Act3
EP10 想いと願い
朝も早よから、人気の少ない屋内射撃訓練場に響く射撃音。連続で三回鳴った後に僅かに間が開き、また三回連続で音が鳴る。
そんな三回一区切りの射撃音を鳴らしているのは他の誰でもない、あの【スリー・マルチピストル】を手にしたリーアだ。蒼い目は真っ直ぐに的を見据え、右人差し指は一定のペースで引き金を引く。
しかし右手にピストルをもって左目で照準を合わせようとすると、どうにも無理が生じる。事実、彼女が撃った弾はほぼ全て、的の中央から外れていた。誰もいないのをいいことに舌打ちをする。
作戦実行が決まり、このピストルを北部の研究者から渡されたその日から、彼女はピストル慣れをする為に、勤務中の殆どの時間はこの射撃場に篭るようになった。無論遠慮なしに上から呼び出しがかかることもあるが、それ以外の時はこの場に篭っていても、何故か彼女は咎められない。恐らくジャックス辺りが気を利かせてくれているのだろう。新しい武器に慣れるまでにはどうしても時間がかかるものだ。
そんなこんなで弾を撃ち尽くしたリーアは、そのままリロードすることなく銃を下ろして一息ついた。それとほぼ同時に、訓練場の扉が何者かの手によって開かれる。
「うわ」
「うわって何ですか、人聞きの悪い」
「てめえ今日も居るのかよ。ここ二日ずっとだな」
扉を開けるなりいかにも嫌そうな声を出したストックは、腰ホルダーに格納していた軍用ピストルを引き抜くと、リーアの横に来てこう続けた。
「ジャックスが呆れてたぞ、気持ちは分かるがやりすぎだってな」
「ならばそちらから私を止めればいいじゃないですか」
「……それはごもっともだし俺もそうしろと言った。だがどうもアイツは考えが読めない」
話しながらピストルの照準を的に合わせ、彼は引き金を引く。——僅かにズレた。
「てめえにとっては尊敬できる上司なんだろうが、俺からしたら察しが悪くて柔軟性の無いただの堅物だ」
もはや軍内では堅物イコールジャックスという等式が成り立っているようだが、リーアは今だにそれに納得がいっていない。中尉の言葉に噛みつく。
「少佐は真面目な
「根拠は?」
「仕事を共にしていれば自ずとそう思えてくるんです。あと、察しが悪いというのも間違いですよ、夜間巡視の時に地図を貸してくださったこともありますから」
「それはたまたまあいつが地図を持ち合わせていただけじゃねえの?」
なるほど、そうとも取れるか。リーアは口籠るのを誤魔化すように再び的に視線を向け、銃をリロードした。撃った三発は揃いも揃って的の中央を大きく外れてしまう。動揺があからさまに調子に反映されるあたり、彼女の心はかなり素直だった。
「てめえ意地でも右目使わないんだな」
その散々な出来を見てボソッと零されたストックの言葉に、リーアの表情が翳る。反応の言葉もどこか暗い。
「……アヴォストは銃は使えません」
「は?」
「彼女が一番力を発揮できるのは小型ナイフらしいんです」
軍刀でも拳銃でも、ましてや鎖鎌でもなく、ナイフ。護身用に携帯する薄型ナイフが、彼女の第二精神であるアヴォストにとっては最良の武器らしい。拳銃を主要武器として選択しているリーアとは、明らかに合う武器の傾向が違っていた。
「……武器選び間違えたんじゃないか?」
「いえ、こっちの時は逆に距離を取った方がやりやすいんです。だから銃を選んだんです」
結果、指導役と武器のタイプが違ってしまい、彼女は今まで一度も彼と手合わせをしたことがない。普通なら、武器の遠距離・近距離といった系統くらいは合わせるものなのだが、やはりあの年に指導役についた士官兵が剣使いばかりだったせいもあるのだろう。こればっかりは上からの指示なのでどうしようもない。
「あっそ」
と呟いて、ストックはリーアの隣で射撃訓練を始めた。
射撃の間に時折ガンスピンを挟む独特のスタイルは、本人曰く格好良さを求めて自力で編み出したものらしい。しかし果たして、彼の求める格好よさと本来求められる制圧力は上手い具合に両立するのだろうか。そもそも、攻撃に格好良さなど求めて意味があるのか。撃ちながら調整を続けるリーアの頭の中には、疑問符が踊って仕方ない。
そして一向に弾は的の中心に当たってくれない。
