EP9 不安
リーアがストックに作戦を「譲渡」したその日の午後。意外にもあっさりと、あの作戦は上層部及び中央司令部から実行許可が下りた。
しかし元の案そのままというわけではなく、ジャックスの指摘も加味した内容で最初にストックから提出されたはずの作戦計画書には、上層部から返されてみれば、後から書き加えられたと思われる短い文言が点在していた。癖のある文字と達筆な筆記体――恐らくヴィクターとアルフレッドのものだろう。崩れ気味のストックの字ともあっさり見分けのつく三種の字で構成されたこの作戦計画書に沿って、今後は事が進むことになった。
そしてこの計画を実行するにあたり、司令塔代わりの中心人物として指名されたのは。
「第七中隊筆頭少佐――ジャックス・ティアー。お前に事の全てを任せる」
アルフレッドからの口頭通達を受けたジャックスは、相変わらずの無表情を貫いたまま――
「はい」
と冷静沈着な返答をしてみせる。
アルフレッドは頷くと、野外訓練場に召集した第七中隊の百人近い隊員の全員の顔をざっと見てから、こんなことを言った。
「この作戦の実行に於いて、お前達の負うリスクはかなりのものだ。これでも作戦失敗時の損失が最小になるよう調整はした方だが、それでも大概だ。だからお前達に言うことは一つだけだ。……この作戦を絶対成功させろ。いいな」
その言葉から一瞬の静寂も生むことなく発せられた、縦の揃った返事。乱れのない肯定の大斉唱に大佐は満足そうに頷くと、そのまま何処かへ行ってしまった。
そして長身の大佐の姿が建物内に消えた途端、張り詰めた空気が一気に緩んで解かれる。一斉に吐かれた息、精神的にキツいものがあったのか脱力して
「このまま班分けを開始する」
ジャックスの一声で、思わず動きが凍りついた一部一般兵をよそに、中隊に属する数名の尉官達の主導のもと、淡々と班分けが始まる。
この作戦の真の発案者であるリーアはというと、予想通りジャックス率いる第一班に配属された。最初に教団本部に乗り込む、言わば切り込み部隊である。
二人の他には一般兵が三人ほどいるのだが、彼らが全員、異能力を持たないニュートラルであることにリーアはふと疑問を抱いた。何故この班での異能力持ちは自分だけなのだろう、他の班には少なくとも二人以上いるというのに。
「あの、少佐……」
「どうしたのさリーア、ボク達が仲間じゃ不安だってのかい?」
今リーアの言葉を遮ったのは、同班の一等兵の青年。リーアと同じ時期に陸軍に入隊した同期でもある彼のその言葉は、半分は揶揄いのニュアンスも含まれていた。リーアがそれを首を横に振って否定すると、彼はこんな言葉を続けた。
「恐らく少佐はキミの右目を使いたいんだよ。このメンツ、明らかに物理的戦闘能力という観点で選ばれてるでしょ?」
「え、あぁ……そうなの?」
「そうなんだよ。だからきっと、キミは作戦遂行時に目の切り替えを要求されるんじゃないかな。赤い目のキミ……アヴォストって言うんだっけ? そっちの方が突撃には合ってるってことなんじゃないかな」
「え……」
アヴォストという名前が出た瞬間、彼女の表情に突然陰が落ちる。右目に宿る第二精神を出したくないとでも言わんばかりに視線も落ちた彼女を、他の班員は不思議そうな目で見ている。
「リーア、どうしてそんな顔するんだよ。お前の能力が買われたんだぞ、もっと喜べよ」
「【戦闘精神】だっけ? この班においては最適じゃないか」
「そんなに右目を出すのが嫌なの?」
口々に言われるそれらの言葉に、彼女は衝動的に耳を塞ぎたくなった。彼らの発言に悪気がないことは分かっている。しかしそれにしたって、それらの発言はあまりに無責任過ぎた。
彼らは、彼女の能力名の本当の意味を知らない。まして、彼らは彼女が実際に能力を行使したところを見たことがないというのに、どうしてそんなことが言えてしまうのだろう。
紅い目を持つ能力者の中でも、ライターの持つ能力は攻撃的なものが大半だ。無論彼女の能力もその傾向に沿っている。【戦闘精神】――その能力名に隠された真意は、彼らの想像よりも遥かに危険で、そして残酷なものなのだ。しかし彼女にはそれを吹聴する趣味などなかったのだから、いずれこういう誤解が生じるのは必然だったのだろう。
「……上手く制御できるか自信なくてね」
だからか、彼女の口を割って出てきた、笑顔と共に無理やり繕った言い訳は、どうにもありふれた文言だった。
「ふ〜ん、そっか。でも安心しろ、もし失敗してもオレらでカバーするから。な?」
「そうそう。その為のチームなんだから」
「一緒に頑張ろうぜ!」
そしてそんな言い訳ですんなりと納得してしまうくらい、彼らも彼らで無知だった。
能力を持つ者と持たざる者の間の溝。こればかりはきっと、今後どれだけ時間が経とうとも埋まることはないだろう。
「……ありがとう」
笑顔の裏で、彼女の心の影は落ち続ける。
そんな時だった。
「ジャックス、リーア。ちょっと来い」
ダッシュでこちらに戻ってきたアルフレッドからの突然の呼び出し。次の指示を出そうとしていたジャックスの動きが一瞬止まったが、今後の全体指示を同隊の大尉に任せると、大佐の方を向いた。リーアも彼の方に駆け寄る。
「何かあったんですか?」
リーアの発言に、アルフレッドの表情が一瞬強張る。だが彼はすぐにそれを解くと、二人にそっとこんなことを耳打ちした。
「詳しい話は建物内でするが……どうやら北の研究者が新型の武器を持ち込んできたらしい」
