EP6 決意
カリト陸軍に従事する軍人達の昼食は実に簡素だ。コップ一杯の水とふかし芋が一つ、あとは時期相応のフルーツが一つ。この必要最低限の量を、一人あたり五分という時間制限の中でスピーディーに腹の中に収める。一般兵は入隊直後の基礎訓練から、士官候補生も士官学校に入学してすぐというタイミングから、そうするよう教育されている。
食糧不足が常態化していた大陸戦争後期にとられた、ある意味苦肉の策だったその習慣は、食糧供給がそれなりに安定してきた現代になってもなお、懲りずに続けられている。
しかし意外にもその方針に対して、軍内部からの反感はあまり買っていない。寧ろ五月蝿いのは、そうなっている理由も知らずに、やれ栄養バランスが悪いだのお腹を痛めるだのと騒ぐ外野の方だったりする。
そんな軍独特の習慣にこれまた例外なく染まっているリーアは一人、人口密度の高い食堂にいた。既に用意されていた、今日の分の昼食が乗った盆を手に持ち、空いている席を探す。先述した少量早食い教育のおかげか、食堂の回転率は非常に良い。無論、その分席の取り合いは熾烈なのだが。
空いた席に素早く滑り込み、漸く食事に手をつけ始めたリーアだったが、ふと頭の片隅にあの少女の姿が浮かんだ。そういえば彼女は昨晩から何も食べていない。彼女用に何かキープしておこうか……と考えているうちに、プレートの上の冷めかけたふかし芋は、既に腹の中に収まってしまっていた。残っているのはリンゴ丸々一個だけ。一瞬手が止まったが。
「……ごめんね」
ただでさえギリギリの食事量だ、減らしたら身がもたない。リーアは不承不承、リンゴに齧り付いた。
他の軍人よりも綺麗に食事を平らげてから食堂を出た彼女は、退室早々、廊下の向こうでヒステリックな悲鳴がしたのを偶然耳にしてしまった。本来ならば自分と従軍看護婦以外はいないはずの、女性の……しかもかなり幼い声。即座に声の主が分かった彼女は、駆け足で部屋の特定を始める。
すぐに部屋は分かったが、食堂からの距離はかなり離れていた。声の大きさの問題というよりは、少女のやたら響きやすい声質のせいだろうか。
五回ノックをしてから、向こうからの反応も待たずにドアを開ける。案の定、部屋には怒り心頭のチリエともう二人……レティバーグ大佐とフィルグランド中佐の姿もあった。
「何の用事だ、リーア」
「……リーアちゃん……来るの遅いよ……」
物が散乱する部屋の真ん中で、椅子に座り、机に突っ伏す中佐。
一方の大佐はというと、ついさっきまで暴れていたらしいチリエを羽交い締めにしている。何があったのか薄々察したリーアは、威嚇する獣みたくこちらを睨みつけてくるチリエの目を見ながら訊いた。
「チリエ……何か言われたの?」
「あそこには戻らないから! 意地でも戻ってやらないから! 戻るくらいなら道端でのたれ死んでやる‼︎」
「黙れ、あと落ち着け!」
「……さっきからずっとこんな調子なんだよ……」
顔を上げた中佐の顔はくたびれていた。目にも疲れが色濃く浮かんでいる。対してチリエはまだまだ元気に大佐に歯向かっていた。
よほど実家に帰りたくないらしいが、それにしたって吐く言葉が歳不相応に黒い。そろそろ「
「チリエ、一旦落ち着こう? ね?」
だが杞憂だった。
「リーアは助けてくれるよね? あの時、『あなたのことは私が守る』って言ったよね? なら守ってよ、あたしを守ってよ! あんな奴らじゃなくて、リーアが! あたしを!」
言質とはこのことをいうのだと気付いたリーアは、昨晩の自分の安易な発言を後悔した。あくまで夜が明けるまでを想定していたあの言葉は、確かに解釈によってはそうとも取られかねない代物で。脳裏には、指導役であるジャックスに、着任してから一番最初に言われた言葉が再生されている。
『いいか、自分の発言には責任を持て。言葉には魂が宿る。だからそれを人質に取られれば、場合によっては
当時の自分にとってはやや語彙が難しかったその言葉が今、槍となって自分の心臓を貫いている。絶え間なく続く鈍い苦しみ。それでも。
『だが、自分の良心には正直でいろ。自分を誤魔化して相手に合わせるやり方は、やがて人を堕落させる。だから、自分の正義に従った結果の発言なら、その限りではない』
「……私は」
彼の過去の命令を、彼女は忠実に守ろうとした。
『軍人としての心構えの一つだ、覚えておけ』
「……私が」
その言葉は、事実だから。
「私がチリエを保護するという方法はどうですか?」
彼女の良心から来た発言に、士官階級にいる二人が一斉に彼女の方を見る。一方は驚き、もう一方は睨みつけながら。
「リーアちゃん……?」
