Act2

EP4 アヴォスト

 住宅街で繰り広げられた不可解。あの後、である広場に無事たどり着けたリーアとチリエは、そのまま既に集合していた他の隊員と共に駐在所に帰還していた。


 ……そこまではよかったのだが、そこからの対応がどうにも上手くいかなかった。

 軍医の元へ行くも、誰かからの呼び出し中で不在。

 しかもそこに、先程まで白ケープ軍団と攻防戦を繰り広げていたジャックスとストックが軽傷を負って駆け込んできたことで、事情を知らない周囲が一時騒然とした。


 そして軍医と従軍看護師が三人を手当てしている中、唯一無傷だったリーアが、その場にいた他軍人達から一斉に質問攻めに遭ったのだ。


 幼い少女を連れてくるとは、一体何が起こったのか。

 何故少女を保護する運びになったのか。

 少佐と中尉が負傷しているのは何故なのか。


 それらの質問に、一つ一つできうる限り正確に、丁寧に答えていたリーアだったが、最後に投げかけられた問いには即答出来なかった。


「どうしてお前だけ無傷なんだ。上司に戦闘を丸投げするとは何様のつもりだ」


 その言葉を発したのは、たまたまその場に居合わせた陸軍大佐だった。立ち姿からも漂う厳格な指導者の雰囲気に彼女は圧倒されかけるも、なんとか心を強く持ち、弁解を図る。


「チリエ――少女を保護して先に離脱するよう、中尉から命令されたからです」


 十割事実しか述べていない。しかし、大佐の口を割って出てきた言葉は、あまりに筋違いで辛辣だった。


「そうやってお前は他人に罪をなすりつけるのか」

「違います、事実です!」

「女だからって逃げ腰になるのが許されるとでも思っているのか!」

「私は先程から事実しか言ってません、信じてください!」

「嘘をついたって無駄だぞ、リーア・ヴォスト!」

「話を聞いてください!」


 何も知らない人が今この光景を見たら、少女一等兵が大佐に反旗を翻しているように見えるだろう。だが実態は、全く意見も話も噛み合うどころかすれ違うことしかしていない、どこまでも泥沼と化した無意味な論争。

 そんな、眠気も無視して深夜堂々と大声で言い争いをする二人の所に、いつの間にか入室していた第三者が介入してきた。


「彼女の話は全て事実です、レティバーグ大佐」


 二人の視線が部屋のドアの方に向けられる。トーンこそ低いが耳にはよく届く……声の主はジャックスだった。どうやら大した怪我ではなかったらしく、処置の跡も傷痕も、側から見ると殆ど分からない。細いフレームの眼鏡の向こう、深緑の瞳が二人を静かに捉えている。


「ジャックス、お前まで……!」


 拗らせた勘違いによって怒りが沸点に到達しかけている大佐――フルネームはアルフレッド・レティバーグ――を、ジャックスは淡々と諭す。


「お言葉ですが、大佐。まず女性に対する決めつけが過ぎるのではありませんか?」


 部下からの思いがけぬ言葉にどもる彼に構わず、少佐の言葉は続く。


「それに、ストックが彼女に、少女を連れて離脱するよう命令したのも事実です。僕があの場で聞いていたので、相違ありません。ですが、もし僕がこう言ってもなお真偽を疑うのであれば、お手数ですが彼本人にあたってください」

「し、少佐……」

「彼の判断と指示は的確でしたよ。男性への恐怖心が強いあの子を保護する為には、女性であるリーアは適任でしたから」

「――え?」


 そんなこと初めて知りましたが? 突然示されたチリエに関する新情報に、リーアのシアンブルーの瞳が見開かれる。


 一方で、すっかり発言権を剥奪されてしまった上に、信頼していた部下からの思わぬ指摘に、大佐は「ぐぬぬ……」と歯を食いしばったが、突然まぶたをふっと下ろすと、そのままこんなことを言い始めた。


「――だから女を軍に入れるのは最後まで反対だったんだ!」


 言い終わる刹那、机に振り下ろされる手。バンっという音が部屋中に響き、空気が一気に凍りつく。そのまま彼はグレーの瞳でリーアを睨みつけると足早に退出し、荒く扉を閉めた。長年腕力の強い軍人達によって手荒に扱われてきたドアも、いい加減ガタが来そうだ。


「し、少佐。……ありがとうございます」


 恐怖で微かに笑う膝を悟られぬよう、リーアは控えめに礼を述べる。が、ジャックスはそれに対して、視線を合わせずにただ左手を上げることで応答し、そのまま大佐の後を追って退室してしまった。

