EP5 謎が謎を呼び
夜間巡視の当番の次の日は、勤務時間の長さの都合上非番になる。だがその日、リーアは仮眠を終えてもなお駐在所にいた。理由は単純明快、チリエの事情聴取だ。
軍の業務形態が変更されてからとってつけたように増設された取り調べ室。建物の中でも端の方にあるそこに、チリエはリーアに誘導されて入った。昨晩と違って足に痛みはないらしく、動きは滞りがない。
「これから何するの?」
「色々質問するの。主に昨日のことについて、ね」
「そっか……」
部屋の中にはリーアとチリエ……だけではなく、もう一人。二人より先に部屋に入って書類の準備をしている白髪まじりの軍人の姿を見るなり、チリエは小さく悲鳴を上げて、素早くリーアの後ろに隠れてしまった。二人の入室に気づいた彼はそちらを琥珀色の目で見遣り、苦笑する。
「君も大変だね」
「おはようございます、フィル中佐。こちらこそすみません、こんな朝早くから」
「いいよいいよ。こういう時くらい、僕も役に立ちたいからね」
穏やかな笑みを浮かべる彼――ヴィクター・フィルグランドの位は中佐。だが数年前、彼はある団体と戦闘沙汰になった時に、左足の膝から下を失って義足となり、それ以降外回りの仕事は大方免除されている。彼曰く「戦力外一歩手前」だそうだが、こうして事情聴取の場には必ず派遣されているあたり、捨てられる日はそう近くはないだろう。「昔だったら即、用済みだったね」と、いつだったか冗談まじりに言っていたことを、リーアは頭の片隅で思い出す。
そんな彼女は、チリエを先に椅子に座らせると、自分は彼女の斜め向かいの方の椅子に座った。そしてチリエの真正面にフィルグランドが座る。
しかし途端に、チリエは挙動不審になった。今すぐ逃げ出したいとでも言いたげにあたりを見回し始めた彼女を、リーアは座った側から立ち上がって背後から肩を押さえる。やけに強張っているのは、やはり目の前にいるのが男性だからだろうか。
怖がられてしまった彼は意外にも動じず、慈悲深い声質はそのままにこんなことを言った。
「あぁ、怖がらないで。ボクは武器の類は持ち合わせていない」
ほらね、と両手を上げる彼。ちらりと見えた腰ベルトには、拳銃のホルダーはおろか腰ポーチすらない。上着の内ポケットに薄型ナイフを隠し持っている線は残ったがしかし、チリエはそれをすんなりと受け入れた。リーアが対角線上にいてもなお少し怯えているが、こればっかりはどうしようもないようだ。
「それじゃあ、事情聴取を始めるとするかね」
まずは彼女の基本的なパーソナルデータを、彼女の唯一の持ち物だった国指定の身分証明書と照合しながら確認する。名前、生年月日、出生地、そして……。
「――チリエ、ライターだったの?」
名前の横に併記される、目の種類とそれに伴う所持能力の概要。リーアの意外そうなその反応に、チリエはやや躊躇い気味に首肯した。
この世界の人間は、目の色と性質によって四種類に分けられる。
両目とも紅色でないうえに、異能力の類を一切持たないニュートラル。
右目が紅いオッドアイで、やや攻撃的な能力を一つ所持するライター。
左目が紅いオッドアイで、控えめで保守的な能力を一つ所持するレフター。
そして両目とも紅く、能力を二つ以上もしくは"魔法"を所持するボザー。
四番目は元来人数比が少ない上に、その能力値の高さに身体が耐えきれず、力が突発的に暴走したりして短命に終わることが多いことから、街中では殆ど見かけない。
だがレフターやライターといった、目を隠すことである程度能力の制御が可能な人々の比率は、年々増加している。ここではリーアとストック、そしてチリエもそんなライターの一人だ。
話を戻そう。
「【遠隔操作】……今やってみせることは出来るかい?」
フィルグランドの投げかけに、一瞬詰まるも頷いた彼女は、そのまま昨日から巻きっぱなしの包帯に手をかけ、慣れた手つきでシュルシュルと解いていく。そして閉じていた右目を開いた、その瞬間。リーアの手にあったはずの万年筆が突然消えた。
「あ、あれ?」
「……リーアちゃん、後ろの壁」
「壁?」
見ると確かに、背後の灰色の壁に黒く垂れたようなシミが出来ており、下のフローリングには、先の折れた万年筆がインクダダ漏れで転がっている。急いで後始末に向かったリーアの方をチラリと見たチリエは、申し訳なさそうに右目を閉じ、更に手で覆った。
「……なるほど、制御出来ないのか」
中佐の言葉に、黄色い左目まで閉じてしまう。
「……ごめんなさい」
「大丈夫、大丈夫。能力持ちの子はみんな、最初はそうだよ。なんなら僕のかつての部下の方がもっと凄かったもの」
「え?」
再び少女の黄色の瞳が開かれる。彼は何処からか眼病患者用の白い眼帯を持ってくると、それを彼女に渡しながらこう続けた。
「彼が右目を開けた途端に、その時いた部屋にあったガラスの物が全部割れてしまったもの」
「えぇーー⁉︎」
年相応に無邪気な反応。意外にもこの話題は彼女の興味を引いたらしい。密かに味をしめた中佐は、微笑みを浮かべながらベラベラと喋り続けた。
「まぁ、彼がまだ士官候補生だった時の話だし、その時ガラス細工の類は部屋に無かったから、大騒動にはならなかったけどね。今はもう訓練されたから、そんなことは滅多に起こらないよ」
