで引き剥がし、自分の紅い右眼を、かつて【
その瞬間、辛うじて原形を留めていたガラス瓶が壁に当たって粉々に砕け、紙と鉛筆がカーテンの外へと弾き出される。そしてカーテンも捲れ上がり、流れ弾を受けて端の方がちぎれた。驚いた父親の腕が緩み、そこからするりとチリエは脱出する。
「チリエ⁉︎」
声を上げたのはリーアだった。それとほぼ同時にジャックスが後方を見るなり、ストックにその場を任せる旨を伝え、先陣を切って部屋の中へと入っていった。手招きされたリーアも後ろに続く。拳銃も剣もしまわれ、二人とも手ぶらだ。
「リーア……早くこのクソ親父を殺しちゃってよ。こんな最低な奴、死んじゃった方が良いでしょ? 生きてる価値ないよ、こんな奴――!」
再び蹲る父親を指差して罵倒の限りを尽くすチリエ。怒りからか紅と黄色の目は見開かれ、紙は風もないのに辺りを乱舞する。
彼女にかける言葉に一瞬悩んでしまったリーアだったが、その隙をついて代わりにジャックスが口を開く。
「世が世ならまだしも、今はたとえ制圧目的だろうと、一個人の判断での殺人は許されない。望みを叶えられなくて申し訳ないが、いずれにしろ、いつかは人は死ぬ」
そう言いながら、ジャックスは麻縄でメシア……オーランガムを後ろ手に拘束する。前で拘束してもよかったのだが、連行中に激昂されて殴られては堪ったものじゃない。
「罪状が罪状だ、お前が望む未来はそう遠くない」
オーランガムの身体を慣れた手つきで強引に起こさせ、地下から連行する。
拍子抜けにあっさりお縄にかけられた父親の姿を黙って見送ったチリエだったが、その姿が闇の向こうへと消えるなり、目の前のリーアに泣きついた。眼帯を握りしめ、軍服に顔を埋めながら、声を殺して涙を流し続ける。
そうこうしているうちに後続の部隊も加勢し、次々と信者達も連行されていく。紙と使用不可能なライフルが転がる絨毯張りの地下室で、リーアは軍服にシミがつくのも厭わず、チリエが泣き止むまでそっと抱きしめてやるのだった。
その日をもって、宗教団体『秘匿のメシア』は、崩壊した。
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