第9話 父親の布石

「なぜここにいる」


 使用人たちに嫌な顔をされることは想定していたが、まさかこの顔に会うとは思ってもいなかった。


「お久しぶりです……お兄様」


「お前の兄であることを認めたくはないのだがな」


 イペックは四男一女、五人兄弟の末っ子にあたる。家に戻ってきた彼の前に現れたのは、医師として父の跡を継ぐ長男のライクリールだった。


「あら、ごきげんようお二方。まさかこの場でお会いできるだなんて、今日戻ってきて正解でしたわ」


「ハーミンジャー。あなたもいらしていたのですね」


 笑顔で近づいてきたのは三番目の姉だった。他の貴族へ嫁いだ彼女は、定期的に実家に帰ってきているらしい。


「それで、お二方はどうしてこちらへ?」


「私はお父様の手伝いに。それでイペックに話を聞きたいと思ったので、彼もこちらにいるのですよ」


 ライクリールはイペックの肩を引き寄せ、笑顔のまま戯言を告げる。その言葉にイペックは何もできず、ただ笑ってその場の空気に身を任せた。


「これから二人で話さなければならないので。また後程、ゆっくりお茶でもいただきながらお話しいたしましょう」


「お仕事ですね。私のことはお気になさらないでください」


「お気遣いありがとうございます。ではまた後程」


 堅苦しい挨拶でありながらお互いに気を許した会話は、この二人だから許されるものだろう。笑顔で見送ってくれたハーミンジャーと別れて、イペックはライクリールに連れられるまま屋敷内を移動した。



「それで……、ハーミンジャーに何と答えようとした」


「特には何も……」


 二人っきりになった室内で、イペックはライクリールに詰め寄られていた。


「それでいい。あいつはなぜかお前にも懐いているからな。無駄に巻き込むなよ」


「分かっています」


 ライクリールは父親ほど思考が柔らかくはなく、物事を静観することを嫌っている。先を明確に見据えることができる頭脳を持っているからこそ、彼が許容する未来は狭く完璧なものだけ。イペックが存在することはその完璧さを損なうことになり、少しでも爪痕を残そうとすればライクリールが手を付けられないほどに噛みついてくる。


「目的はあの子供だろう? どこで情報を仕入れた」


 その言葉から察するに、ターリマットから与えられた情報は正しかったようだ。薬を作る依頼が医師である父へ通達され、ライクリールは彼に頼まれて帰ってきたというところだろう。となると薬の生成方法も、その大元となる存在のことも彼は把握しているはず。その全てがイペックの望んでいなかった方向へと進んでしまっていた。


「情報元は明かせませんよ」


 ライクリールはイペックが最も苦手とする人物だった。下手なことを言えば何もできなくなる。だが嘘を言えば見破られ、余計に立場が悪くなる。大人となった今でも、知らない、言えない、分からないでしらを切り続ける以外に、ライクリールとの会話をコントロールする手段を見つけられなかった。


「そうだろうな。お前はそういう奴だった」


 最初から諦められているから、ライクリールがイペックに呆れるということはなかった。その様子は淡々として、どうしようもない作業を無意識下でこなすことと変わりがない。


「それで……まさか薬を作るなとは言わないよな? 誰からの注文か、お前も把握しているだろう?」


「…………」


 ライクリールが軽く言い当てたように、イペックが屋敷を訪れた理由は薬を作ることを止めて欲しかったからだった。たとえそれが断ることができないような、とあるお方からの注文であったとしても、何か方法がないかと尋ねないわけにはいかない。


「コガイ一族がやってきたことは間違っていたのだろう。特殊な人種であるとはいえ、家畜同然に扱っていたからな。だがそれで救われた命があることは事実だ」


「薬ができるのなら、当人の命は蔑ろにされてもいいと?」


「……お前が反論するとは。そんなにもあの子どもが可愛いか」


「…………」


 そのニヤニヤとした顔は好きじゃなかった。思い通りに操られ、想定通りに感情を暴露してしまったような気分になる。どこまで考えて話しているのか、ライクリールの思考の海を覗いてしまえば、永遠に海面には上がってこられないだろう。


「薬といっても、その汗や涙の結晶を拝借するだけだ。あの子どもからすれば要らないものなのだから、その身を保証する代わりに頂いたって構いはしないだろう?」


 特殊な人種。それは多くの人間が生きるこの世界で、ほんの一握りしか存在しない。かつてこの国が医療大国として存在できたのも、その人種がこの国にしかいなかったという事実と、残酷なまでの研究が行われていた過去があったからだ。

