開戦

「上将軍周武亮、左将軍さしょうぐん趙舜ちょうしゅん右将軍うしょうぐん李慶りけい、三将軍にそれぞれ二万騎を与える」

 とうとう、皇帝直々に、馬孫討伐の命令が下された。周武亮、趙舜、李慶の三将軍は籐の国都である漢安かんあんの御殿で拝命し、虎符と呼ばれる割符を賜った。この割符を持つことで、地方軍から兵を徴発することができるようになる。

「奴ら、来たか」

 籐軍出撃の報が、弁麗の耳に伝わった。弁麗は、自ら兵を率いて出撃した。

 王庭は南に寄っていたため、籐軍にすぐさま対応できる馬孫兵は、周辺の集落からかき集めても二万が限界であった。だが、弁麗は、これで十分、と考えていた。馬孫の兵は強い。馬孫と籐軍が戦えば、馬孫兵は一人で籐兵の数人を倒すことができる。今までずっとそれは変わらなかったし、これからもそれは不変である。そう、弁麗は信じて疑わなかった。それに、久しぶりの本格的な戦ということもあって、血に飢えた馬孫兵たちは士気を高揚させている。

 籐軍は、それまでの歩兵主体の編成から、騎兵に特化した軍に切り替えてきた。歩兵はあくまで陣地確保や後方の兵站線防御のための支援用と割り切り、前線には騎兵を押し出してきたのである。

 弁麗率いる二万騎は、そのまま一塊になって籐軍へ突撃した。最初に弁麗の本隊に接敵したのは、先行した趙舜軍であった。

「籐軍め、我らの真似事のつもりか? 者共、皆殺しにせよ!」

 弁麗は吠えた。万を越える騎馬が、平原を疾駆する。地鳴りが轟き、黄塵が蹴立てられる。同じく先行していた李慶軍が救援に向かう前に、趙舜軍は弁麗軍の猛攻の前に抗しきれなくなり潰走した。大将の趙舜も、混戦の中で戦死してしまったのである。

 弁麗軍はそのまま馬首を翻して李慶軍に襲い掛かった。しかし、今度の李慶軍は、弁麗軍が先の戦闘で疲れていることもあって、容易には突き崩されず、粘り強い抵抗を行った。

 その隙に、周武亮軍が後方に回り込んだ。李慶軍と周武亮軍に、弁麗軍が挟まれる形になった。

「女王の首を取れ!」

 周武亮軍に従軍していた魏彪は、果敢に突撃し、猛烈な騎射の嵐を浴びせた。精強なる馬孫兵を前にしても、この少年校尉は全く臆する所がない。その上彼も、その麾下の兵たちも、籐軍では比肩しうる者のない騎射の名手たちなのである。馬孫とも互角以上、いや寧ろ圧倒してしまう程の勢いを発揮した。

 魏彪は続け様に二、三人の敵兵を矢で射倒した。魏彪の双眸に射すくめられた者で、矢に貫かれない者はいなかった。それ程までに、素早く正確に敵兵を射抜いていったのである。籐兵を弱兵と侮っていた馬孫兵は、大いに面食らった。これ程精強な騎兵が籐軍に存在しているとは、露ほども思っていなかった。一度勢いに乗ったはずの馬孫兵は、徐々に徐々に押し込まれ始めたのである。

「くっ……籐軍を侮っていたか……体勢を立て直す」

 弁麗は馬首を返して撤退を始めた。他の兵たちも、各々の判断で退却を始めた。旗色が悪くなると、号令せずとも撤退する。逃げることを恥とは思わない。よくも悪くも、馬孫、いや騎馬民たちというのはそういうものである。

「周将軍、敵が逃げていきます」

「これは……追うべきだ」

 周武亮は撤退する敵の様子を見て、追撃してよい、と判断した。偽装退却であるなら、もう少し足並みが整っている。だが、敵の様子は明らかに乱れていた。それに、今、自軍は王庭に近い。かの場所を急襲し破壊してしまうのが理想的であった。

「進め! 目標は王庭ぞ!」

 李慶軍の残りと合流した周武亮は、そのまま真っ直ぐに敵の背を追い、王庭を目指して追撃を始めた。


 少し前の話。

 今日の王庭は、やけに騒がしい。穹廬の外からは、馬蹄の音や、女たちがやかましく騒ぎ立てる声などが、ひっきりなしに聞こえてくる。

 劉雍は耳をそばだてて、その声を聞いてみた。

「籐の奴らが攻めてきたらしい。出撃だってよ」

「軟弱者の癖に生意気な奴らだ。力の違いを分からせてやろう」

 戦争だ。劉雍はすぐさまそう思った。とうとう、長きに分かる和平を、籐は破り捨てたのだ。偽りの平和は、ここに音を立てて崩れたのである。

「頼む……勝ってくれ……」

 劉雍は願った。ひたすら、天に向かって、籐軍の戦勝を祈念した。

 戦いが始まってから、女たちは劉雍の穹廬に来なくなった。恐らく、皆武器を取っていて、歓楽に耽るようないとまをなくしているのであろう。そのことによって、劉雍には思考の余裕が生まれた。もし、万が一、籐軍によって助け出されたとしたら、その後はどうなる? 兄である今上帝は自分を疎んじているに違いない。帰国できたとしても、罪を着せられて処刑されるか、或いは幽閉や流刑にされる可能性は大いにあるのではないか。そうなれば、結局は、檻から出されてまた別の檻に入れられるのと全く同じである。中に凶暴な野獣がいるか否かの違いはあろうとも、そうとしか言いようがない。

 この時、劉雍の胸に、鴆毒ちんどくが抱かれた。

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