「分かっていないな。子供は親の元に置いておくのが絶対条件だ。赤の他人であるお前に、無理矢理親と子を引き剥がしていい権利などない」
「お言葉ですが大佐、ならばどうして今、彼女は実家に帰るのをここまで拒むんですか? それに、皆が皆、一様に幸せな家庭の中で過ごしているとでもお思いですか?」
「子を蔑ろにする親がいるとでも言いたいのか」
「ならばどうしてスラム街――特にルストの孤児は減らないのでしょうか」
彼女は真剣だった。口元はギリギリ微笑みを残しているが、目はまったくもって笑っていない。昨晩に続いて何かと窮地に立たされている大佐は、目に怒りを滲ませながら二の句を繋げようとした。しかし、それはすぐに阻まれる。
「もうやめなよ、二人とも。不毛な言い争いはただの時間の無駄だよ。それにアルフ、……申し訳ないけど、ここはリーアちゃんが正論だと思う」
「ヴィクター、お前」
「十歳の子といったら、いくらませた子でも、親のことをクソだなんだとは滅多に言わない。でもチリエちゃんはひたすらにそれを連呼している。実の親だと認めたくないレベルに、肉親のことを嫌っている。もしかしたら彼女の実家……【秘匿のメシア】は、裏でかなりまずいことをやっているのかもしれない。実の娘の意見も聞かずに物事を強行して、暴走寸前の状態にまでいってしまっているのかもしれない」
中佐の言葉に、チリエの表情が漸く緩む。驚き半分、期待半分の眼差しを向けられた中佐は、右手の杖に体重をかけて立ち上がりながら言葉を続けた。
「いい機会だよ。チリエちゃんを何らかの方法でこちらで保護し、ついでに【秘匿のメシア】をガサ入れする。何もなければそのままチリエちゃんは戻せばいいし、摘発するなら容赦なくやって、教祖も連れ出す。これで手を打たない?」
琥珀の瞳の奥に光る正義感。普段は精神的にも肉体的にも疲弊しきって、歳不相応にくたびれて見える彼が、その瞬間だけは若々しさをわずかながらに取り戻していた。
大佐の灰色の瞳が揺れ、やがて細いまぶたの裏に隠されると、重々しい溜息と共にこんな言葉が吐き出された。
「……勝手にしろ」
この言葉は責任放棄なのか、それとも信頼の裏返しか。リーアには真意は分からなかったが、ヴィクターはその言葉に安堵したように、口元に笑みを浮かべた。
一方、言葉の主だったアルフレッドは、長らく拘束していたチリエを解放させると、そのまま部屋から出て行ってしまった。
「ねぇ」
「中佐、これって……」
女子二人から向けられた視線に、中佐は微笑みをたたえながらこう応えた。
「――チリエちゃん、君は守られたよ」
シトリンの瞳が、輝いた。
*
日没を告げる鐘がなる。その鐘の音を境に、カリトは即座に夜の顔を見せる。昼間勤めの人々は帰路に立ち、逆に夜間勤めの人は店を開け始める。
昼間の人間であるリーアもまた、チリエの腕を引きながら合同宿舎へと向かっていた。一身上の都合を持つ軍人が住む、集合住宅の集まり。言い換えれば団地のような場所だ。
道中度々向けられる周囲からの好奇の視線は、フリル付きの濃灰色のロングケープに使い古しの軍帽を合わせた、ミスマッチな出で立ちの少女の姿のせいなのか、それとも軍人しか入れないはずの領域に一般人が連れてこられたからなのか。どちらにしても、向けられた数々の瞳に宿っていた光は、これから来る冬を思わせる程に冷たかった。それに気づかぬふりをして、リーアは建物の中へと足を踏み入れた。
元々ルームシェアを想定されて設計されているだけに、部屋は質素ながらも無駄がない。二段ベッドと幅広なテーブル。どちらも二人仕様の代物だったが、昨日まで一人暮らしだった為に持て余していた。漸く有効活用されるそれらをチラリと見てから、リーアは背後にいるチリエの方を見遣った。
興味津々になって部屋を見渡す少女。リーアが彼女を保護することが正式命令となって以降、その目はキラキラと輝き続けている。本来の彼女は、実はこんなにも純真で好奇心旺盛な子供だったのだとしたら、最初の頃の反抗心だったり敵対心というのは、もしかしたら本来の矛先は実家である総本山だったのかもしれない。それがたまたま、自分たちにも向けられているようにも取られかねない言葉で吐き出されただけであって。
……そう思うと、リーアはあの時の自分の半ば身勝手な言動を、さほど責めなくても良いような気がしてきていた。そしてそれとほぼ同時に、目の前で髪をぴょこぴょこ揺らす可憐な少女を、再び失望させてはならないとも思う。
「……守り抜いてみせる」
【秘匿のメシア】の実態が暴かれ、彼女が宗教の呪縛に囚われることのない生活が出来るようになる、その時まで。
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