「え、武器?」
「それで、武器検査役の奴が言うには、その武器が今回の作戦に使えるかもしれないらしい」
「……どうしてそれを僕らだけに?」
「その武器は三点バーストピストル。銃弾から針まで撃てる万能タイプだというが、どうだ? 使えそうか?」
ピストル――即ち拳銃タイプとなると、視力の悪いジャックスが使うことは望まれていない。となると、現時点で想定されている使用者はリーアとなるが、当の彼女はというと――
「―—実物を見せてくれませんか?」
とだけ言って、使用意思に関してはその場では明言しなかった。彼女の発言を汲み取り、大佐は二人を別の場所へと誘導する。
やがて二人が連れて来られたのは、屋内の射撃訓練場。既に中には二人の兵士、そして明らかに部外者の白衣姿の男性も二人いた。武器を持ち込んできたというのは恐らくこの二人だろう。
「ご苦労かけました、大佐」
「問題ない。後は任せたぞ」
「承知しました!」
やけに威勢の良い声で敬礼をした若い兵士―—恐らく少尉だろう―—は、アルフレッドを見送った後、ジャックスを名指しで呼び出すと、射撃場の隅で何やら話し込んでしまった。
代わりに、側にいた兵士——今度はリーアの先輩にあたる一等兵——が、リーアの方を向くなり白衣コンビの紹介を始めた。
「こちらは、南部にある【カリト産業開発機構】の専属
「ど、どうも……」
おどおどしながら頭を下げる黒髪の男性。前髪は左目を隠すくらいに長く、晒された右目は茶色。背もリーアのそれより少し高い程度かつ童顔なせいか、一見すると機械技師にはみえない。
しかしそんな彼から、リーアは何処か自分と似ている雰囲気を感じ取った。前髪が鏡合わせのようにそっくりなのが原因だろうが、どうやらそれは相手も同じだったらしい。顔を上げてリーアの顔を見たミルキスは、瞬間「おや?」と言わんばかりに驚いた表情を見せた。
「おいミルク……もしかしてあの子、お前の生き別れの妹なんじゃないか?」
同じく二人の類似性に気づいた、隣のもう一人の白衣姿の男がヒソヒソとミルキスに耳打ちするが、彼は容赦なくそれを否定する。
「そ、そんなわけないじゃん。僕、一人っ子だよ? あと……人前でその呼び方やめて……揶揄われそう……」
初対面の人が苦手なのか、萎縮してしまうミルキスに反して、リーアの微笑みはミリも崩れない。
「私も一人っ子ですよ。でも何か似てますね、私達」
「……そう、だね」
言葉に歯切れが悪いのは素の性格のせいか、それとも彼女の二の句を警戒してか。思わず視線が彼女から外れてしまった黒髪の
そんな中、一等兵がもう一人の白衣男の紹介をしようとした時——
「リーア、試し撃ちしてみてくれ」
一等兵の声はジャックスの声に遮られてしまう。
そしてそのまま、彼女は新型の武器を試し撃ちする流れになってしまい、結局彼女はもう一人の研究者の名前を最後まで知ることはなかった。
*
試し撃ちを終え、最終的に今回の作戦に於いてのその武器の採用が決まると、研究者二人は「仕事は終わった」とでも言わんばかりにそそくさと帰ってしまった。秋風に揺れる白衣を見送ったリーアは、そのままジャックスと共に野外訓練場へと戻ったが、既に場は解散していた。
一人残っていた大尉を通じ、リーアは改めて自分の立ち回りを把握することになったのだが、所持する武器が変更になったことにより、更に計画が変わってしまうこととなる。結果、彼女のやるべきことは、当初の計画から更に増えてしまった。
「……今回のリーアの仕事、なんかやけに多くないですか、少佐?」
班別計画書に加筆する大尉がボソッとそんな言葉を零す。計画書のリーアの欄だけやけに真っ黒になってしまえば、そう言いたくなるのは無理もない。だが、それに対してのジャックスの返答はというと。
「仕方ないだろ、適材適所でやろうとするとどうしてもそうなる」
「だからってこんな……他の兵士の仕事量と釣り合わない配分は……」
「だから言ったろ、適材適所だ」
彼は頑なにその言い分を譲らなかった。大尉の表情に怒りが滲む。
「——そんなんだから融通の効かない堅物って言われるんだよ……」
大尉のその黒い呟きは、ジャックスのみならずリーアにまで聞こえている。思わずリーアの体が動いた。
「ちょっ……」
しかし、口出ししかけた彼女を少佐は手で制すと、淡々と大尉に向かってこう切り返した。
「お前が余計なことを考えているだけだ」
なかなか苦しい切り返しだが、大尉は暫し黙りこくった後、何故か不気味に笑いながら——
「……は〜い、はいはい。失礼致しました、ジャックス・ティアー少佐」
と、わざとらしいフルネーム呼びで言い捨てると、書類をジャックスに押しつけて建物内に行ってしまった。あの言い方は典型的な嫌味だが、堅物と称され嫌味まで言われた彼の表情は微塵も動かない。
「——少佐」
「いつものことだ、お前が口を挟んで良いことじゃない」
相変わらず感情の読めない鉄仮面に、単調な言葉。そんな、心の隙を一切見せないその守りを無理矢理剥がしにかかるほど、リーアの勇気は尊大なものではなかった。
「……ごめんなさい」
作戦実行は四日後。冷たい風に晒されて冷え切った彼女の頭の中では、大佐の言葉が延々とリピートしている。
『この作戦を絶対成功させろ、いいな』
本当に今のままで、成功出来るのだろうか?
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