「……ああもう」
あまりのピストルの精度の悪さに流石に腹が立ってきたリーアは、普段使いの軍用ピストルに持ち替えてそっちで射撃訓練を始めた。
だが持ち替えた一発目から、弾は的の真ん中にクリーンヒット。続く二発目、三発目もずれなく真ん中に当たる。どうやらさっきまで一向に中央に当たらなかったのは、彼女の技量というよりは武器の性能のせいだったらしい。
ふと、数日前に真剣な表情で武器の魅力をプレゼンテーションしてくれた北部の研究者——ミルキスの発言が思い出された。
『三点バーストなので最初は慣れないと思いますが、使いこなせばとても強力になりますよ。ライセンス持ちの僕が自分で何度も試し撃ちしつつ調整して、なんとか実用化一歩手前までには持ってきています』
「……どこが実用化一歩手前よ……」
呆れた声が出るのも仕方がない。あの時はミルキスらの言葉を信じて使用を引き受けたが、蓋を開けてみればこの
そんな彼女が、マルチピストルの方に込めたままだった弾を抜こうとした、その時。
「リーア・ヴォスト‼︎」
訓練場のドアをバンと開け放つなり響いた怒号。声の主は、鉄仮面なのに声だけは怒りと焦りに満ちている——ジャックスだった。リーアは思わず小さく悲鳴を上げてしまう。
「ひっ……ど、どうかしましたか?」
「緊急事態だ、今すぐ家に戻れ」
「え?」
「早く‼︎」
今までにないほどの気迫に一瞬だけ恐怖を覚えたリーアだったが、何とかその恐怖心を抑えて首肯するなり、拳銃二丁を手にしたまま訓練場を走って出て行ってしまった。彼女を見送ったストックが口を開く。
「何があったんだ」
「……バレた」
「は?」
「チリエの居場所が、知らない間に
ストックの手からピストルが離れ、カタンと音を立てる。彼は呆然と立ち尽くしていた。
「だが……もしかしたらリーアの到着までに突破されるかもしれない」
そして、淡々と状況を説明する同期に腹が立ってもいた。
「てめえは行かねえのかよ」
「俺は報告をもらってから動くことになっている。……女一人加勢したところでたかが知れてるとは思うが」
「分かってるんならてめえも止めにかかれや‼︎」
堪忍袋の緒があっさり切れた中尉は、少佐の胸ぐらを掴んで感情のままに叫んだ。
「リーアを探しにてめえがここに来た、そこまでは分かる。だが何故そこから彼女を追わねえんだ、加勢しねえんだ‼︎ 指示待ち人間、しかも女の部下を一人だけ現地に派遣して、てめえは呑気に報告待ちとかふざけてんのか‼︎」
「この後、例の作戦に関しての会議が入っている。実行責任者が不在になると会議にならない」
「はあ? どうせその会議、万が一小娘が拉致られた後にもじっくりやるんだろ?」
「強制捜査に関する通告書類の発行時期にも絡むんだ、当然だろ」
「……おい、ジャックス・ティアー。てめえ本当にあのガキを助けてやりてえと思ってねえだろ。内心めんどくせえと思いつつも昇進かかってるからしゃあなくやってるんだろ、そうなんだろ⁉︎」
「それは違うな、ストック・ディラー」
一度冷淡さを取り戻したジャックスの声に再び滲み出る怒り。深緑の双眸がじっと見据える、紅と緑のオッドアイが少し揺れた。
「俺だって本当はリーアに加勢してやりたい。会議も何も通さず、なるべく早く事を実行したいと思っている。だが規則は規則だ。正しい順序を踏まないと何処かで綻びが生じるから、そういうのが決められているんだ」
「だからって……!」
「時間が無いんだ、早く離せ。会議に遅れる」
その言葉に、ストックの手の力は素直に緩む。外れてしまった幾つかのホックを留め直しながらその場を後にする紫髪の同期を見ながら、ストックは盛大に舌打ちをした。背中で揺れる彼の三つ編みを留めている紐リボンを粉砕したくなったのを何とか抑えた末に、口から毒が溢れる。
「——一度痛い目を見ればいい」
そして思い出したようにピストルを拾い上げた彼もその場を出ていってしまい、射撃訓練場は数日ぶりに無人となった。
*
結論を先に述べると、リーアは間に合わなかった。彼女が合同宿舎前に着いた時には、既に白地金ラインのケープ姿の人間は一人としておらず、逆に軍と同じ紺の詰襟姿の警備隊員達が、通夜の如く沈んだ空気を醸し出していた。
