EP11 突撃

 【秘匿のメシア】によるチリエ・マクウォールの拉致は、軍の誰にも予測できない事態だった。少女を軍の施設で保護していることは重要機密事項の一つであり、軍人達全員に厳しい口止めがされていた為に、誰も外では「チリエ・マクウォール」という名前を出せなかった。それなのに一体どこから情報が漏れたのか、多くの士官兵達の関心は何故かそちらへ向いていた。


「この件を外に流した奴はどこのどいつだ! 自首するなら早めにしろ!」

「お前か! お前が口走ったんだろ!」

「俺はやってません!」

「嘘をつくな!」

「本当です!」


 士官兵達の怒号と一般兵達の悲痛な叫びが、駐在所内の至る所で響き渡る。こういう問題事で真っ先に犯人と疑われるのは決まって、最初の一年間の基礎訓練しか受けていない一般兵達だった。士官学校で三年間みっちりと厳しい指導を受けてきた士官兵達との間にある不可侵の溝もあって、こういう時のヒラの兵士達はことごとく不遇だ。


 そんな士官兵達による情報漏洩犯捜しの最中さなか、リーアは建物の陰に隠れてその場を凌いでいた。しかし——


「あ……」


 近くの石段に、並んで座るストックとヴィクターの姿があった。思わず体を強張らせるリーアだったが、彼女は彼らから見て斜め後ろ——丁度死角にいたため、気付かれていない。そして図らずも、彼女は二人の会話を盗み聞きしてしまっていた。


「アイツら……そんな事してる場合じゃないだろ……他にやるべきことくらいたんまりあるだろ……」


 項垂れるストックと、そんな彼の背中をそっと撫でるヴィクター。白いヘアバンドで押さえられたオールバックの赤髪と、緩くまとめられた白髪まじりのサンディブロンドの髪が、気まぐれに吹く風に靡いた。


「うん、それは僕も同意だよ、ストック」

「フィル中佐もそう思いますよね〜。……あー、イライラしてきた」

「あ、僕の横でタバコは吸わないでね、僕あの匂い嫌いなんだ。あと八つ当たりで物も壊さないでね、弁償代で君の給料が減る」

「……分かってます」


 ストックが顔を上げるついでに打った舌打ちに気付いてか気付かずか、ヴィクターの表情は揺らがず、優しい雰囲気を醸し出す声もそのままでこう続けた。


「でも君の気持ちには完全に同意だよ。情報を流した犯人なんて、後から探したって十分間に合う。今やるべきはあの子の再保護だ」


 しかし、そう簡単に計画は捻じ曲がらない。


「でも何処ぞの堅物様のせいで、作戦決行日は明後日から揺るがないとか何とか」


 そう……アルフレッド・レティバーグという存在が、今の第七中隊の面々からすればかなりの障害だった。彼は隊員ではないが、かつてはジャックスの指導役を務めていたこともある。

 そんな彼に、ジャックスはあまり強く発言することはなかった。リーア絡みの小さい事には口出しすれど、こういう重大事項では彼は滅多に上司に逆らわなかった。彼とは士官学校からの仲であるストックはてっきり、今回もそうじゃないかと半ば諦めの情を抱いていた。


「ところがしかし、二代目堅物君が彼に楯突いて強引に決行させようとしているとか、していないとか」


 ——自分の元指導役の言葉を聞くまでは。


「……え?」


 思わず自分の元指導役の方を見るストック。長年の苦労がにじむヴィクターのシワの多い目元は、何故か笑っていた。そのまま、齢五十の中佐の言葉は続く。


「君はジャックスのこと、融通の効かない堅物だって昔からグチグチ言ってたよね」

「事実でしたし」

「でも本当はそうじゃないかもよ。いや、もしかしたら君が知らないうちに彼も変わっていたのかも」

「アイツが? んなわけ——」

「無いとは言い切れないでしょ? そもそも君だって、昔はもっとやる気に満ちた好青年だったはずなのに。こんな怠惰な性格になったのはいつからだい?」


 笑顔で優しい声のまま、相手の心にグサッと鋭利な言葉の刃物を突き刺すのが、今ストックの目の前にいるヴィクター・フィルグランドという男だ。士官学校を出て彼が指導役についた時からの付き合いだ、そういうことをいつか言われることはストックにも分かっていたはず。それなのに、彼は今、返事を見失っていた。元々それ程地位に拘りが無かったと言ってしまえばそれまでだが、彼にはそれ以外にも思い当たる節はある。しかしここで言うのは憚られる上に、そんな呑気なことを話してる場合でもなかった。


「ストック、ここにいたのか」


 会議終わりの割に疲れてなさそうなジャックスがやってきたからだ。思わずリーアは建物の陰に更に隠れて気配を消した。会話は相変わらず耳に入ってくる。


「よ、会議お疲れさん」

「おう。——何とかなった」

「何とかって?」

「一時間後に作戦決行が決まった。話が済んだら所定の場所に集合してくれ」


 ストックは思わずヴィクターの方を見た。垂れ込みをした当の本人は、今だに笑顔を保っている。もう一度見た、士官学校時代からの同期の表情もまた真剣だった。


「頑張ったんだね、ジャックス」


 ヴィクターからの労いの言葉にもジャックスは動じない。


「大したことはしていませんよ、フィルグランド中佐」

「アルフを言いくるめるの、僕でも難しいんだよ? 幼馴染相手にも厳しいんだよね、彼」

「そうなんですか」


 この男、本当に感情が読めない。何を話しても淡々としている。

 少佐と中佐の会話を聞くのを早々に切り上げたストックは、ふと自分の右斜め後ろの方を振り返って見た。視界に入ったのは紺の制服、そして肩に乗るくらいの長さの亜麻色の髪。——身を潜めていた彼女がさらに隠れようとするも時既に遅し。