そんなこんなで、身分証明書の全項目の合致が確認された後、話は昨晩の件に移行する。
しかし、そこで異変が起こった。人物証明の時には出生地と能力概要以外は即答していた彼女が、その話題に切り替わった途端に黙秘し始めたのだ。何故あの時間に一人であんな場所にいたのか以前に、まず彼女は自分の実家を教えてくれなかった。何を訊いても首を振り、何も語らない。
すっかり軍人二人は困り果ててしまい、なんとかして一つくらいは情報を引き出そうと、事前に用意された質問のテンプレートを無視して、色々と試行錯誤を始めた。だが一向に彼女は情報を吐かない。
「どうすればいいんでしょう……」
先程大破してなくなく捨てた万年筆の代わりに持ってきた鉛筆を指で回しながら、リーアは背もたれにもたれかかってぼやく。横の中年向かいかけの軍人も頭を抱えているようで、やけに重いため息をついた。
事情聴取の内容を書き取るメモは今だ真っ白。だが白紙のまま上層部に提出するわけにもいかない。行き詰まりゆえの静寂が、二人には辛かった。
そんな、長く重い沈黙を破ったのは、いよいよ痺れを切らして鉛筆を叩きつけかけたリーアでも、打開策の質問を思いついて口を開きかけた中佐でもなく、意を決したように顔を上げたチリエだった。
「――あいつが」
先程まで沈黙に耐えかねて険しくなっていた二人の目つきが、瞬間驚きのそれに変わる。じっと彼女の二の句を待つシアンと琥珀の瞳を見つめながら、少女の小さな唇が言葉を紡ぎ始めた……のだが。
「――あの勘違いクソ親父が全部悪いんだ! 神のお告げだなんだ言って毎日毎日変なことしか言わない、あたしをまともに学校にも行かせずに部屋に閉じ込めるくせに何にもしてくれないあんな奴! あいつのせいで……あんな奴のことを馬鹿みたいに信じる奴らのせいで、あたしの人生狂いまくってるんだ! だから逃げ出したの、あのとち狂った場所に居たくなくて! そして絶対にあそこには帰らない、帰りたくない! 何がメシアの娘だ、まともに名前も呼んでくれたことすらないくせに! 娘のこと考えてくれてるんなら、少しはあたしの話を聞いてからにしろっての‼︎」
可愛らしい風貌の彼女の口から紡ぎ出されたのは、十歳と半年の、まだまだ幼さの残る少女のそれとは全く思えない、怨みのこもった無礼な暴言の数々だったのだ。半分は誰にともなくぶつける愚痴にも聞こえたそれのあまりの衝撃に、もっと平穏な語りを想像していた二人はしばし呆然としていた。メモを取りかけたリーアの手も動かない。
「……ねぇ」
あらかた言葉を吐いてもまだ怒りでふるふる震えているチリエに、フィルグランドが声をかける。リーアも漸くはっと我に帰って、紙に一言[メシアの娘←?]と書きつけた。
「君には、両親はいるのかい?」
今更な質問に、女二人の視線が一気に彼に集まる。リーアが小さく首を傾げると、中佐は彼女の方を向いて鉛筆を取り上げ、端の方にややクセのある字で小さく[クソ親父っていうのが誰のことなのか分からなくてね]と書きつけた。なるほど、そういうことか。溜飲が下がったリーアは軽く頷いて、再びチリエの方に視線を移した。チリエもまた、丁度そのタイミングで言葉を零す。しかし。
「ママもパパもいないよ。いるとしたら勘違いクソ親父かな」
再びの予想外の返答に、二人がまたもや固まる。
何なんだ、その勘違いクソ親父というのは。父親でも母親でもないとはどういうことなのか。軍人二人とも、頭の中を疑問符と謎が踊って仕方がなかった。
一方のチリエはというと、自分の発言を噛み砕けていないらしい二人の方を見て、キョトンと首を傾げている。
軍人と少女の間に突如出来た、解釈の溝。
リーアは苦し紛れとでもいうべきか、クエスチョンマークを多用しながら今の発言をメモした。不正確な記述で紙を汚すというある種の罪悪感を彼女が感じている中、事情聴取は計 数時間にも渡って続いた。
しかし、桃髪の少女はあれ以上のことは何も語らず、齟齬の生じた解釈は最後まですり合わせられることはなかった。
謎を解決するはずがむしろ謎が増えた今回の事情聴取。終わった後別室で清書をしていたリーアは、ふと昨晩のやりとりを思い出していた。
『そのお方はメシア様の娘様』
「……うん?」
そういえば昨晩出くわした白ケープの集団の中の一人がそんなことを言っていたか。そして手元のメモには[メシアの娘←?]の記述。そしてチリエの「あんな奴(勘違いクソ親父)を馬鹿みたいに信じる奴ら」という発言。
「……まさか」
彼女の脳内である程度の情報が繋がった。
だがそれはチリエ本人の口から示されたことではない。事実でない一個人の仮説及び考察を、事情聴取の内容を纏めた紙に書き足すことは無論許されていない。
仕方なく彼女は、内ポケットに身分証明書と一緒にしまってある小型の手帳を取り出すと、今思いついた仮説を素早く書き取った。多少字は崩れたが、一応読めるからよしとしよう。
インクが乾くまで左手でページを開きっぱなしにしたまま、再び清書に取りかかる彼女。
そんな彼女が、ある種妥当な風の吹き回しか、チリエの身柄を暫くの間保護することになったことを知らされるのは、そこから程なくした、昼頃の話である。
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