 彼女は、彼の手を煩わせてしまったことを心の底から後悔した。


「……ごめんなさい」


 人気の減った部屋の中、彼女はボソリとそう呟いたのだった。



 騒がしい夜が明け、新しい朝が始まる。


 リーアが目を覚ましたのは、あの後眠気を覚えてすぐに向かった仮眠室のベッドの上だった。二段ベッドの下の階から微かに聞こえる寝息。彼女がそっと梯子を降りて確認すると、その寝息の主はチリエだった。サイドテールは下ろされ、靴もベッドのそばに揃えられているが、それ以外はほぼ昨晩のままの姿で毛布をかけられ、見た目は穏やかに眠っている。しかし時折辛そうに呻くのが気になった。慣れない環境で寝付けないのか、それとも悪夢でも見てうなされているのか。外からでは判断はつかない。

 ふと壁にかかった振り子時計を仰ぐと、時刻はまだ四時半。流石に起こすのは躊躇われたので、リーアは彼女を起こさないようにそっと靴を履き、仮眠室を後にした。


 ところが退出直後、ドアの近くで点火前の紙巻きたばこをもてあそぶストックと鉢合わせしてしまった。お互い一気に気まずくなる。


「あ、えっと――」

「えらく早かったな」

「え?」

「てめえ今日四時間くらいしか寝てねえだろ」


 どうしてそんなことを?

 彼女が問う前に、腰ポケットに突っ込んでいた懐中時計を取り出した彼の言葉が続く。


「てめえがこの部屋に入ったのが零時きっかり。その後俺は大佐に呼び出しくらって、長々と罵倒混じりの尋問受けて、やっと解放されたと思いきやジャックスに心配され、なんやかんやあって今四時半。妥当だろ?」


 ぐうの音も出ない。黙りこくるリーアを、彼の吊り上がった双眸がじっと捉えている。

 やがて彼が小さくあくびを噛み殺すと、それを見逃さなかった彼女はこうこぼした。


「……寝なくていいんですか?」


 タバコをペン回しよろしく、くるくると回そうとしながら彼は気怠そうな声で答える。


「ジャックスからの又聞きだが、あのガキ、男苦手なんだろ? そのガキがあの部屋にいるんなら、俺はここで寝るしかねえ」

「正気ですか?」

「正気じゃねえかもだが、妥協策だ。朝イチからガキの悲鳴を聞きたかねえし」

「風邪ひきますよ?」


 そんな少女一等兵の言葉に、素行不良な中尉の目がほんの少しだけ驚いたように見開かれる。


「――ふーん、意外にもてめえにも良心ってのはあるんだな。俺はてっきり……」


 ストックはそこまで言うと、右手に持っていたタバコを左手に持ち替え、突如空いた右手で彼女の胸ぐらを掴んだ。それによって生じた風で前髪が乱れ、今まで隠されていた目……紅い右目が露わになった、その刹那。

 リーアの目つきは別人のようにキツくなり、双眸が重い影と恨みのこもった光を宿す。

 彼の右腕を、抵抗の意を込めて自身の左手でキリキリと握りしめる彼女。先程までの温厚な雰囲気から豹変した彼女を見て、同じ色の右目を持つ彼は嘲笑した。


「そういうトコだぞ、リーア・ヴォスト」

「どういうことですか」

「その目」

「――目?」

「あの時どうして右目を出さなかった」

「言いたくありません、離してください」


 ロートーンな彼女の声には素直に従い、ストックは手を離す。外れかけた軍服のホックと前髪を直すリーアの方を見もせずに、彼はそのまま無言で何処かへ行ってしまった。右手には、先程までなかったはずのマッチ箱。一服しにでも行くのだろう。


 彼の姿が視界から消えるまで見届けた彼女は、ため息をつくと冷たい壁にもたれかかった。シアンの瞳はすっとまぶたに隠され、小さく口が動き始める。


「………………うぅ………………でも事実だし……」


 彼女が今ボソボソと会話している相手は、彼女の頭の中……右目に宿る、通称アヴォスト。右目のみを晒されることで完全に体の主導権を握り、両目を出す時も体の一部は彼女の主導権の下におかれる。二精神は生まれた時からの付き合いだが、正直言って関係はよくない。毎日のように喧嘩し、その度に主人格――リーアは言いくるめられてしまう。

 一つの体に、瞳を起因とした二つの精神が同居し、ことあるごとに体の主導権を奪い合う。それがリーア・ヴォストという少女の実態だ。


 そんな、意見が全く一致しない第二精神とのいつもの口論が一区切りついたリーアは、左目をのろりと開けると、再び仮眠室のドアノブに手をかけた。


「疲れた……」


 口に出して負担を減らしているとはいえ、脳みそフル活用で行う言い争いは体力を消耗する。もう一眠りしよう。そう彼女は思った。

 先程まで眠っていた二段ベッドの方を見やると、チリエはまだ眠っていた。退室直前に見た時と、全く体勢も表情も変わっていない。完全に寝付いたようだ。それにホッとして口元を少し緩ませたリーアは、靴だけ脱いでまた梯子を登る。


 午前五時前。太陽はまだ、登らない。

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