「何してんだリーア」

「ひあああっ⁉︎」


 情けない悲鳴が口を突いて出てしまった。佐官二人の視線も一気にそちらを向く。建物の陰から恐る恐る顔を出した彼女の顔は青ざめ、手もふるふる震えていた。


「いつからいたんだ」

「……中尉が愚痴り始めたあたりから」

「ほぼ最初じゃねえか」

「何でそんなところに隠れているの? —―もしかして」

「私は何もやってませんからぁぁ!」

 中佐の声に被せて悲鳴じみた声を上げるリーアだったが、男三人の視線は普段のままだ。そもそも建物の陰に隠れる時点で確信犯だと間違われるだろうに……という言葉が三人の頭に同時に浮かんだが、誰もそれを彼女に向けて言うことはなかった。

 同じ軍人相手とはいえ、女に怯えられたら言いたいことも言えなくなる。この場に典型的な女嫌いの大佐がいなくて良かったとも、三人は揃いも揃って密かに思った。


「分かった、分かった。取り敢えず君を疑いはしないから、こっち来なよ」


 ヒラヒラと手招くヴィクターの言葉を信じ、彼女は建物の陰から出てきた。


「……作戦決行っていう話は本当なんですか?」

「なんだ、聞いていたのか」


 ジャックスは格段驚きもしない。


「聞いていたというか、聞こえたというか……」

「なら話は早い。例の武器は持っているか?」

「はい」


 リーアは腰につけたホルダーから二本、拳銃を引き抜いて見せる。右手には、常用している軍採用の小型ピストル。そして左手には、彼女が調整に苦労していた【スリー・マルチピストル】があったが、弾倉から弾は全て抜かれていた。


「―—さては使う気ないな、左手のやつ」


 そうする事情を唯一知っている中尉の言葉に、少女一等兵は苦い顔を浮かべる。


「いくら調整しても合わないんですよ。弾もばらけるし」

「なら、使うかどうかはお前の判断に任せることにしよう。銃に関しては俺が口出しすべきことじゃない」


 そう言って少佐は懐から懐中時計を取り出した。作戦決行時刻は、刻々と迫っている。


「みんな、しっかりね。僕はこんな身体だから加勢出来ないのが悔やまれるけど」


 杖に両手を置き、ヴィクターは微笑んだ。計画の中心メンバー三人は彼の言葉に首肯するとその場を後にして、各班の集合場所へと向かい始めるのだった。



 午後一時五十五分。ジャックス率いる第一班は、カリトの首都トルプの郊外、プレチナヒルズにある真っ白な建物……【秘匿のメシア】の総本山である集会所の前にいた。チリエの拉致以降、信者達は誰一人として建物の外に現れていない為、建物に近付くのはいつにも増して容易だった。

 そして周囲の身を隠せる場所には他の班が点々と配置されており、各々息を殺していた。第一班以外は後続部隊であり、突入号令の後、第一班に加勢する運びになっている。


 ジャックスの隣で静かに深呼吸をするリーアの手には、文字の印刷された面を内側にして巻かれた一枚の大判の紙がある。その紙に印刷されているのは、【秘匿のメシア】の教祖に対する逮捕令状兼強制家宅捜索通達状。法的強制力の強い通達書類で、この通達に抗う者には更なる罰則が与えられる。


「……行くぞ」


 建物内の信者に悟られぬよう、低く小さい声で紡ぎ出されたジャックスの言葉に首肯する一般兵四人。先んじてリーアが集会所の入り口のドアをノックした、次の瞬間。


「何の用事だ貴様ら!」


 突然集会所の二階から罵声をふっかけられた。どうやら気配は既に察されていたようで、開かれた窓からはライフル銃が向けられ、早速一発銃弾が放たれた。幸い誰にも当たらず、銃弾は芝生にめり込む。

 ジャックスは班員の無事を目視で確認するなり、高らかにこう宣言した。


「我々はカリト共和国陸軍、中部中央駐在所の者だ。お前達、そしてお前達の教祖へ通告がある。内容は紙の通り。直ちに武器を下ろして入り口を開けろ、さもなくば通告拒否と判断し、武力行使をもってお前達を制圧する」


 リーアは宣言と共に紙を広げ、二階の信者に通告状を示したが、しかし。


「メシア様を、我々を捕らえるとは何と悪逆非道な所業! 第一我々が何をしたというのだ! その紙に書かれたことは全て貴様らが勝手に作り出した嘘だ!」


 騒ぎ散らすその声に、第一班の面々の目が細まる。相手方の反応は予想通りだった。素直に要求を飲む人達なら、わざわざリーアの部屋を襲ってチリエを強引に連れ戻したりしない。


「—―即ち通告は拒否すると」

「今日は我々にとって喜ぶべき日。祝福に包まれるべきこの場所を、泥まみれの軍靴で汚されては堪らぬ! メシア様のご神託に従い、我々は貴様らを排除する‼︎」

「よろしい、ならば強行突破だ!」


 リーアはポストに丸めた通告状を突っ込むと、空いた右手で拳銃を素早く引き抜く。第一班の全員が武器を構えたのを確認すると、憎いくらいに快晴の空に、普段大声を出さない少佐の大声が高らかに響いた。


「全軍突撃‼︎」

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