 その人種の特徴は、生まれて一年ほど経過した時期に髪の色が抜け、人間にとって有用な物質を体内にため込むようになることだ。そんな彼らが成長し、物質を十分蓄えると高熱を出して大人へと変化していく。この期間に上手く利用されなかった栄養分が汗や涙という形で体外に分泌されるが、それが空気に触れて結晶化したものは、栄養価の高さから万能薬として知られるようになった。


「まあ、体に影響が出ない程度に血液も拝借する予定ではあるがな」


「ああ?」


 イペックがあからさまな態度でその意思を示したことが、ライクリールにとっては愉快に映るらしい。掌で転がされることを嫌っていても、結局は足元をすくわれて用意されたシナリオ通りに事が運ぶ。そんな不憫で憐れな存在に向けられるのは、嫌いな顔の憎たらしいほどの笑顔だった。


「安心しろ。私はそこらへんの医者とは違う。どんな人種であろうとも、人を生かすための技術なら誰にも負けないさ」


 その笑顔がイペックを捉えてより一層歪む。

 血液に秘められた力は、結晶化した汗や涙とは比べ物にならないほど強大で、流通していた貴族の間では不老不死の薬とまで言わしめたほど。それは子どもが大人へと成長する、大きな負担をかけて体を変化させる過程で、血液が唯一命をつなぐ生命線の役割を担っているからだった。


「出血した場所からたちどころに結晶化するらしい。あの美しさには惚れ惚れするよ」


「本気で言っているのですか?」


 今にも暴れ出しそうな本能を、理性がギリギリの状態で押さえつける。人が死にそうなほどに辛い時間を過ごしているのに、そこから栄養を奪い取る。その行為もさることながら、それを行う様子に惚れ惚れするとまで言い退けるとは、その発言をする人物が同じ血を受け継いでいるなど思いたくもなかった。


「面白い表情だ。あのコガイ一族を滅ぼした犯人も、きっとそのような顔をしていたのだろうな」


 その言葉に、イペックはより一層顔をしかめた。


「あの一族は間違っていたさ。家畜扱いするにしても、相手は人間なのだから気を付けないと。汗や涙で飽き足らず、全身の血を抜くとは人殺しと同じこと。それがこの国随一の医師一族の親戚ではね。私なら人として生かしたまま薬を作り出すというのに」


 ライクリールは何も分かっていなかった。その話の問題点が、人の生死ではないということを。それに気付けないのは、人生の主役である彼以外が、社会という決まりの下で彼を輝かせるための材料でしかないと思っているからなのだろう。


「どうしてそこまで厳しい表情をするんだ。薬にされたくないのであれば、そのまま処刑させておけば良かっただろう?」


 図ってか図らずしてか、ライクリールの一つ一つの言葉はイペックが心に隠しておきたいことを的確に刺激する。


「リーダルが言っていた。あれほどの騒ぎを起こして、騎士団の中で話が伝わらないわけがないだろう。どこで育ったかは知らないが、やはり貴族として生まれてしまったこと自体が間違いだ」


 リーダルはこの家の次男。騎士団員としてそれなりの地位に立つ彼に情報が流れることくらい、いつものイペックならば簡単に想像できることだった。どうもテンに関することになると、イペックの頭は調子が悪くなるらしい。

 彼を救うために周りに気を配れなくなってしまう。話したくないのに言葉が勝手に飛び出してしまう。その先に大きな障害があると分かっていて、それでも首を突っ込んでしまう。


「お前はこの家の人間であることを捨てた。屋敷で勝手をすることは許さない。シルキー家の名前を出すことも、本来は許されないことだ」


 ライクリールは本気で怒っていた。その威圧感に、イペックは何も言えなくなった。彼の言い分は正しく、間違っているところなど一つもない。イペックがこの場にいさせてもらっていること自体、通常の貴族であればあり得ないことなのだから。


「お父様が許容したのだから、ある程度のことは目を瞑ろう。邪魔をしないという条件は必須だ。ここまで生きてこられたのならそれなりの知恵はあるとして、これ以上言わなくても理解はできるだろう?」


「……テンを殺さないと、約束していただけますか」


「もちろん。医師は人を生かすことが仕事だ。お前が干渉しないというならば約束しよう」


 全てはお父様とライクリールの手の上の出来事。その圧倒的な知識量と計略技術には遥か届かない。どんなに策を講じて努力を重ねたところで、彼らの考えている未来から外れることはできなかったんだ。


「……テンに会ってきます」


 お父様はイペックの耳に薬の話が届くことを、最初から想定していたのだろう。だから邪魔されないように、ライクリールお兄様を呼び出した。彼がいればイペックは何も手を出せない。実に上手いことレールを敷いてくれたもんだ。

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