そして建物の方を見れば、ちょうど二階のリーアの部屋の窓だけが割れている。中からではなく、外からの襲撃だったようだ。
「……リーアさん、ごめんなさい」
呆然と建物の方を見上げていたリーアに、一人の若い警備隊員が頭を下げる。
「僕らが……僕が不甲斐ないせいでこんなことに……!」
リーアは警備隊員の方を見もせず、呆然と立ち尽くしている。違和感を抱いた彼は顔を上げ、そして彼女の目を満た刹那、驚いた。建物を見るシアンの瞳に……光がなかったのだ。しかも、普段なら微かにでも浮かべている微笑みすら、完全に消えている。
「……チリエ……」
そう呟いた彼女の頭の中は、真っ白になっていた。もはや、自分の行いが正しかったのか以前に、こんなことになったのが果たして自分のせいなのかすら、彼女には分からなくなっている。
「リーアさん?」
心配して声をかける警備隊員に、漸く彼女は視線を向けた。だが、まだ光は戻らない。どこか虚ろな目のまま、彼女の口から言葉が紡がれる。
「……誰も悪くないですよ。不甲斐ないのは私も一緒ですから」
そして彼女は踵を返す。
「どこに行くんですか?」
「早く報告しないと」
「報告なら僕が——」
「いいえ、私がやります」
「でも」
「部屋の整理くらい、仕事が終わってからでも出来ます。それよりもまずは事を進めないと」
警備隊員の制止を振り切り、リーアは駐在所へと駆けた。行きで全力疾走して体力がかなり消耗しているにも関わらず、彼女の足は自然と動く。
チリエの身柄は、【秘匿のメシア】の元へと無理やり戻されてしまった。ならば、取る手は一つ。
彼女の再保護。そして、裏で色々と発覚している罪状も引っ提げて、教祖も逮捕する。
どうしてそこまで、【秘匿のメシア】の摘発に軍がこだわるのか。それは、あの時のヴィクターの発言だけが理由ではない。
実は、以前に武器の違法所持で逮捕した信者達の所持品、そして体液から、本来ありえない物質が検出されていたのだ。そしてそれを細かく分析した結果、出された結論は——麻薬。しかも、国内では使用どころか所持が厳禁となっている、危険な物だったのだ。信者達の筋の通らぬ発言は、そのクスリが原因だと(短絡的ではあるが)された。
そうとなれば、【秘匿のメシア】の教祖の罪状は更に増える。
実子の監禁、及び親に課せられる子供への教育義務の拒否。信者への違法薬物とライセンス無しでの武器の提供、及び違法ルートでの薬物と拳銃を始めとした各種武器の入手。軍に対する公務執行妨害の指示。そして、軍の保護下に置かれた少女の拉致。流石に罪が八つも揃えば、一生牢獄生活は避けられないものとなるだろう。
実は、これらの情報は本来、士官兵達の間でのみ共有されるもの。しかし今回に関しては、ジャックスがこっそりとリーアにだけ漏らしてくれていた。リーアがそもそもの作戦の発案者であり、計画の隠れた中心人物であることは、あの三人の中だけの秘密事項だから、彼女は表では知らないフリをして通しているが。
……話が逸れたが、とにかく事態は大きく動き始めたのだ。【秘匿のメシア】に連れ戻されたチリエの身は、恐らく平穏無事なままでは置かれないだろう。リーアはそれを懸念していた。あの晩、チリエの口から飛び出た神への嫁入り……それが頭に引っかかる。万が一それが、軍が摘発に向かう前に行われてしまえば……。
「チリエ……」
嫁入りの実態は全く分からない。しかし、民間人からはカルト宗教とも呼ばれる新興宗教の儀式などは大抵、命を軽視した過激なものが多いとされる。あくまで彼女が本から得ただけの情報なので確証はないが、既に彼女の頭の中では最悪のシナリオが浮かんでいた。
「——嫌だ」
そんな目に、あんな幼い少女を遭わせたくない。
「嫌だ」
助けるって、救うって、あの時彼女と約束したから。
「お願い……!」
どうか、どうか……チリエ・マクウォールに、明るい未来を。
「戻ってきたか。……ん? 何があったんだ」
駐在所に駆け込んだリーアを見て、ジャックスが目を細める。
「少佐……」
蒼い瞳から一筋、訳も分からず、涙が零れた。
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